第112話 少年の叫び

「阿曽っ!」

「うわっ」

 温羅が阿曽の腰を抱え、跳び上がる。二人が地上を離れた瞬間、阿曽が立っていた場所に唐草文様の帯が突き刺さった。そのまま立ち尽くしていたら、間違いなく死んでいただろう。

「温羅さん、ありがとう」

「全く。ぼーっとしているから気が気じゃなかったよ」

 着地して阿曽を下ろすと、温羅は苦笑いを浮かべた。次の瞬間には再び襲ってきた文様を剣で弾き、阿曽に向かって「それで?」と尋ねる。

「え?」

「阿曽があの場でただ突っ立っていたとは思えない。何か気付いたのかい?」

「―――はい」

 神妙な顔で頷くと、阿曽は人差し指を村長むらおさのいる方に突き付けた。

「宵の矢が、右肩に突き刺さりましたよね」

「ああ。だけど、すぐに抜かれて―――」

「でも、あの人の右腕、

「えっ」

 温羅が振り返るのと、文様がこちらに襲い掛かるのはほぼ同時。危うく吹き飛ばされるところだったが、二つの間に須佐男が入り込んだことで事なきを得た。

「須佐男」

「危ねぇぞ、温羅」

「すまない」

「だが、阿曽の言うことは正しい」

 そう言って歯を見せると、須佐男は村長の右側に跳び下りて気合と共に剣撃を放った。衝撃波となって文様の隙間を突いた技は、村長の右側を襲う。

「無駄だ」

 村長の右側に新たな文様の帯が浮き上がり、須佐男の攻撃を撥ね返した。しかし目を凝らしてみれば、確かに右半身は動いていない。

 否、動かせないのだ。

「どうやら、おれの一矢いっしは無駄じゃなかったみたいだな」

 宵が晨と共に文様を掻い潜って合流した。にやりと笑った宵の顔を見て、阿曽は彼の背中の傷が深くなかったことに安堵した。

「……そして、天恵の力は有効ってことだな」

 堕鬼人の魂を来世へと繋げる神秘の力、天恵。その力を宿した阿曽たちの武器は、確かに村長にも効くらしい。

 晨が神度剣を振って文様を斬り裂くと、切っ先を村長を守る文様の渦へと向けた。

「兎に角、あれをどうにかしないことには何ともならないぞ」

 文様は、斬れる。しかし、すぐに新たなものが地面から噴き出して補完されてしまうのだ。

 未だに物理攻撃に出て来ないところを見ると、村長の攻撃手段は唐草文様のみなのだろうか。即決することは出来ないが、仮定すれば突破口が見えて来る。

「みんっ―――くそ」

 須佐男が口を開いた瞬間、鋭利な刃物のような文様が空から地面に突き刺さった。全員が跳び躱し、それぞれに距離が出来る。

「くそっ。合意する時間もないってか」

「相手からしたら、多勢に無勢。たった一人での応戦なんだから、僕らに隙は与えたくないよね」

 須佐男の傍に着地した大蛇が、村長から視線を外さずにそう言った。

「それはそうだが……あぁ、くそ。仕方ないな!」

 考えることが面倒くさくなり、須佐男は咆哮を上げた。集まれないのなら、届かせれば良いだけの話だ。

「温羅、炎で地面を焼け!」

「わかった」

 温羅の地速月剣ちはやつきのつるぎが紅い光を帯び、それが燃え盛る炎と化す。

炎鬼刃撃えんきじんげき───開花!」

 炎の刃が地面を駆け、それが花が開くように広がっていく。すぐに、辺り一面火の海となった。

 阿曽は炎から逃れようと走りかけ、温羅に掴まった。迫り来る炎から身を固くすると、遠慮なく炎が阿曽たちを包む。

 悲鳴を上げそうになった阿曽だが、不思議な現象に驚いて目を瞬かせた。

「あっつ……くない?」

「これは、わたしたちを傷付ける炎じゃない。敵のみを──今は、あの唐草紋様だけを燃やす」

 阿曽を離し、温羅が説明してくれる。確かに、地面を駆け巡る炎は味方を誰一人として傷付けていない。

 晨と宵は阿曽と同じように炎から身を退いたが、火傷しないことに気付くと目を見開いた。

「おい、見ろ!」

 晨が指差す方を見れば、地面から生えている唐草紋様が生き物のように身をくねらせて苦しんでいる。

 ──ギイィッ

 つんざくような悲鳴を上げ、紋様が炎から逃げようと移動する。火が付いた箇所が焼け落ち、無惨な姿を晒す。

「あっ!」

 紋様の一部が炎の範囲から逃れ、再び紋様を増幅させる。そして阿曽たちに襲いかかろうと降りかかる。

 しかし、それは水流によって遮られた。

「僕のことを忘れては困るな」

 天羽羽斬剣あめのははきりのつるぎに淡く翠に輝く水流を纏わせた大蛇が、ニヤリと笑う。彼の傍で、須佐男が指示を飛ばした。

「大蛇、逃げる紋様を水で捕らえてくれ」

「任せろ」

 頷くと同時に、大蛇は剣を横に構えた。

水刃舞斬すいじんぶざん───渦潮」

 横一文字に空間を撫で斬ると、斬撃が渦潮に変化した。それは逃げる紋様を捕まえ、逃がさない。

「炎と水が、踊ってるみたいだ……」

 一方では真っ赤に燃え、もう一方では翠の激流がうねる。その光景を、阿曽は「踊ってるみたい」と評した。

 そんな阿曽の肩を、須佐男が軽く押す。

「さあ、反撃だ」

 見れば、唐草紋様に守られていた村長の周囲ががら空きになっている。温羅の炎は村長を焼いてはいないらしく、村長は余裕を失った顔で幾つもの紋様を出現させていた。

 しかし、紋様は現れた途端に炎に焼かれ、水に溺れさせられて消えていく。

「くっ───この、バケモノどもが!」

 どろりとした、粘着質の憎悪が阿曽たちに降りかかる。唐草紋様が勢いを取り戻し、幾つかの帯が炎と水を凌駕し出した。

 それに対応しようと、温羅と大蛇の力が解放される。力の凄まじさに、大風が吹いた。

 荒れ狂う中、村長の牙とも言える紋様の刃が晨と宵に迫る。大風の中、気付いた双子が反撃しようとするが、紋様の方が速い。

「させるかっ!」

「やらせない!」

 温羅と大蛇の斬撃が追うが、間に合わない。

「───駄目だ!」

 阿曽の中で、何かが切り替わる。その瞬間、目映いほどの光が満ちた。

「俺たちは、守りたいものを守るだけだ。お前のような……他人ひとを憎むことでしか戦えない奴とは違う!」

 少年の悲鳴のような叫びが響き渡り、黄金の光が村長を貫いた。

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