第35話 テレジエンシュタットのモリタート

 痩せて少年のように短い髪の女は、訝し気に僕エミール・シュナイダーを眺め、2・3度眼をしばたいた。目の前のナチス親衛隊の制服を着た下士官が、なぜ親しげに自分の名を呼ぶのか。

 僕らはじっと目を凝らして見つめあった。睨めっこに負けた僕がふっと微笑した瞬間、ミリヤナが叫んだ。


「エミール! あんた、なんでこんな所にいるの。その制服は何なの!?」


 チェコ人の警察官がすっ飛んできて、彼女を殴りつけようとした。


「止まれ。その必要はない。彼女は俺の大学時代の同窓生で……友人だ」


 ミリヤナは僕の、精一杯優し気にした声色を、しかめっ面で聞いた。



 1944年8月、暑いボヘミアの夏に映画の撮影はスタートした。

 非軍属の技術スタッフたちは、それから毎日収容所にやって来た。

 今回の映画は、監督もゲットーにいるユダヤ人が務める。演出一切を仕切るクルト・ゲロンと言う男だ。

 戦前ベルリンやパリ、オランダで舞台や映画の俳優・監督として活動し、それなりの評価と知名度を上げたが、ハリウッドからの招聘を断ったという馬鹿者だ。今年の2月、オランダのヴェステルボルクから、妻と共にこのテレジンに送られてきた。

 権力も世相もナチも笑い飛ばす芸人だった奴なのに、ゲロンは『文化人枠』、すなわちドイツにとって役に立つユダヤ人、という扱いになった。

 奴はたちまちゲットー内のキャバレー『カルーセル』の看板役者となった。

『自由で芸術の溢れるユダヤ人の街』を見せるため、テレジンの司令官は演奏者に


「アメリカではやっているという音楽、ニガーズムジーク(ジャズ)を演奏しても良い」


という指示を下した。

戦前の跳ねっかえりの金持ち餓鬼ども『スウィング・ユーゲント』が知ったら、歯噛み嫉妬しそうなお達しだ。我々ナチスと司令官がいかに糞な文化にも寛容であるか、ユダ公どもにも分かっただろう。


 ゲロンたちキャバレー出演者は、彼らの元締め『ユダヤ人評議会』の面々と我ら看守たちに懇願しつつ、内装を少しずつ上質な物に替えて行った。

 時には餓死や処刑された死体が、死体置き場を兼務したフロアにうず高く積まれても一体ずつ外に出し、公演を時間通りに開始する『舞台第一主義者』どもだ。

 そのゲロンが台本を書き演出するユダヤ人のドキュメンタリー映画は、撮影が進むにつれ、次第にその内容を変えられていった。

 演出案の一部に『生の収容所生活』の断片が見られたからである。そんなものは、この映画の主なターゲットである、スイス他の中立国の目に入れるわけにはいかない。

 健全な肉体を持つ、いかにもユダヤ風の顔立ちをした青年たちが画面の大半を占めるよう、ヒトラーユーゲントの宣伝映画のごとく輝かしく撮られていった。

(全く馬鹿々々しくもったいない話だ)

 子供たちはレストランで満足そうに食事をし、「ラームおじさん、もうお魚は飽きたわ」と笑いながら叫ぶ。ネズミ民族の餓鬼どもが口にするその名は、我らがテレジエンシュタット収容所の司令官、カール・ラーム親衛隊少佐だ。

 彼らの一挙手一投足に目を光らせ、子供をなだめ、群衆の目線や表情に指示を出す大柄な男。それが『映画屋』ゲロンである。


 奴は元々甲状腺か何かの病気で、水風船のように太った醜悪な姿をしている。

 4年前に我々の宣伝省が作った『永遠のユダヤ人』という啓蒙映画では、下品で意地汚い食欲を見せるユダヤギャグの体現者として、出演作から映像が使われた。

 また奴は、仰々しいほどに、でかく良く響く声の持ち主だ。メガホンを手に声を張り上げ、一流の監督然とふるまいユダヤ人出演者の上に君臨する。

 言っておくがゲロンの理想がどうであれ、我々が欲しいのは、新天地をくれたナチスを心の底から信頼し、自分達に与えられた『天国』を維持していく、意欲的なユダヤ人の笑顔と肉体言語だ。


 当然そんなもの、誰一人信じちゃいない。演技させられる大人も子供も、監視するチェコ人の看守や技術スタッフも、我々ドイツ人も。なによりゲロン自身が信じてなんかいないはずだ。

 それでも奴は、心の底からの笑顔を要求し、カフェのシーンでは、ユダヤ人たちに飢えた胃にしみる最初で最後のコーヒーの一杯ではなく、一日何度も飲んでいる日常の光景としての表情を求める。作品のためなら何にでもなれる。なることを要求する。それが喜劇人・ゲロンと言う男なのだろう。


 僕は一度、カメラチェックをしている風船男・ゲロンに話しかけたことがある。 ベルリンのヴァリアテで、お前の舞台を見たことがあるよと。そして、自分も元歌い手で、音大でオペラの勉強をしていたのだと。


「それはそれは。道理で張りのある良いテノールのお声でいらっしゃる。看守殿は立派な英雄役だったんでしょうな」


 奴は媚びた笑顔を返した。この僕をワグナーオペラの英雄を歌い演じる、いわゆる『ヘルデンテノール』と勘違いしているらしい。


「いや違う。俺はワグナーなんて歌わせてもらえなかった。イタリアのくだらない恋愛オペラの、女に振り回されるやさ男役だけさ」

「人生の真実に近いところを歌っていらしたんですね。素敵な事です」


 ゲロンは何の感情も読み取れない声音で、投げやりに返す。


「ようシュナイダー曹長。さすが元歌手。監督殿と気が合うようだな」


 我らが司令官カール・ラーム親衛隊少佐の酷薄な笑い声を聞き、僕はさっと奴から離れた。


「ようし、俺が演技をつけてやろう。みんなもう一度最初の位置に着くんだ」


 チェコ人のカメラスタッフが、場面番号を書いたスケッチブックをカメラの前にさっと差し出し、回す準備にかかる。ゲロンが後生大事にのぞき込むカメラも、奴の監督という身分の証なんかじゃない。芸術どころか娯楽音痴のドイツ人(統合されたオーストリア人)親衛隊員が、様々に口や手を出してくるのだ。

 一度ならず何度も、僕はゲロンがラーム所長や他の看守とにらみ合う、そして所長や看守が奴を撃つのを我慢する場面を見ている。

 映画を取り仕切り撮影していると言うだけで、ゲロン達がゲットー内で看守たちから一目置かれる、などと言う事はけしてないのだ。


 その日の撮影が終わり、周りに他の看守が居なくなった隙に、僕は再びゲロンに話しかけた。


「オランダの海に面した保養地に何年も居たそうじゃないか。なぜその間に船を手配して対岸のイギリスに逃げなかったんだ?」


 ゲロンは白く濁った眼で僕を見て、次いで空に目を移した


「大陸に、居たかったんですよ。新天地に渡るには自分は臆病過ぎたんです」


 思ったよりつまらない答えだ。


「アメリカの映画界からも声がかかっていたと聞くぞ。なぜ断ったんだ? お前は本当に馬鹿な男だ」

「二級寝室のベッドには、自分の体が入らなかったんですよ。一級船室で渡りたくても、向こうのプロモーターからそんな金は出せないと断られまして」


 僕は自分でも驚くほど大声で笑った。

 そして、その日のゲロンへの食料の配給をゼロにするよう、司厨長に言いに行った。

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