最終話 旅路の果て

 阿曽あそ日子ひるこが再会し、壮大な旅が終わりを告げて一月ひとつきが経った。


 須佐男すさのおは高天原で、天照と月読と共に三つの世界を統べる手伝いをしている。時折反乱を起こす神々との喧嘩を更に大きくして、月読の仕事を増やしているようだ。

 時を支配した力は禁忌とし、あの戦い以来使ったことはない。しかし天叢雲剣あまのむらくものつるぎを扱う技を磨き続け、月読に褒められることも増えてきたらしい。

 相変わらず櫛名田くしなだとは仲良くしていて、中つ国に戻った彼女を気遣っている。よく訪ねては、景色の美しい場所に連れて行っているようだ。


 大蛇おろちこと八岐大蛇やまたのおろちは、故郷の火川ひかわの近くに住んでいる。自分が元々ここにいた龍神であることは伏せ、のんびりと暮らしているのだ。

 一度だけ、あの時戦ったたけるが何故か家を訪ねてきたという。すげなくあしらい、その後は来ないとか。

 外道丸げどうまるを育てながら、人々の手伝いをする毎日だ。


 温羅うらは、阿曽媛あそひめと過ごした村のある山を時折訪れる。住んでいるのはそこから少し離れた山里の一角だ。

 阿曽媛を弔いながら、須佐男や大蛇とつるんでいる。

 三人が揃うと、まず鍛錬が始まる。よくそこに阿曽も加わり、山という立地を生かした戦いの訓練をするのだ。


 あしたよいは村に戻り、五十鈴いすずと共に暮らしている。彼女を手伝い、壊れてしまった村を元のもの以上にするために奮闘しているのだ。

 現在村におさはいないが、いずれ双子が継ぐだろうと囁かれている。


 桃太郎は天照のもとに残り、彼女の仕事を手伝っている。そこ傍ら、天照や素兔から日常の知識を教えてもらっているのだ。

 時々会うと格段に女の子らしくなっているため、阿曽は変な気持ちになる。その気持ちの正体に阿曽が気付くのは、もう少し先のことだ。


 饒速日にぎはやひは変わらず、武海の地から中つ国全体に目を光らせている。

 十種とくさ宝物かんだからを守る結界を変わらぬ力で保持し、櫛名田と共に新たな脅威に備えているのだ。


 香香背男かかせおはといえば、客人まろうどの村からは去った。

 日子が無事であったことを知らされると、風のような勢いでやって来て、まずは怒鳴った。その怒りは日子を心底心配していたからこそのもので、日子はそれを甘んじて受け入れている。その後もよく日子を訪ね、気が向けば阿曽の鍛錬の相手もしてくれているようだ。


 伊邪那美いざなみ伊邪那岐いざなぎが倒されたことを聞き、少なからず衝撃を受けた。しかし彼の魂が清められて再びこの世に生を受けるまで、待ち続けると決めたらしい。


 そして阿曽は家に戻り、日子と新たな暮らしを始めていた。


「じゃあ、行ってきます」

「気を付けていくんだぞ、阿曽」

 阿曽が戸を開けて振り返ると、日子が笑みを浮かべて片手を挙げていた。

「うん。今日は神殿に泊まるから、明日の夕方には帰るよ」

「わかった。天照あまてらすたちに宜しくな」

「はーい!」

 元気に返事をして、阿曽は家を飛び出した。

 今日は久し振りに、高天原を訪ねるのだ。須佐男と温羅、大蛇にはよく会っているのだが、天照や月読、桃太郎とは滅多に会えない。

「あの旅から、もう一年か」

 阿曽は須佐男たちと待ち合わせている森の外にある池の前で、そう呟いた。

 記憶を失い、桃太郎に襲われて温羅と出逢った。その流れで須佐男と大蛇と知り合い、旅に出たのがそんなに前のことになるとは驚きしかない。

 初めは、不安だらけだった。それなのに、いつの間にか須佐男たちを信頼し、何よりも大切な仲間で友だと思うようになっていた。

 晨と宵も加わり、六人で過ごした日々も大切な記憶だ。

 そんなことを思いながらぼんやりと青空を見上げていた阿曽は、後ろから近づく気配に気付くのが遅れた。突然後ろから目隠しされ、悲鳴を上げる。

「うわっ」

「だーれだ?」

「その声は、大蛇!」

「あたり」

 視界が明るくなり、後ろから大蛇が顔を覗かせる。翠色の瞳が阿曽を見て笑い、阿曽の肩に腕を乗せた。

「元気だったか、阿曽」

「うん。大蛇も元気そうでよかった」

「ああ、二人共いるね」

 数週間振りの再会を喜び合う阿曽と大蛇の前に、彼らと同じく軽装の温羅が現れる。彼を見て、阿曽の表情がより明るくなった。

「温羅!」

「やあ、阿曽。大蛇も元気そうで何より」

「ああ」

 抱きついてくる阿曽を受け止め、温羅は大蛇の頭も撫でた。少しくすぐったそうに笑った大蛇は、次の瞬間にはそこから消えていた。

「残念」

「何が、残念だよ。驚かすなよな!」

 大蛇がいた場所には、須佐男が天叢雲剣あめのむらくものつるぎを突き刺していた。挨拶にしては激し過ぎると文句を言う大蛇に、須佐男は軽い調子で謝る。

「すまん。でも大蛇なら躱せると思ったんだ」

「全然反省してないな、須佐男……」

 須佐男の気配を感じて跳び退いていた大蛇は、須佐男の態度に頭を抱えた。しかしそれが彼の通常だと思い直し、軽くため息をつく。

「もういいよ。というか、お前挨拶も無しかよ」

「ああ、そうだったな。阿曽、温羅も久し振り」

「相変わらずだな、須佐男」

「だね。でも須佐男らしいよ」

 くすくすと笑う阿曽に、全員が同意したのは言うまでもない。

 そうやって再会を喜び合い、くだらない話をすること一刻(約三十分)。

「そろそろ時間だろう? 行かないのか」

 温羅の言葉がなければ、もうしばらくここにたまっていたことだろう。

 須佐男が高天原の神殿への道を繋ぐと、四人の姿は綺麗に消えてしまった。


 目を開けた阿曽の前に広がるのは、常盤とも言われる高天原の美しい緑だった。一本空に向かって伸びる木は、かつて阿曽が三人と初めて集まった大切なものだ。

「行こう、阿曽」

「あ、うんっ」

 須佐男と大蛇は既に神殿へと向かっている。温羅に促され、阿曽巨木に別れを告げては彼らの後を追う。

 相変わらず美しい白の神殿の前に、この場の主が立っていた。

「久し振りね、みんな」

「なかなか来ないから、心配しましたよ」

「天照さん、月読さん!」

 阿曽の笑顔に、二人も微笑を返す。阿曽の後から須佐男たちも挨拶を返し、一行はとりあえず神殿に入ることにした。

 一先ず以前滞在した時に使った部屋で雑魚寝することになり、阿曽は部屋の確認後に一旦皆と離れた。ここに来たら会いに行きたい人がいるのだ。

 その人物は、神殿の中庭で白い花を見上げていた。

「―――桃太郎」

「! 阿曽、来てたの?」

 ふわっと微笑んだ桃太郎は珍しく藍色の髪を下ろし、風に遊ばせている。少しだけ癖のついた髪の揺れに、阿曽はどきっとした。

「阿曽?」

「え? あ、何でもない」

 桃太郎の青い瞳が、阿曽を心配そうに見詰める。その視線に何故か動揺し、阿曽は密かに深呼吸した。

 桃太郎はこの一年で別人のように変わった。

 まず、動きやすさと戦いやすさ第一だった衣が、女の子が好みそうなふわっと柔らかなものも着るようになった。色も黒やくすんだ白色などから、薄桃や淡い黄色の者も増えてきた。どうやら天照や素兔そと、櫛名田などが教えているようだ。

 今日の衣も、淡い桜色のもので可愛らしい。

 更に、神殿にいる影響か表情も柔らかくなった。呪縛から解かれた直後は戸惑いを浮かべることも多かったが、今では無機質な表情をすることは格段に減った。それよりも、遠慮がちに微笑むことが増えたように阿曽には感じられる。

「……本当に変わったよな」

「何か言った?」

「いや。……似合ってるよ、その衣」

「あ、ありがとぅ……」

 突然褒められ、桃太郎は顔を真っ赤に染めた。頬に手をあて、恥じ入る姿も可愛らしい。

 そんなことを思ってしまい、阿曽は自分の気持ちに驚き、慌てた。何故か、このままではまずいと思い立つ。

「あ、じゃあ、また後で。そろそろ戻るよ」

「え、あ、うんっ。また後で」

 まさか自分まで桃太郎のように顔を赤くしているなどと思いも寄らず、阿曽は逃げるように部屋に戻った。

 ぜーぜーと息を弾ませる阿曽に、最初に気付いた大蛇が首を傾げる。

「阿曽、何か顔赤いけどどうした?」

「へっ!? あ、何でもないです!」

「そうかい? ……まあ、何となくはわかるけどさ」

 くくっと大蛇に笑われたが、阿曽は水を飲むのに忙しくて気付かない。

「……はあ」

 ようやく息も整い落ち着いた阿曽に、須佐男が自分の剣を手に取って鍛錬に誘った。

「阿曽、昼餉ひるげまでまだあるし、やらねぇか? 晨と宵も昼過ぎからこっちに来るって言ってたし」

「あ、良いですね。やりたいです!」

「決まりな」

 阿曽の少ない荷物から日月剣ひつきのつるぎを手に取り、阿曽に向かって放り投げる。それを阿曽が受け止めたことを確かめると、須佐男は温羅と大蛇にも「行くぞ」と声をかけた。

「わたしたちに拒否権はないのかい?」

「拒否すんのかよ?」

「しないけど?」

「同じく」

 温羅は地速月剣ちはやつきのつるぎを、大蛇は天波波斬剣あめのははきりのつるぎを手にして立ち上がった。彼ら二人も一緒だと知り、阿曽はより楽しくなってきた。

なまってないか確かめてやるよ、阿曽」

「お手柔らかに、須佐男」

「でも前回、阿曽に追い詰められてたよね」

「グッ……温羅、嫌なこと言うなよ。だが、今回はそういうわけにはいかないからな!」

「ぼくらも負けてはいられないね」

「俺だって、絶対いつかみんなを抜かしてみせるから!」

「おっ、言うなぁ。だが、簡単には行かせない!」

 阿曽の追い抜く宣言に、須佐男は外へ一番乗りしながら言った。剣を正面に構え、ニヤリと笑う。

「オレはまだまだ上に行く。ついて来いよ、阿曽」

「へえ、須佐男だけには行かせないよ」

 大蛇は外に飛び出すと同時に小さな水流を出現させ、剣を軽く振る。そうすることで水流が弾け、水滴よりも小さな粒となって広がった。

 虹を顕現させ、大蛇は「ぼくが三人を超える」と笑う。

「わたしも、決して負けるつもりはないな」

 阿曽の後から下りてきた温羅は、炎をまとった剣を抜く。抜き放つと同時に地った火の粉は、大蛇の飛沫とぶつかり両方を消した。

 三人三様の宣言に、阿曽の体が震える。日月剣を握り締め、三人の元へと駆け出した。

「俺だって、絶対に負けない!」

 少年たちの決意は、何処までも続く青空のように広がる。

 その真っ直ぐな思いを胸に、阿曽は剣を振るうのだった。


 神話世界の旅路の果てに、阿曽が辿り着いた場所。それは、かけがえのない大切なものたちと共に歩む、未来の始まりなのだ。




                                   ―了―



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