第108話 五十鈴が見たもの

「五十鈴、絶対当てないから耐えてろ!」

 そう言うと同時に、宵が天波波矢あめのははやを放つ。矢は影のように広がる唐草紋様の端に突き刺さった。

 ―――ギイイィィィィィィッ

 途端に模様から悲鳴のようなおぞましい音が響き、五十鈴が苦悶の表情を浮かべる。と同時に影が脈打ち、ズルズルと邸の中へと引き下がって行った。

「「五十鈴ッ!!」」

 力なく目を閉じる五十鈴を抱き起した晨と、彼女の額に手をあてる宵。二人は共に焦燥を浮かべていたが、五十鈴が眠っているだけだと気付いてため息をついた。

「よかった……」

「ったく、驚かせやがって」

「五十鈴さん、大丈夫?」

 阿曽が駆け寄ると、晨が「ああ」と頷いた。彼に支えられた五十鈴は、規則正しい寝息をたてている。苦しんでいる様子もなく、阿曽はほっと一安心した。

「よかった。……でも、どうしてこんなことに」

「こいつから聞くのが手っ取り早いけど、起こすのはかわいそうだ。……だから」

 五十鈴の額から手を引き、宵は邸を見上げた。相変わらず重苦しい空気をかもし出すその場所は、最早根の堅洲国に似た雰囲気を持っている。

 邸を睨みつけ、宵は呟く。

「当人に聞いた方が良いだろ。――どうして、護るべき民を傷付けるのか」

「だな」

 宵に同意した晨は、五十鈴を抱き上げる。そして邸から離れ、近くにあった大木の幹にもたれさせた。

「一緒に来させるわけにはいかない。ここにいれば、少なくとも中よりは安全だろ」

「でも、外から敵が来たら」

 堕鬼人は消えたはずとはいえ、それを目で確かめたわけではない。それを理由に阿曽が言うと、宵が「それなら」と矢筒から矢を一本抜いた。

「これを一本、五十鈴の傍に置いて行こう。神の力が宿った矢だ。こいつを守ってくれるだろ」

 気休めだがな。そう言いつつも、宵の表情は少し和らいでいた。

「支度は済んだか?」

 一連の流れを見守っていた須佐男が、双子と阿曽に問う。今更ながらに見られていたのだと知り、晨と宵の頬に朱が差した。

 それに気付かないふりをして、温羅と大蛇は邸を見上げる。彼らの目から見ても、これは異常だ。少なくとも、ただの人に出せる力ではない。

「温羅、どう思う?」

「……村長は、ただ人ではないということは確かだね。最も考えられるのは、人喰い鬼の仲間となっていたということかな」

 そう考えれば、この村に温羅たちが来た時の対応も納得出来る。あれほど嫌悪されて敵意を剥き出しにされた理由を推測し、温羅は眉を寄せた。

「ただ、その推測があたっているとなれば……」

「おれたちのことは気にしなくていい。どうせ、一度捨てられた身の上だ」

 温羅の心配を撥ね付け、晨は唇を歪めた。

「おれたちは、父に認められるために旅に出た。……だが、その父が倒すべき敵であるのなら、喜んで弓を引く」

 宵も晨に同意し、阿曽たちに背を向けた。阿曽は彼らに何か声をかけたかったが、温羅に肩を掴まれ止められる。うまい言葉を見付けることも出来ず、阿曽はグッと拳を握り締めた。

「……なら、行くか」

 須佐男が天叢雲剣あめのむらくものつるぎを構え、門を壊そうと一歩前に出る。まさに剣を振り抜こうとした、その時だった。

「うっ……」

「五十鈴!」

「気分は!」

 背後でかすかに聞こえた呻き声に、双子が真っ先に反応する。須佐男も剣を下ろし、五十鈴の方を振り向いた。

「……晨、宵? どうして」

「どうしてなのはお前の方だ!」

「こ、こんなところで倒れていたら、驚くだろうが!」

「ご……ごめん」

 起き抜けに怒鳴られた五十鈴が肩を落とすと、双子は言い過ぎたかと顔を見合わせた。その様子を見ていた温羅は、苦笑いを浮かべながら三人に近付く。

「晨も宵も、五十鈴が心配なのはわかるけど落ち着いて」

「なっ」

「べ、別にそんなこと」

「―――あるだろう? こんなところで意地を張らなくていい」

 その一言で双子を黙らせ、温羅は五十鈴の前に膝をつく。

「あ……。温羅、さん?」

「久し振りだね、五十鈴。……この村で何があったのか、わたしたちに教えてくれないか?」

「……はい」

 五十鈴は小さく頷くと、温羅たち一行を順番に見た。そこにいるのが味方のみであると知り、五十鈴の表情は和らぐ。

「あれは、皆さんが旅立ってからしばらく後のことでした」


 堕鬼人に壊された村の復興が進み、人々の顔に笑みが戻りつつあった。村長むらおさを始めとした人々の尽力により、活気も元通りになってきた。

 そんな村の様子を離れた自宅から見守っていた五十鈴だったが、ある日の晩、眠れずに家の外に出た。闇夜に閉ざされ、空気はひんやりと肌を刺す。

 新鮮な空気を吸い込み、五十鈴はもう一度自宅に戻ろうと踵を返した。しかし、物音を聞いて振り向く。

「……何?」

 まるで、大きな岩が引っ張られる時のようなズズズという音がする。そのかすかな音に不安を覚え、五十鈴は足音を殺して静かにその音の方へと向かった。

 何処かで梟が鳴いている。足下の草むらを鼠が駆ける。それらにいちいち怯えながら、五十鈴はようやく音のする源へとたどり着いた。

「ここ、村長の家?」

 かつて、晨と宵を捨てた男の邸だ。真夜中のため門は固く閉じ、中の様子を窺い知ることは出来ない。

 しかし、雰囲気がおかしい。空気が重苦しい。五十鈴は普通に息をすることすら難しくなり、その場に膝をついた。

(これは、何? やけに重くて、恐ろしい)

 鳥肌が立ち、足が震える。暗闇よりも深く恐ろしい闇の淵を見た気がして、五十鈴は自分を叱咤し立ち上がった。

「もど、らなきゃ」

 己を鼓舞し、意識して足を動かす。何度も崩れ落ちそうになったが、五十鈴はどうにか自宅に戻ることに成功した。そしてそのまま、気絶するように寝床に倒れ込んだのだった。



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