第40話 魔女・3

 ウォッカに溺れ惰性で続けるセックスは気持ちいいとも悪いとも言えない。けど首を絞めあってのエクスタシーは最高だ。

 トーニャは美しくはないし男をそそる体形ではないが、心のタガが外れっぱなしだ。そこが他の女と違う。

 他のよろず事を足蹴にしてでも今の瞬間を楽しむ。そんな刹那的な面は、この時世じゃ誰でも持っている。彼女は一際強烈だ。

 どんな変態行為にもためらわず突っ込んでいく。おかげでベッドの周りは小便や汚物だらけだ。毎日毎日何人も、自分の手と銃でひき肉にしていれば、そうもなるのか。

 僕は外の井戸ばたで体を拭き、明け方の宿舎に戻った。


 夜が明けるとまた処刑だ。

 台車に積んだ機関銃を、馬が引いていく。そのあとに、二日酔いで目が座った軍服姿の若い娘トーニャ、そして哀れな、パルチザンの協力者の嫌疑をかけられた人々。

 今日はいつもより多い。牢屋が満員になって来たので、人を間引く必要が出て来たのだろう。

 彼らの中には何人もの子供がいた。

 年のころは10歳を少し出たくらいだろうか。恐怖で虚ろな目をしている。

 見送る市民たちも痛ましいといった表情をするが、近づくと必ず目をそらす。

 関わり合いにはなりたくないのだ。囚人から見つけられ助けを求められないようろ、こそこそと物陰に入ろうとする。

 僕は充分にわかっている。みんな自分が一番かわいい。自分が生き残るためなら他人なんていくらでも差し出す。

 僕がベルリンで教わったユダヤ人音楽教師……名前はもう忘れた……が属する民族も、ドイツ国民が楽に生きるために差し出されたに過ぎない。

 状況が変われば僕も容易にその立場となる。なにせ「故国の裏切り者」なのだ。


「ガキども、前列に出て来い !」


 トーニャがいら立って叫ぶ。大人たちは少しでも庇うように、子供らを自分たちの背後に押し込んでいたのだ。

 立ち会いの兵士が銃で脅し、子供たちの首を掴んで大人の前に引っ張り出した。

 兵士が退けるとすかさず銃声。トーニャの機関銃が火を吹いた。

 大人も子供も老人も、みんな血しぶきを上げてなぎ倒される。

 あとは吹っ飛んだ髪の毛や内臓、ピクリとも動かない肉の塊が転がっているだけだ。

 トーニャと兵士、それに僕は彼らの列を一瞥して帰った。それでも僕らにまとわりつくのは血や火薬、散らばった臓物や肉片が発する何とも言えない臭気。

 でも慣れた。この匂いの中で僕らは眠り、歩き、人を捕まえて殺し、セックスをする。

 後に残された死体の始末は、町の大人たちがやる。


 ところがそこに誤算があった。

 子供たちの何人かが大人の陰で弾丸を逃れ、かすり傷を負っただけで僕たちの目を逃れたのだ。たまたま大人達の死体の下になり、頭へのとどめを刺されずに済んだらしい。

 子供らは町の人たちに発見され、深夜、山のパルチザンたちの元に逃がされた。

 そしてさらに後方に送られ、保護した赤軍の部隊に証言したらしい。

『機関銃のトーニャ』と呼ばれる若い裏切者の存在を。

 赤軍からドイツ軍の協力者として寝返り、平然と民衆を殺害している娘のことを。


 僕たちは、自分達の存在が赤軍内で知れ渡っているのを知らなかった。

 ドイツ軍は強い。

 この地はこのまま、いずれ終戦するにしても、ドイツ領として自治権を保ったまま運営されていくのだろうと思っていた。

 自警団のリーダー、ブロニスラフ・カミンスキーの率いる部隊も強大、ドイツ軍にも一目置かれているから、僕たちは大丈夫だと考えていた。



 1943年夏、戦況は変わった。


 赤軍の大攻勢が始まり、ソビエトの南から北の端まで、総力を挙げた人海戦術の『押し返し』がドイツ軍を襲った。

 ドイツ軍の占領地が次々と赤軍に奪還されているという知らせは、僕ら末端の耳にまで入ってきた。奪い返された地のドイツ軍協力者が、軍と住民に捕まり処刑されているという噂も。

 だからと言って、僕にはどうすることもできない。

 逃げても逃げても、無限に続く地平線の彼方に逃れることはできないのだ。


 ある日、トーニャがここを去るという噂が部隊に流れた。

 なんでも病気の治療のために、他所の土地の大きな病院に入院するという。本当か、信じられない。

 先日も処刑に勤しみ、元気いっぱいぴんぴんしていたというのに。

 僕はいつもの軍人酒場で酔っぱらったトーニャに声をかけ、彼女の部屋にしけこんだ。

 酒場に来る前にも誰かと寝たのだろう。温かさの残るベッドで汗をかいた後、どういうことか聞いてみた。

「ロコチを出るのか? よく許可が出たな」

「そうよ。ブリャンスクの病院に入院するの。梅毒にかかったから治療のために行きたいって言ったら、司令官はあっさり許可してくれたわ」

 嘘か本当か、トーニャの病名を聞いた男たちは震え上がるに決まっている。僕も金玉がぎゅっと縮みあがった。

「あんたも早く逃げた方が良いわよ。西に向かってね。ドイツ軍はもうすぐ負けるから」

 さっさと下着を身に着けながら、彼女はベッドで呆然としている僕に向かって吐いた。

 明日の列車でもう移動するのだという。そのままここに復帰することはないだろう。どこかに逃げるに違いない。

 ここでしていたことを隠し赤軍に寝返ることだって、彼女にとっては簡単に違いない。

 鮮やか過ぎて、僕は自分の身の振り方の心配なんか忘れていた。



 トーニャのいう通り、まもなく赤軍は雪崩を打って攻めてきた。

 敗走するドイツ軍は、自分達に協力した住民を捨てて逃げて行った。追いすがる者は容赦なく射殺された。

 僕は森に逃げたが、そこは自分達が逮捕処刑したパルチザンの本拠地だ。

 潜り込んでホッと一息ついた藪の前に、銃をかざして迫ってくる奴らと、僕らがドイツ軍と一緒に押さえつけていた市民たちが近づいてくる。

 僕は身を縮めて息を詰める……。



 1944年秋、ロコチの町の広場に、奇妙な『干物』たちが下がっていた。

 ドイツ軍が市民への見せしめのために設置した、木組みの上に丈夫な太い棒を渡した、何人も同時に吊るせる絞首台。

 そこにドイツ軍の軍服を着た男や少年の死体が吊るされた。

 半ば腐乱し、鳥や獣につつかれて肉をむしり取られた彼らは、ドイツ人から 『Hilfswillige』略して『Hiwi(ヒヴィ)』と呼ばれた自発的協力者。

 ドイツ軍の手足となって市民を管理した者たちだ。

 その中に、彼はいた。

 銃の台尻で激しく殴打された上に腐敗し、顔の判別がつかないほど青黒く膨れ上がった、イワン・クラスノーコフが。



 ブリャンスクからケーニヒスブルクへ逃亡し、その地で過去を隠し赤軍の看護兵として働いたトーニャは、ユダヤ系の赤軍将校と結婚した。

 家族をドイツ軍に皆殺しにされた夫・ギンズバーグは戦友でもある妻を大事にし、彼女も大祖国戦争を戦い抜いた婦人として尊敬を集めた。

 だがKGBは『機関銃の処刑娘』を執念深く追い続けていた。


 アントニナ・マカロワ・ギンズバーグは1976年に逮捕され、3年後銃殺刑に処された。

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