堕ちた絆
第111話 激突
たった一枚の布だが、晨はそれを斬り落とした。袈裟懸けに斬られた布は、音もなく床に落ちる。
「―――ッ」
途端、空気が変わる。冷汗が背を伝い、阿曽は熱があるのを一瞬忘れた。
阿曽たちの目の前に、何者かが立っている。その者の腕には唐草文様が絡みつき、徐々に体へと侵食している。俯いているために表情は窺えないが、こちらには気付いているはずだ。
「「父上……」」
晨と宵が男に呼び掛ける。ゆらり、と体を揺らし、男はこちらに目を向けた。虚ろな目には闇が広がり、深淵に至るまで光の影はない。
「両面宿禰、か」
―――キィィンッ
空間を裂き、
「天恵の力、神殺しの力。それらを手に入れ、人喰い鬼様を殺したか」
「そうだ。そして……おれたちはお前も
矢をつがえる宵の隣で、晨がそう宣告する。
ピンと張り詰めた空気の中、村長の両手が挙がっていく。肩を越え、耳の傍を越え、止まる。次の瞬間、振り下ろされた両手から唐草が噴き出す。
「うわぁっ」
「くっそ」
前線の晨と宵がそれぞれに応戦し、後方の阿曽たちも文様に襲われた。
晨は剣を振り回し、止めどなく溢れる文様を斬り倒す。宵は素早く文様の波を躱しながら、隙を見て矢を放つ。
「須佐男、隙を作るなよ!」
「勿論だ」
大声で応じた須佐男は、
「阿曽、無理するなよ!」
「やれるだけ、やります!」
村長の右手首に嵌まった腕輪からは、黒々とした瘴気が巻き上がっている。それを中心として、村長の足下から真っ黒な唐草文様が列を成して噴き上がる。
鬱屈とした
「……印象が、まるで違う」
阿曽の脳裏に、初めて出会った時の村長の様子が蘇る。村長として冷静に穏やかに、そんな印象があった。しかし今、目の前にいるのはあの時の人ではない。
「―――
人の想いが堕ちた姿、それが堕鬼人だ。叶えんとして努めるも届かず、人外の力に縋ったが故に生まれた存在。その悲しさと哀れさは、何度も目に焼き付けてきた。
「我が願いは、人喰い鬼様と共に。両面宿禰は、いらぬ」
「っのやろう」
静かな感情の籠らない言葉が、鋭利な刃物となって双子に突き刺さる。晨は耐えられずに突進し、村長の胸を剣で突こうとした。
しかし、それは文様に遮られる。
「グッ」
「晨!」
唐草文様が晨に絡みつき、両手両足を拘束して吊り上げる。体を広げられ、ギリギリと締められる。晨が呻き声を上げると、宵が悲鳴に似た声で兄を呼んだ。
「晨を離せ!」
弓矢を構え、宵が複数の矢を放つ。真っ直ぐに村長へと向かって行く矢は、彼の手のひらで止められた。二つの間には、指一本分ほどの距離がある。
村長が矢を空中で止めた左手を握ると、天波波矢が力を失って落下した。
「邪魔だ」
「―――がっ」
矢を落とされ目を見張る宵の首に、文様の帯が巻き付いた。少しずつ絞める力は強くなっており、宵は視界が霞む感覚を持つ。
それでもどうにかして帯を外そうと掻きむしるように帯に指を掛けるが、効果はない。このままでは落ちる、そう諦めかけた。
「……っぁ」
「宵!」
バシンッと音がして、急速に拘束の力が弱まる。それどころか、帯が形を失い崩れ落ちた。
何が起こったのかと宵が明瞭になった視界を見れば、大蛇が剣を振って着地した寸間だった。
「大蛇……」
「立ち止まっている暇はないだろ。怒りは当然だけど、今はその時じゃない」
「ああ、助かった」
自分よりも小柄な大蛇だが、時として宵よりも俊敏に動き戦況を把握する。今回は、それに助けられた。
宵が素直に礼を言うと、大蛇は軽く頷き再び唐草文様に向かって行く。
同時に、宵の視界の端で須佐男と温羅が動いた。二人は同時に晨を拘束する文様に飛び移ると、その上を駆けて行く。何度も他の文様に進路を妨害されるが、全て躱して晨の傍へとたどり着いた。
「須佐男、温羅……ッ」
限界まで四方向に引かれ、晨の体が軋む。悲鳴を上げそうになるのを堪えていた晨の傍で、須佐男と温羅が剣を振り下ろす。
「あっ」
急に肢体が自由になり、晨は空中から真っ逆さまに落下した。そのまま落ちれば木端微塵だったが、一瞬で体勢を整え、一番衝撃の少ない向きで着地する。若干体に痺れが走るが、問題ない。
「助かった」
「礼はいい」
「わたしたちがしたいことをしただけだよ」
晨の礼に、須佐男と温羅は冷たいとすら思われそうな言葉で返す。しかし、二人が戦いに集中しているだけで本当は優しいのだということを、もう晨は知っていた。
手と足の状況を、くるくると回して確かめる。少し痛みが走るが、戦いには関係ないくらいのものだ。
晨が顔を上げると、宵と目が合った。
「……」
「……」
双子は頷き合い、再び戦場に復帰する。
「くそっ。村長に訊きたいのに、近付けない!」
その頃、阿曽は最も村長に近い場所にいた。村長の姿は大量の唐草文様に阻まれ、直視することは出来ない。
何度も日月剣で斬るのだが、斬った傍からすぐに復活してくるために、きりがない。
しかし、諦めるわけにはいかないのだ。
(村長が、父上の居場所を知っているはずだ。それを訊いて助け出すまでは、絶対に諦めない)
もしかしたら、天恵の力は既に失われたのかもしれない。その場合、腕っ節と
阿曽は傷が疼くのを無視し、もう一度壁を切り崩そうと剣を振り上げた。その時、壁の隙間から村長の様子が見えた。
「……!?」
あることに気付き、阿曽は叫びそうになった口を手で押さえた。
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