第39話 魔女・2
ドイツ軍の管轄下のロコチ自治区に実際に配置されていたのは、第102ハンガリー歩兵師団の部隊だ。
少数のドイツ人と、ハンガリー人、そして僕のような反ポルシェビキのウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人が町の運営にあたっていた。
他に「区長」と呼ばれる地区リーダーがいた。自警団のリーダーで、コンスタンチン・ヴォイストボイニクという髭の似合う美丈夫だ。
女処刑人トーニャは、彼が観ている前で市民の大銃殺をやってのけた。ヴォイストボイニクは若干の嫌悪感を示しながらも彼女を大いに讃え、栄誉を称えた。
だが、彼は1942年1月、雪の中、パルチザンに虐殺された。
かわって区長になったのは、彼の片腕ブロニスラフ・カミンスキーという、より粗野で短気な男だった。
カミンスキーもトーニャの躊躇いのない処刑の腕を誇り、町の有力者や他の地区から逃れてきた有志を呼んで、何度も公開処刑を催した。
ある日、子供達を含む大量の市民の処刑があった。
僕は処刑を終え銃の手入れをするトーニャに近づいた。
「手についた血を拭きなよ」
そう言って妹の残したハンカチを差し出した。
「ありがとう」
トーニャは素直に受け取った。
「夜、酒場に来るでしょう? 絶対に来なさいよ。お礼にウォッカを奢ってあげる」
その夜酒場で安酒を飲みながら、彼女は自分の身の上を語った。
1941年秋、看護兵の彼女の所属部隊は、大量のドイツ軍に包囲される。後に「ヴャジマの巨釜」と呼ばれた『ヴャジマ・ブリャンスク二重包囲戦』である。
その戦場から辛うじて逃げ延び、妻子持ちのロシア軍兵士と行動を共にする。
森の中で犯され、肉体の提供の代わりに守ってもらう逃亡生活を続けた。
ある日パルチザンの女性兵士のふりをして山間の農家に食料を求めに行った際、怪しんだその家の寡婦と子供を銃で皆殺しにした。
既婚の男はトーニャにおびえ、距離をとりはじめた。
後に彼は「僕には妻がいる。彼女のためにも友軍に合流するつもりだ」と、トーニャを捨てて食料を奪って去った。
一人になった彼女はなおも森を彷徨い、1942年の夏、ロコチに流れ着いたのだ。
焼け出された市民の女を装い村はずれに居つき、男たちに体を売って食料を得た。
「この町のドイツ軍は危害を加えないから町で働けばいいのに」
そう言う客の男の一言で、町に出ようと決心した。
「ずっと森の陽の当たらないところで逃げ回っていたから、日向に出ようと思ったの」
「運が良かったね。声をかけてもらえて」
「そうね。幸運だったわ。私に運を分けて無くしちゃったのか、そのとき声をかけてくれた客は、この前私に処刑された。俺はパルチザンのスパイじゃないって最後まで泣いてたけどね」
彼女の住処は、処刑場のある谷に近い、厩舎の二階を改造した宿舎だ。
地下室は牢獄に改築されて、処刑を待つばかりの囚人たちが泣き呻いている。
僕は決まった時間に、トーニャと二人、彼らの牢の巡回に降りる。
燭台の灯りを向けて牢獄の中を照らし眺めまわすトーニャの顔は、心弾むような笑みをたたえていた。
灯りの先にいたのは、長いおさげがみの少女だ。
老人や武骨な男達に挟まれて膝を立てて座り、ぐったりと顔を伏せている。
もう泣き疲れたかのような少女の履いている、血のように赤い刺繍の施されたスカートが、妙に僕の目を引いた。
隣りを見ると、トーニャの目も生き生きと輝き明らかに心が高揚している。
「あの子のスカート、とても素敵ね」
トーニャは少女に声をかけた。
「あんた。おさげに赤いスカートのあんた。顔を上げな」
少女は緩慢な仕草で顔を上げた。
涙も枯れ果て、むくんで腫れあがった瞼の奥で、茶色い目がこちらを観返す。
「こいつはなんでぶち込まれているの?」
トーニャが囚人の事情を聞くのは珍しい。僕は急いで、持参の取り調べ書を開いた。
「バルチザンに加わった兄弟にパンと卵を届けるため、山に行ったんだと」
町の周囲は丘陵地帯で、そこから続く山々の森の中に、パルチザンたちは潜んでいるのだ。
「ふうん……」
ソーネチカと書類に記載されたおさげの娘は、もはや恐怖以外何もない目で僕らを見ている。
「じゃしょうがないね」
トーニャがくるりと踵を返して、地上へと続く階段を上がっていく。
僕も厳重に施錠をしながら続く。
背後から、絞り出すような少女の泣声と、牢の中の老若男女の怒声が響いた。
僕は音を立てて、一階の床の扉を閉めた。
トーニャはその足で詰所に行き、上官に向けて言った。
「明日の処刑対象の中に、地下牢にいる赤いスカートの娘、ソーネチカを加えてください」
分かった、とハンガリー人の上官は頷き、書類を開いた。
運の悪いおさげ髪の少女の名前を追加しているのだろう。
翌日『機関銃のトーニャ』は刑場に歩いて行った。後には「今日の銃殺」に選ばれた不幸な男女が続く。
列の真ん中に、昨夜牢獄の中で見た「素敵なスカート」の少女ソーネチカが、真っ青な顔で歩いていた。
止まれ。前を向け。そして銃声。
トーニャの機関銃は、並べられた不幸な人々の頭をスイカのようにふっとばしていった。
その夜、酒場で呑んでいた僕は、彼女の部屋に誘われた。
地下牢獄の上に建つトーニャの「宿舎」に足を踏み入れると、昨日と同じように床の下から泣き叫び、恐怖に呻く声が響いていた。
だがそれが何だというのだ。
前線では牢獄のように地面に座る暇もない程、行軍に継ぐ行軍。そして命令一下、弾幕の雨の中に突っ込んでいかなければならないのだ。
囚人たちも僕たちも、トーニャも同じだ。
正義や誇りなんてありゃしない。たとえあると思っても、一瞬後にひっくり返される。最後まで逃げ切って、生き残った者が正義だ。
二階への階段を上がり部屋のドアを開けると、美しく装った女がベッドに座っていた。
いつもの軍服から私服に着替えたトーニャだった。
茶色い髪を艶やかにくしけずり、埃っぽい首や手足はさっぱりと清められ、胸元の大きく開いた民族衣装風のブラウスを着ている。
僕は自分の薄汚れた軍服を恥じた。脂と砂のまとわりついた体くらい、水で拭いてくればよかった。
でも酔っぱらった彼女は、そんなこと全くお構いなし。僕の手を取り強引にベッドに誘うと、スカートの下に持って行った。
一昨夜、地下牢でトーニャの標的に選ばれた、哀れなおさげの娘の着ていた、赤い「素敵なスカート」だ。
この女は自分好みの服を着ている女を選んで銃殺の列に加え、まんまと服をせしめる。
略奪でも何でもない。部隊における不文律の掟。正当に認められた権利なのだ。
ウォッカでしたたかに酔った僕は、導かれるままに手を動かしトーニャの下着をはぎ取り、スカートを勢いよくめくり上げた。
沢山の男たちに提供された両股が、僕の目のまえでも開かれている。
2人共遠慮なんてなかった。始めから噛みつくように交わり合った。
愛だの恋だの情けだの、そんなものはもう地平線の彼方へ置いてきてしまった。
ウォッカでべろんべろんに酔っぱらってのセックスは、妙に現実感に乏しいものだった。
戦場娼婦みたいに分単位で次の兵士に交代しなくて良いのは幸いだが、感情の高揚なんてものはない。
下半身を突っ込んだ女の体の奥は妙に冷たく、つかんだ胸も腰つきもたるんでぶよぶよして、今感じているのが快感なのか、ただのウォッカ酔いなのか、もはやわからない。
体を動かしながらふとベッドサイドのゴミ箱が目に入った。
僕の前に、他の男とのセックスの後始末をしたであろう、体液のこびりついた布が捨ててあった。
その中に、どうしても見覚えのある一枚。
以前、血で汚れた顔を拭きなよとあげた、殺された妹のハンカチだ。
この女、妹の形見を捨てやがった。
僕はカッとして、快感にのけぞるトーニャの頸に両手をかけた。
腰を突き刺すリズムに合わせて、思い切り締め上げる。
女の口から涎が糸を引き、蛙の泣き声のような息が漏れた。
グググ、と小さな音を吐きながら、女の下半身はぎゅううっと締まっていく。
僕は嫌悪感に満たされながら、今まで味わったことのない震えるような感覚に襲われた。
もうすこし、あとちょっと、と絶頂を迎えようとする瞬間、トーニャが首にかけた手を振り払ってむくりと起き上がり、僕の体を突き倒した。
あっという間に彼女は僕の体にまたがり、反対に首を絞めてきた。
「あんたがこんなに『使える男』だとは思わなかったわ」
勝手に1人だけいくなんて許さない。あたしが満足してからよ。
そう言いながら、僕の頸をスカートのひもでじわじわと締めてくる。
ああ、あの赤いスカートだ。哀れな娘が履いていたスカートの、ウエストを引き絞る紐。
僕は薄れる意識の中で、馬鹿みたいにアハアハ笑いながら、目のまえの体に溺れていった。
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