第34話 総統は我々に映画を賜った

 慌ただしく復活祭の休暇を過ごしたベルリンから戻ると、テレジエンシュタット収容所は少々浮ついた空気に変っていた。日々淡々とユダヤ人どもを他の収容所へ送り出し、たまに処刑し焼却するという、代わり映えしない日常でしかないのに、妙に忙しなく落ち着かない。


「シュナイダー曹長殿、ご存知ですか。厄介な奴らが来るんですよ」


 僕の何気ない呟きに、看守として雇われているチェコの警察官カレル・ミクラーシュが応えた。


「ああ、あの話はまだ生きていたのか。厄介なことだな」


 僕は思い出した。

『ユダヤ人問題』とやらを問題視する(誰かが密告したらしい) 赤十字の職員たちが、大挙してこの収容所を視察に来るというのだ。

 ユダヤ人問題。そんな言葉は存在しない。

 問題なんかどこにもない。

 奴らは粛々と収容所に入り、移送され、最終解決されている。

 たとえ問題があったとしても、それは奴らがまだ『存在』しているという点であり、それはドイツの正しい方法で「解決」間近である。

 まったく関係ない奴らのおせっかいのせいで、物見遊山に付き合わされるこちらの方がいい迷惑だ。


 ともあれ上層部からの指示により、テレジンゲットーの「美化」が始まった。

 まずは汚い連中と、死にそうでなかなか死なないしぶとい連中を間引き、一掃しなければならない。

 東部ヨーロッパ各地から集まったユダヤ人たちで、この施設はいつも過密だ。

 人口を調整して風通しをよくしなければ。

 我々は「整然と運営された街」に不要な余剰ユダヤ人を、アウシュヴィッツに送り続けた。

 大体このゲットーには「文化人」と称されていたユダ公が多い。

 ハイドリヒ大将とアイヒマン親衛隊中佐がそう計画したからだと、我々は漠然と思いめぐらす。だから手間がかからないといえば言えたが、そのかわり年寄りは多い。 ユダヤ人長老会などと言う役にも立たない組織が、ユダヤ人どもの不満をくみ取り、我々に伝える役目を負っているからだ。


 我々は予算とにらみ合いながら力を尽くした。準備は前年の1943年には始まっている。

 12月にビルケナウに送ったチェコ系ユダヤ人4000人は、3月7日にはガス室で処分完了されたという。追加で5月に7503人を送った。これで少しは風通しよく、見栄えも良くなるだろう。

 残したユダヤ人はいかにもユダヤの風貌をしたもの、見栄えのいいもの、体格のいいもの、映像に映えそうな者どもだ。

 しかし建物や施設、道路、奴らが働くという設定の菜園や機械工場など、『真っ当な街を営んでいる自治的な組織』を揃えてやるのは、なんて金と手間と、屈辱を伴うことだろう。

 奴らの食事の量と質を少しずつよくしてやり、飢えてガリガリに痩せこけた体の肉付きをよくする。我々の姿を見て怯えた表情をしないように、餓鬼どもや若い女、年寄りに柔和に接し、大声で怒鳴りつけない。時には笑顔で遊んでやる。

 ああ、なんという屈辱だろう。劣った民族、軽蔑すべき人種。我々の中に何百年もかけて入りこんだ「毒ムギ」。

 やつらを人間扱いするというのがどれだけ苦痛を伴う事か。


 以前その人種と一緒に音楽をしていたというのが、遠い悪夢のように思い出される。その頃の僕は愚かだった。ユダヤ人に学び、劣等人種の作った『ドイツもどき』な音楽を表現しようと、ひたすらに勉強していた。

 生活すべてが学びだと言わんばかりに恋をして、歌い、抱き合った。今思えば、相手は股間に穴の開いた、ただの肉の塊に過ぎないのに。

 尊敬すべきゲルマン魂も、誇るべき民族史もない尻軽な売女に、真実の愛とやらを見出したと誤解していた。それもこれも自分が愚かで迷いやすい若者だったせいだ。


 非常時には二つの生き方しかない。

 勝者になって生き延び踏みつけるか、敗者になって辱められ苦痛の中に死ぬか。

 もちろん僕たちは前者だ。


 突然降ってわいたように『テレジンゲットーの映画を撮る』話が下命された。赤十字とやらの物見湯算団体への接待の強化、国内外でのユダヤ人迫害の噂の解消のためだ。

 ただ、我らが誇る『ドイツ週刊ニュース』のような立派な記録映画と違い、脚本・演出にはユダヤ人が割り当てられた。オランダのゲットーから送りこまれた、元著名なコメディ喜劇俳優のゲロンと言う男だ。ベルリンで同じユダヤ人の劇作家、クルト・ヴァイルのミュージカルに出ていた大柄な男で、悪党の歌を歌う映像を見たことがある。演出家としての経験も豊富らしく、ユダヤ人の映画を撮るには全くふさわしい人選だ。


 映画のプランが、ゲロンら『収容所内アーティストグループ』から上がってきた。

 街では買い物、若者たちはスポーツの試合を楽しみ、女たちは縫製に勤しみ、男たちは作業所で家具や工業製品の製作に打ち込む。

 ゲットー内のカフェでは老若男女がお茶やコーヒーを楽しみ、食事をとる。

郊外の菜園で花や野菜を育てて収穫。

 自給自足のできる完全なる自治を、総統はユダヤ人たちに賜ったのだ。

 フィナーレは、ゲットー内の音楽家で構成されたオーケストラの演奏会、そして子供たちによる創作児童オペラの上演だ。

 映画の題名は『総統はユダヤ人に街を与えた』


 企画は通った。何しろあまりにも時間がないのだ。

 撮影機材や技術の協力として、チェコ人のカメラマン、カレル・ペチャニーとチェコの映画制作会社『Akutualita』社のスタッフが派遣されてきた。

「 Arbeit macht Frei」(働けば自由になる) 。

 総統の盟友たるアルベルト・シュペーア 軍需・軍事生産大臣が考え、ドイツ占領各地の収容所に掲げられているという標語だ。

  この欺瞞に満ちた標語の掲げられた門を、機材を積んだ何台ものトラックが入ってきた。どやどやと降りてくる撮影技術者。お気楽なボヘミアの民間人の奴らだ。

 その中の、痩せて鋭い顔をした作業服姿の女に見覚えがある。名簿によれば舞台美術兼演出助手。どこかで会った記憶があるのだがどうしても思い出せない。

 やがて、こちらの甘い態度にいい気になった、ユダヤ人の餓鬼どもがじゃれついてきた。僕はむかっ腹が立ち、髪の毛をひっつかんで銃を突きつけた。


「あまりでかい顔をするんじゃないぞ、子鼠。頭に血しぶく穴を開けられて、土に埋められたいか?」


 餓鬼はたちまち震え出した。

『のびのびとした演技』とやらをさせるため、優しく接するようにと指令が来ていたが構うものか。

 鼠はどんな態度で接しても鼠である。

 僕の小声の脅し文句が耳に入ったのか、大きな撮影鞄を背負った件の女が、大きな目でこちらを睨んでいた。その厳しいまなざしにはっきりと覚えがある。


「やあミリヤナ。生きていたとは不思議だな」


 僕は明るく声をかけた。

 ベルリンでユダヤ人音楽教員の助手をしていた、セルビアの女子大生ミリヤナ・アシュバンだった。

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