第116話 おかえりなさい

 同じ頃、高天原。

 天照がうろうろと神殿内を歩き回り、月読と櫛名田に呆れられていた。

「姉上、そうやっていても彼らは帰って来ませんよ」

「そうですよ、天照さん。絶対帰って来ますから」

「わ、わかっています!」

 口ではわかっていると言いつつも、天照の足は止まらない。月読と櫛名田は顔を見合わせ、荷は笑いを交わす。これは、須佐男たちが戻ってくるまで放置しておいた方が良さそうだ。

「天照……?」

「ああ、桃!」

 丁度角を曲がってやって来た桃太郎が、天照に両肩を掴まれてぎょっと目を見開いた。後ずさりたかったようだが、もう逃げられまい。

「桃、須佐男たち見なかった!?」

「み、見てないです……」

「そう」

 心底残念だという顔で意気消沈し、天照は大きなため息をついた。桃太郎が「どうしたら良いのか」と目で訴えてきたため、月読が仕方なく姉の体を起こしてやる。

「全く、日の神がそんな体たらくでどうしますか。須佐男たちはもう少ししたら帰って来ます。ですから、ため息などつかないでください。あなたがそんな様子では、中つ国や高天原に影響が出ます」

 現に、太陽が陰っている。これは、天照が落ち込んでいるために起こった現象である。それをわかっているから、天照も大きく息を吸った。ため息として吐き出した分、吸って戻すつもりらしい。

 そして、パンッと頬を叩いた。

「そうよね。わたくしは日を司る神。大丈夫、必ず帰って……」

「姉貴、兄貴、櫛名田」

「えっ」

 自分を鼓舞していた天照は、突然聞こえた声に耳を疑った。そしてその声が幻でないとわかった時、天照は声の主に抱きついていた。

「うおっ」

「おかえり、須佐男! みんなもお帰りなさい」

「た、ただいま」

 須佐男は相変わらずの姉の行動に苦笑しながら、彼女の愛情を受け止めた。そして姉を呆れ顔で見ている月読と櫛名田に目を向け、軽く頭を下げる。

「ただいま。ちゃんと帰って来たぜ?」

「全く、心配ばかりさせるのですからね」

「ふふっ。お帰りなさい」

 月読の目は阿曽たちにも及び、彼はふっと目元を和らげた。

「きちんと、全員で帰って来てくれましたね」

「はい」

「……ただ、負傷は大きいようです。話をするのは、日が落ちてからで良いでしょう。部屋を用意します」

 ちらりと阿曽たちの怪我の様子を見た月読は、そう結論付けた。すると櫛名田が桃太郎の手を引き、彼女に何やら耳打ちをする。

「え……」

「任せましたよ」

 それだけ言うと、櫛名田は桃太郎の背をとんっと押した。つんのめるように体勢を崩した桃太郎だが、自分で体の均衡を戻す。

 ほっとしたのも束の間。目の前に阿曽がいて、桃太郎は硬直した。二人の背丈はほとんど変わらないが、少しだけ阿曽が高い。

「桃太郎、どうしたんだ?」

 一気に桃太郎の顔が赤くなり、阿曽は風邪でもひいたのかと尋ねる。すると、桃太郎はブンブンと首を横に振った。

「ち、違う。……櫛名田姫に阿曽を治療するよう言われたから、ついて来て」

「わかった。じゃあ、俺はここで」

 素直に頷いた阿曽は、温羅たちと別れて神殿の奥へと進んでいく。その後ろ姿を見ながら、須佐男は首を傾げた。

「別に、オレたちと一緒でもよかったんじゃないか?」

「わかってないのね、須佐男」

 櫛名田が嘆息し、ねぇ、と彼の仲間に同意を求める。すると温羅と大蛇も、苦笑いを交わした。

 どうやら、わかっていないのは須佐男だけらしい。仲間外れにされ、須佐男は眉間にしわを寄せた。

「何なんだよ」

「形になるかならないかは、これから次第。わたしたちに出来るのは、見守ることだけよ」

「ごめん。何のことか全くわからない」

 お手上げ状態の須佐男に、櫛名田は答えを教えるつもりはない。くすくすと笑いながら、踵を返した。

「秘密。──さあ、あなた方も治療しましょう。休んで、全てはそれからです」

「では、兄上は僕が預かります」

 横たえられていた日子の傍に屈み、月読が言う。軽い動作で抱え上げると、さっさと何処かへ運んでいく。

「月読兄貴、何処に?」

「休めるよう、客間の一つに。落ち着いたら、阿曽に来るよう伝えてください」

「わかった」

 親子の対面を邪魔する理由はない。須佐男が了承すると、月読と天照がその場から消えた。

「では、行きましょうか」

 櫛名田にいざなわれ、須佐男と大蛇と温羅も神殿の奥へと向かって行った。


「いっ……」

「じっとしていて」

 阿曽用にと割り当てられた部屋で、阿曽は痛みに耐えていた。寝台に腰かけた阿曽の傷を、桃太郎が薬で消毒しているのだ。

 特に腕の怪我は酷く、桃太郎は顔をしかめながら水で綺麗に洗った。そして、乾いた布を巻く、

 身体中痣や傷だらけの阿曽は、たちまち身体中に薬を塗られた。初めは止めてくれと頼もうとしたが、懸命な顔で手を動かす桃太郎の様子に声をかけることは出来なかった。

「……終わり」

「そっか。ありがとう」

 少々薬くさいが、仕方がない。この塗り薬も時が経てば目立たなくなることだろう。阿曽は素直に礼を言った。

 すると、桃太郎は小さく首を横に振った。

「お礼を言うのは、こちらだから」

「ん?」

 声が小さくて、目の前にいる阿曽にも聞こえづらい。阿曽がもう一度と頼むと、桃太郎は耳まで赤くして声を大きくしてくれた。

「お礼、言いたかった。わたしをここに連れてきてくれて、解き放ってくれて、本当にありがとう」

「俺たちが勝手にしたことだから。でも、そうやって笑えるようになったのなら、よかった」

 阿曽の目の前には、はにかむ桃太郎の表情がある。そこには、ただ鬼を殺していた頃の彼女の面影は薄い。確実に、変化は起こっているのだ。

 阿曽は穏やかに目を細めた。

「これからもっと変われるよ、桃太郎」

「そうだね。…………きっと、あなたがいてくれたら」

「?」

 後半の言葉が聞こえず、阿曽は目を瞬かせた。しかし今度は桃太郎が言い直してくれることはなく、彼女は赤面してそっぽを向いてしまった。

(俺、何かまずいこと言った?)

 尋ねようにも、桃太郎はこちらを見ない。どうしようかと悩み始めた阿曽の耳は、近付いて来る足音を拾った。

「阿曽」

「温羅さん」

 部屋を覗きに来た温羅は、阿曽と桃太郎の様子を見て何かを察した。そして少し残念そうな顔を見せた後、改めて阿曽の方を向いた。

「月読さんからの伝言。休んだら、天照さんの部屋の隣に来て欲しいって。そこに、日子さんが眠ってるから」

「わかりました」

「うん。わたしたちも一旦休むよ。後でね、阿曽」

「はい。おやすみなさい」

 温羅が再びいなくなり、阿曽は桃太郎に向き直る。機嫌が直ったのか、桃太郎は阿曽を寝台に寝かせようと前から肩を押してきた。

「わかった、寝るよ。……また後で、桃太郎」

「おやすみ」

 微笑し、桃太郎も部屋を出た。

 阿曽はふわっと欠伸をし、すとんと落ちるように夢の中へと吸い込まれたのだった。

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