第118話 仲間だから

「俺は―――俺は、まだみんなと一緒にいたいのにッ!」

 そう叫んで逃げ出してしまった阿曽は、走る距離が長くなるにつれて冷静さを取り戻していった。流石に息が切れ、木の幹に片手をついて立ち止まる。はーっ、はーっと肩でしていた息も落ち着いた頃、阿曽はずるずると背中を幹に這わせて座り込んだ。

「……言いたいのは、そんなことじゃなかったのに」

「こんなところで何してんだ、阿曽?」

「えっ。……あした

 阿曽の上に重なり、顔を上げると晨が見下ろしていた。彼の問に、阿曽は答えあぐねて俯く。

「ちょっと、考え事」

「へぇ? 落ち込んでるように見えるけどな」

「え?」

「ほぼ一方的に叫んで、須佐男たちの前から逃げ出したんだろ」

「……え!?」

 阿曽が顔を上げると、よく似た顔が二つ並んでいる。いつの間にやって来たのか、晨の隣によいの姿もあった。

 素直に驚く阿曽の両隣に座り、双子は彼を逃がさない。

「宵、何で知って……」

「見ていたからだ。早く目が覚めて、何となく神殿の中を散歩していたんだ。そうしたら、廊下の先から聞き覚えのある声がする。何だろうと思って覗いたら、阿曽があの三人に怒鳴って走り去ったんじゃないか」

「見られてたのか……」

 恥ずかしさで真っ赤になった阿曽は、自分の体を抱き締めた。再び俯いてしまった阿曽の頭を無理矢理起こし、晨と宵は「話せ」と迫った。

「このままじゃ、気まずいんだよ」

「それに、阿曽は今から父上に会いに行くんだろう? そんな湿気た顔、見せるつもりか」

「……わかった。実は」

 阿曽は双子に経緯を話した。

 温羅に一緒に行って欲しいと頼んだこと。須佐男に敬語を止めろと言われ、それに対して「もう仲間じゃないのか」と尋ねてしまったこと。そして、乱れた心のままに叫び、逃げ出したことを今後悔していること。

「……わかってるんだ。須佐男さんは、仲間じゃなくなるから敬語を止めろって言った訳じゃない。わかってるのに、俺は心にもないことを口走った」

 両膝を立て、それを抱えるように手を組む。膝に顔を埋めるようにして、阿曽は悔いを言葉にした。

「ちゃんと、謝らなきゃ。そして、もっと近付きたいから砕けた言葉を使っても良いか訊かなくちゃな」

 決意を自分に言い聞かせる阿曽を見下ろしていた双子は、互いに笑い合う。

「……それだけ自分でわかってるなら、おれたちに言うことはない。だろ、晨」

「ああ。言いたいことがあるなら……本人たちに言えよ、阿曽」

「───えっ」

 阿曽が勢いよく顔を上げると、晨と宵が左右に退くところだった。二人の後ろから、息を切らせた三人の影が現れる。

 顎から垂れそうな汗を手の甲で拭い、須佐男が笑う。

「何だよ。ここにいたのか、阿曽」

「須佐男さん……」

「阿曽、覚えてる? ここで、僕と須佐男に初めて会ったよね」

「大蛇さん……」

「わたしと出逢って、ここまで来たのがかなり昔のように感じるよ、阿曽」

「温羅さん……」

 阿曽に自覚はなかったが、彼がたどり着いたのは桃太郎から逃げて初めて高天原へやって来た時に到着した場所だった。あの時、大蛇と須佐男は酒盛りをしていて、温羅に抱えられた阿曽と出逢ったのだ。

「俺は、無意識に……」

 自分の行動に驚いていた阿曽は、目の前で須佐男に突然頭を下げられて狼狽した。

「えっ、ちょっ、どうしたんですか!?」

「すまなかった。オレの言葉が足りなくて、阿曽を傷付けた」

「あ……」

「ちゃんと言えばよかったな。オレたちは仲間だ。仲間で、大切な友だ。だから、もう敬語なんて使わなくても良いんだ」

「むしろ、須佐男は敬語を使われたくないんだろう? わたしや大蛇には前から言ってたんだ。阿曽はオレたちに遠慮してるって」

 温羅が苦笑して「な」と大蛇に同意を促す。すると大蛇も頷いて、堪えきれない様子で笑った。

「そうそう。だから、阿曽。僕たちへの言葉は晨と宵と同じで」

「はい。……ああ、いや……うん」

 恥ずかしそうに慣れない言葉を使い、阿曽ははにかんだ。

 そして、ふと顔を曇らせる。眉を潜める阿曽に、わしゃわしゃと頭を撫でてやろうと構えていた須佐男が首をひねった。

「どうした、阿曽?」

「えっと……俺も、謝らなきゃって思って」

 逡巡し、ふと双子の姿が目に入った。晨と宵は須佐男たちの斜め後ろに控えるように立っていたが、阿曽と目が合うと笑って頷いた。

 双子に頷き返し、阿曽は立ち上がる。そして、自分を見詰める仲間たちに「ごめんなさいっ」と頭を下げたのだ。

 目を瞬かせ、須佐男が代表して尋ねた。

「阿曽、何でお前が謝るんだよ?」

「俺は、三人に『仲間じゃなくなる』なんて、心にもないことを口走った。本当は、言葉遣いを砕けさせて良いって聞いて嬉しかったのに。……旅が終わるんだって思ったら、寂しくて。俺は、みんなとずっと仲間だと思ってたから、過剰に反応した。ごめんなさい」

「阿曽……」

 ぽんっと阿曽の頭に手が乗る。そして、顔を覗き込むように温羅が阿曽の前に膝を折った。

「ありがとう、阿曽。きみも、わたしたちを仲間だと思ってくれていたんだね」

「温羅さ……」

「ほら、さん付けはいらないから」

「───温羅」

「良く出来た」

 ニッと笑い、温羅は阿曽の顔を上げさせる。

 阿曽の前には、須佐男・大蛇・温羅と両面宿禰の晨・宵が立っている。阿曽は大きく息を吸って、吐き出す。

「……須佐男、大蛇、温羅、晨、宵」

 阿曽の呼び掛けに、全員が笑みを見せる。もっと早く砕けた言葉を使えばよかった、などと考えてしまう。

 だから、阿曽はもう一度仲間に頼み事をした。とくん、とくん、と胸が温かく鳴る。

「俺と、父上に会いに行って欲しいんだ。みんなと、行きたい」

「勿論、行こうぜ」

 真っ先に親指を立てて応じたのは、須佐男だった。

「ああ、僕らも共に行こう」

「阿曽の父上か。どんな人だろうな」

「晨、あまりはしゃぐなよ?」

 大蛇と双子もまた、阿曽の頼みに応じた。彼らの反応を見て安堵したのは、何も阿曽だけではない。

 始めに阿曽と約束していた温羅も、胸を撫で下ろす阿曽の隣に立った。

「よかったね、阿曽」

「はい……あ、うん!」

 まだ敬語以外の言葉遣いが難しい阿曽だが、すぐに慣れてしまうことだろう。

「じゃあ、行こう!」

「あ、おいっ」

「ここから走るか?」

「須佐男、全力出さなくて良いからな」

「よし、競争だ!」

「待てよ、阿曽」

 阿曽が笑い、神殿の方へと駆ける。彼の後を追い、五人も走り出した。

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