第119話 求めたぬくもり

 仲間と無事に仲直りを果たし、阿曽は再び父・日子ひるこが眠る部屋の前に立っていた。

「入らないのか、阿曽」

「か、簡単に入れないよ。すっごく緊張して……うわぁっ」

 須佐男に背中をつつかれ、阿曽は悲鳴に似た声を上げた。二人共声が小さいのは、中にいる日子を驚かせないための気遣いだ。

「でも、ずっとここにいるわけにもいかないだろ」

「そうそう。もしかしたら目覚めているかもしれないし、入ろうぜ」

 晨と宵にもせっつかれ、阿曽は大きく深呼吸した。一歩部屋に近付き、こちらとあちらを隔てる布に触れる。

「って、うわ!」

「いつまで待たせる気ですか、阿曽」

 阿曽が布に触れる前に、内側から月読が顔を出す。それに驚き、阿曽は思わず叫んでしまった。そして「しまった」という顔で口を覆うように手をあてる。

 少年の焦燥に気付き、月読は無表情な顔にわずかな緩みを加えた。

「大丈夫ですよ。……もう、目覚めていますから」

「へ?」

 ぽかん、と間抜けな顔を晒す阿曽。仲間たちもそれぞれに、「は?」という呆気に取られた表情を隠せない。

 六人の思考が停止する中、月読が体をずらして部屋の奥を見せる。そこには寝台があり、寝台の上で上半身を起こした影がある。日の光に照らされ、よく見えない。

 阿曽は目を細めた。

「父、うえ……?」

「阿曽、か?」

 低く、心地よい声だ。きっと、若い頃の声は阿曽によく似ていただろう。阿曽の声を低く落ち着かせれば、この声に近付く。

 阿曽はごくんと喉を鳴らし、震える声でもう一度「父上」と呼んだ。

 一歩一歩、おぼつかない足取りで近付く。いつしかその足取りは駆け足に変わり、全力に変化する。

 目の前に、記憶にあるより痩せた男の体躯がある。阿曽と同じ黒髪は伸びて、背中の半分程まである。更に深い森の色をした瞳が、息子を映して微笑んだ。

「父上ッ!」

「阿曽、大きくなったなぁ!」

 日子の胸に飛び込み、阿曽は父の体を力一杯抱き締めた。それに応え、日子も息子を確かめる様に大切に抱き締める。

 父のぬくもりが、最後に残っていた阿曽の心の穴を埋めていく。

「う……ふっ……。うわあぁぁぁぁぁっ」

 泣くのを我慢しようとしたが、無理だ。阿曽の涙腺は決壊し、赤い目から大粒の涙が止めどなく流れ落ちた。

 須佐男たちが見ている前で、決して泣くまい。そんな阿曽の決意は、簡単に崩れ落ちたのである。

 日子は泣き始めた阿曽を抱き締める力を少しだけ強め、懐かしく愛しい体温を感じて涙した。

「……よかったな、阿曽」

 大切な友であり仲間である少年の悲願。それが叶えられ、須佐男たちはほっとしていた。

 須佐男はもらい泣きしてしまい、大蛇に小突かれる。しかしそんな大蛇の瞳も潤み、同じく耐えている温羅に笑われた。

 晨と宵も何かを思い出したのか、顔を見合わせ小さく微笑む。きっと、幼い頃の育ての親との思い出を頭に思い描いたのだろう。

 月読は、そんな彼らの様子を離れて見守っていた。そこへ天照が櫛名田と桃太郎を連れて現れ、中の様子を見て優しい顔をした。

「姉上」

「覚えてる? わたくしが阿曽に初めて出逢った時に言ったこと」

「『この出会いは、吉か、凶か』ですか」

「そう。よく覚えていたわね」

 偉い偉い、と天照は背の高い月読の頭を撫でた。それが気恥ずかしくて、月読はそっと姉の手をのけた。「それで」と続きを促す。

「それで、姉上は今、どうお考えですか?」

「吉だった、そう考えているわ。世界を変える出逢いの始まりだった、ということね」

 天照は阿曽と日子の抱擁を眺めながら、穏やかに目を細める。

「あの子たちは、本当によくやったわ。まだまだ大変なことは幾つもあるでしょうけど、きっと大丈夫」

「そうですね」

 天照と月読がそんな会話をしているとも知らず、阿曽はようやく泣き止んで父と目を合わせた。そっと息子の髪を撫でる日子は、思い出して呟く。

「よく、似ている。多々良と同じ、髪の柔らかさだ。瞳も綺麗な朝焼け色をしている」

「あの、父上。母上はもう……」

 自分を守って死んでしまった。その事実を伝えようとするが、阿曽の喉はつっかえる。

 なかなか言い出さない阿曽に、日子は苦笑した。悲しげな笑みを浮かべ息子の髪を撫でる。

「知っているよ、多々良がどうなったのか」

「どうして……」

「最期に、会いに来てくれたから」

 瞠目する阿曽に、日子は自分の体験を話してくれた。

 日子は伊邪那岐に囚われた後、長く眠っていたという。その夢の中に、多々良が現れたのだ。

「彼女は言った。『お別れを言わなければなりません』と。おそらく、霊魂となって会いに来てくれたのだろう」

 寂しそうに、愛しそうに日子は目の前に多々良がいるかのように目を細める。

「そして、こうも言った。……『阿曽を、宜しくお願いします』とね。必ずもう一度会えるから、とわたしを励まして消えてしまった。だから、私は待っていることが出来たんだ」

 そして今、日子の前には阿曽がいる。多々良が残してくれた、大切な我が子が。

 日子の手が阿曽の右腕に触れた。二の腕には、多々良と共に敵に襲われた際に出来た傷が走る。

 その部分を撫でて、日子は目を伏せた。

「これまで、よく頑張ったな。……これからは、私も阿曽の傍にいてやれる。改めて、阿曽と親子になりたいんだが、良いかな」

「勿論だよ。そのために、俺は……!」

 それ以上口にすることが出来ず、阿曽は寝台に座る日子の胸にしがみついた。

「ありがとう、阿曽」

 日子の言葉を聞きながら、阿曽はかろうじて頷いた。そんな息子の背中を撫で、日子は自分たちを見守る須佐男たちに頭を下げる。

「須佐男、大蛇、温羅、晨、宵。阿曽とずっと一緒にいてくれて、本当にありがとう。そして、私を目覚めさせてくれたことにも感謝し尽くせない」

「日子兄貴、水くさいこと言うなよ」

 からりと笑い、須佐男は言い切った。

「オレは、兄貴とようやく会えて嬉しいんだから。それにみんな、阿曽と一緒にいたくていただけだから、感謝されるようなことじゃねぇよ」

 だろう? と須佐男が同意を求めると、四人は肯定の意を示した。

「わたしも、阿曽とみんなと旅することがとても楽しいのです。お礼を言うのはこちらです」

「温羅の言う通りですよ。日子さん、僕らともこれから宜しくお願いします」

 温羅と大蛇が口々に言い、晨と宵も礼はこちらが言うと同意した。

「一度道を踏み外したおれたちを、阿曽は引き戻してくれたんだ」

「そう。だから、おれたちは阿曽の力になりたいんだ」

「……そうだとしても、私は感謝を伝えたいよ」

 阿曽が共に過ごした仲間は、息子にとって何にも変えられない宝なのだ。日子はそう改めて実感し、阿曽に「よかったな」と呟いた。

 しんみりとした空気が流れる中、突然柏手かしわでが鳴り響く。

「ほら、しんみりするのは終わりよ!」

 柏手の正体は天照だ。驚き振り返る須佐男たちを見回し、天照は太陽の様な笑みを浮かべた。

「ようやく皆集まったのだもの。お祝いに、たくさんの料理を用意しました。皆で、楽しく囲みましょう?」

 天照の言葉を表すように、櫛名田と桃太郎の腕の中には美味しそうな食材を入れた器がある。新鮮な野菜や果物、肉や魚が鮮やかに輝く。

 日子は腕の中の阿曽を立たせ、彼の背を押した。驚く阿曽に、嬉しそうに微笑んで見せる。

「行っておいで。私もすぐに行く」

「───! うんっ」

 まだ涙の跡の残る顔を喜色に染めると、阿曽は仲間と共にたくさんの料理を見て目を輝かせた。

 そんな息子を見て、日子もまた、柔らかく微笑むのだった。

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