第110話 仲間だから
「……これが、わたしが見たことの全て」
一連のことを語り終え、五十鈴は息をついた。目の前には、彼女の話を聞いて言葉を失う面々がいる。
その中でも、特に表情を険しくしているのが晨と宵だ。二人は睨みつけるように五十鈴を見詰めていたが、気付いた五十鈴が顔を伏せると動いた。
「―――ばかだろ、五十鈴」
「本当だな。……無茶するな、ばか」
「ばっ、ばかばか言わないでよ」
ふわりと双子に抱き締められ、五十鈴が顔を赤くする。二人の体にしがみつき、震える声を殺した。
本当は、怖かった。五十鈴は何度も心が折れそうになった。夢も悪夢しか見ることはなく、何度も黒い文様に襲われて精神をすり減らした。
幾度も会いたいと願った人々が、自分の傍にいる。五十鈴はようやく涙を流すことが出来たのである。
「……ごめん、なさい、皆さん。もう行かないとですよね」
まだ潤んでいる瞳を拭い、五十鈴が双子を離す。そして、にこりと微笑んだ。
「わたしは足手まといにしかならないので、ここで待ってます。皆さん、目的があるんでしょう? ……必ず帰って来て下さいね」
「勿論」
「必ず」
双子に続き、阿曽たちも頷く。
「俺は、父を探しに来ました。その鍵を、村長が持っていると知ったので」
「オレたちが、必ず村を襲うあれを倒す」
「五十鈴は、捕まらないように隠れていてくれ」
「晨と宵と、必ず戻るから。彼らをきみの元へ返すまで待っていて」
「……ありがとう、ございます」
温羅の「晨と宵を自分の元へ返す」という言葉に、五十鈴は嬉しそうに首肯した。
五十鈴を木の陰に隠し、阿曽たちは門の前に立った。その奥からは、得体の知れない地に沈むような音と、寒々とした殺意が沸き上がっている。
「……行くぞ」
晨が門に両手を置き、ぐっと力を入れる。すると門はギギッと抵抗せずに開いた。
先の様子を確かめながら、ゆっくりと進む。幾つかの建物の横を通るが、見張りなどはいない。ただ、頭上では唐草文様が動き回っている。
晨と宵は、何処かを目指して迷わず歩いている。彼らの後を黙って追っていた阿曽は、ふと立ち止まった彼らに目的地を尋ねた。
「何処に向かってるんだ?」
「……父の部屋だ。そこが、方角的に一番濃い」
「気配?」
「そう。あの唐草文様、父の腕輪に刻まれていた模様によく似ているんだ」
晨と宵にそれぞれ答えを貰い、阿曽は再び顔を上げる。邸の内部から見ると、見える範囲の空が全て文様に覆われているようだ。
ごくん、と唾を呑み込んだ阿曽は、今更ながらハッと人喰い鬼が残した最後の敵の正体に気が付いた。
「村の人たちを襲わせたのは……」
「おれたちの父上で間違いないだろう」
晨の返答に、阿曽は神妙に頷くしかなかった。須佐男もそうだが、双子も父との関係性が変化している。
そんな阿曽の頭に、ぽんっと大きな手が置かれた。見上げれば、少し痛そうな顔をした須佐男が阿曽を見下ろしていた
「血を分けた親と戦うのは、正直しんどいぞ。相手がどんな姿であっても、心の何処かで期待してしまうからな」
何処かで、また戻って来るのではないかと期待する。その期待が裏切られるとわかっていながらも、もしかしたらが捨てられない。
「須佐男さんも?」
「まあ……ちょっとな」
失笑気味に笑う須佐男が痛々しく、阿曽はぎゅっと拳を握り締める。
「───っ」
「大丈夫かい、阿曽!?」
突然表情を歪めた阿曽に、温羅は彼の肩を支えた。すると、阿曽の体が熱を発しているのがわかる。
「阿曽、きみは……」
「いえ。まだ倒れるわけにはいきません」
温羅を押し退け、阿曽は進もうとする。彼の目線の先には唐草文様が蠢く地があり、そこ以外を見ていない。
温羅はそれでも阿曽を止めようと手を伸ばすが、須佐男に遮られた。
「須佐男」
「温羅、お前が止めても無駄だ。オレたちが、あいつがこれ以上傷つかないよう戦うしかない」
「……だな」
諦めの顔で笑うと、温羅は自分の腕を掴んでいる須佐男の手を押して離させた。
阿曽が生真面目で頑固で、融通が利かないのは最初からかも知れない。そこは、少し阿曽媛と似ている。だからといって特別扱いしないと決めていたはずなのだが、仲間から見ればそうではないらしい。
「温羅、阿曽の兄貴みたいだよな」
「そうなんだよ。だから、オレたちが止めないと突っ走る」
「……ほっとけ」
一部始終を見ていた大蛇が笑い、須佐男が大袈裟に肩を落とす。
そんな友たちの反応に気恥ずかしさを覚えながら、温羅は彼らの先を行く。既に晨と宵、阿曽は目的地に達しかけている。急がなければ、同じ場所にはいられない。
「行くよ。須佐男、大蛇」
「任せろ」
「ああ」
三人は各々の得物を手に、おどろおどろしい雰囲気を醸し出す戦場へと駆けた。
晨と宵は父の部屋の前に立ち、ごくりと喉を鳴らす。
一枚の布を介して分かれた中と外。この境界を抜ければ、後戻りなど出来ない。否、既に戻らないと決めている。
「晨」
「宵。行くぞ」
二人が頷き合い、境界を越えようとした。その時、二人の方がそれぞれ後ろに引かれる。
「うわっ」
「な、何だ!?」
のけ反るようにして体勢を崩された双子は、どうにか転ぶことなく上半身を戻す。そして、こうなった原因を作ったはずの者たちを振り返る。
「お前ら!」
「何すんだよ!」
晨の肩を引いたのは須佐男、宵の体勢を崩したのは大蛇だった。彼らの後ろで、温羅と阿曽が苦笑いしている。
須佐男と大蛇の手を払いのけて噛み付く双子に、大蛇は「勝手に行こうとするからだろう」と苦言を漏らした。
「仲間が無暗に走ろうとしていたら、止める。止めて、共に戦うのが仲間だろうが」
「前に敵だったとしても、人喰い鬼を退治たオレたちはもう仲間だ。―――それにこの先には、阿曽の父親も捕らえられているかもしれないんだからな」
「大蛇、須佐男……」
「ふっ。仲間、か。仕方ない」
晨と宵は苦笑し合い、立ち上がる。そして、今度は仲間と共に乗り込んだ。
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