第115話 封印を解け
「くっ……」
ざわざわと唐草文様が動き出す。光を逃がさないように、捕まえようと蠢いている。そしてその矛先は、光を解放しようと剣を刺す阿曽へと向かった。
「わっ」
「阿曽、剣を!」
決して離さないとわかってはいたが、温羅は思わずそう叫ぶ。剣を伝って阿曽に迫る紋様を
「温羅さ―――」
「決して離すなよ、阿曽。このまま押し通すぞ」
「はいっ」
手を離せと言われず、阿曽は少し驚いた。しかし、それも道理だ。この剣を抜けば、
(あの岩を唐草紋様から解放すれば、きっと父上に会える!)
温羅の手の温かさと力強さに勇気付けられ、阿曽は剣に籠める力を強める。
「阿曽」
「温羅」
「須佐男、大蛇」
温羅に加え、二人分の手が加わる。
大きくて角ばった須佐男の手と、阿曽より少し大きく指の長い大蛇の手。そして、大きくしなやかな温羅の手が阿曽の細い手を支える。
ぐぐっと紋様に刺し込まれていく刃。それに更なる危機感を持ったのか、遂に唐草紋様が鋭い刃となって飛び出した。
真っ直ぐに、阿曽たちの息根を止めようと向かって来る。
「―――っ」
手を離すわけにも逃げるわけにもいかず、阿曽はぎゅっと目を瞑った。
しかし、何の痛みも襲って来ない。その代わりに、鋭い金属音とザシュッという何かを斬る音が耳をつんざく。
「お前らの邪魔は」
「決してさせない!」
「晨、宵!」
二人の影が宙を舞う。晨の
「お前ら……」
「須佐男、おれたちが全て防いでやるよ!」
「だから、絶対救い出せ!」
弦音が空気を切り裂き、大きく踏み込む足音が鳴る。
紋様は飛び出したのは良いものの、大きく気を引く双子に行くか阿曽たちに行くかを迷った風に見えた。その隙を、双子が見落とすはずがない。
「「
双子から放たれた紫色の光刃が唐草紋様を襲う。鋭く斬り潰し、突き破った。
──ギイィィィィィッ
──おおおおおぉぉぉっ
紋様が断末魔を上げるのと同時に、阿曽たちが剣を思い切り突き通す。すると唐草紋様が燃え落ちるように消えて、本来の太陽の紋様が露わになった。
自由になった紋様はカラカラとその場で回り、少しずつその速さを速めていく。やがて目にも止まらない速さで回り始め、阿曽たちは言葉を失った。
(綺麗だ……)
白い光と橙、赤、黄色。そんな温かい色が交差し、紋様の後ろに浮いている岩を包み込んでいく。
ぼんやりとその様子を見守っていた一行は、突然放たれた光に目を閉じた。
「……?」
阿曽が薄目を開けると、須佐男たちが何かを見上げているのが見えた。それ程強い眩しさを感じなかったために大きく目を開けると、阿曽の前に驚くべき光景があった。
「あれ、は……」
「たぶん、
阿曽の呟きに応えたのは須佐男だ。彼もまた、つり目を大きく開けて見入っている。
光に包まれていた岩が崩れ、封じられていたものが現れたのだ。それは成人した男であり、目を閉じた面差しは須佐男と月読にどこか似ている。
封印されていた間は時が止まっていたのか、髪や髭が伸びていることもない。須佐男と同じ黒髪で、それ程がっちりとはしていない比較的細身の体躯だ。
「……父上」
阿曽の呼び掛けに反応したわけではないだろうが、浮かんでいた日子が徐々に下りてきた。やがて阿曽の目の前にまで動き、突然光を失った。
「うわっ」
ドサッと音をたてて日子が落ちる。阿曽は何とか受け止めようとしたが、大人の重さに耐え切れずによろめいた。
「おっと」
「危ない」
「大丈夫かい?」
「ありがとうございます。須佐男さん、大蛇さん、温羅さん」
三人が日子と阿曽を支えてくれ、どうにか転ぶことだけは回避した。ほっと息をつくと、突然頭をわしゃわしゃと搔き撫でられた。しかも左右から。
「ちょっと、何を」
手で払い除けようとしたが、躱されてしまう。誰が犯人かと顔を上げれば、晨と宵がニヤニヤと阿曽を見下ろしていた。
「よかったな、阿曽」
「これで、ようやく達成だな」
「……そうですね」
ずしり、と体に日子の重さがかかっている。胸が動き、息をする音も聞こえているため生きているのは間違いない。
阿曽は安堵と喜びとで弛みそうになる顔を見られないよう、そっと俯いた。そんな彼の心情を思ってか、須佐男たちは何も言わない。
「…………あの」
沈黙が続いてしばらくして、阿曽がおずおずと顔を上げた。すると須佐男と晨が近付き、日子の脱力した体を受け取ってくれた。すっと体が軽くなり、動きやすくなる。
重いと言ったわけでも代わって欲しいと思ったわけでもなかったが、阿曽はあえてそれには触れない。
言いたいことは別にある。
「どうした、阿曽?」
温羅が阿曽の顔を覗き込み、首を傾げた。阿曽と同じ赤い瞳が、阿曽を心配している。
これ以上心配させてはいけない。阿曽は意を決して勢いよく頭を下げた。
「────っあの、ありがとうございまし……うわぁっ!?」
「それは、高天原に帰ってからだ」
深々と頭を下げて感謝の言葉を伝えようとした矢先、阿曽の頭が自分の思った以上に押し付けられる。悲鳴を上げて顔を上げれば、須佐男が腕を組んでそっぽを向いていた。
そんな須佐男の横腹を、大蛇が楽しそうにつついている。
意味がわからず目を瞬かせる阿曽に、温羅が耳打ちした。
「須佐男は、寂しいんだよ。勿論、わたしたちもね。だから、きちんと帰るまではその言葉を言わないであげてくれるかい?」
「わかりました」
ちょっと嬉しくなって、阿曽ははにかんだ。阿曽も温羅たちとの旅が終わるのを寂しく思っていたのだ。だから、自分だけではないとわかってほっとした。
「さて、どうやって帰ろうか……」
頃合いを見計らった大蛇が、その場にいる全員に尋ねる。しかし、帰り方を知っている者は誰もいない。
「……あれ?」
八方塞がりかと思われた時、阿曽の足下に紋様が浮かび上がった。それは唐草紋様にがんじがらめに閉じ込められていた、あの太陽の紋様に似ている。
「もしかして───」
阿曽が言い終わるより早く、紋様から溢れ出した透明な光が、七人を包みその場から消えた。
阿曽たちの姿が消えると同時に、天岩戸を擁していた空の空間も搔き消えていた。
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