第107話 唐草紋様
「……おかしい。生き物の音がしない」
「ああ。まるで、全部なくなったみたいだ」
人喰い鬼がこの世から消え、同時に堕鬼人も消滅したはずだ。にもかかわらず、村の中からは危険な雰囲気が漂ってくる。どろどろとべたつくような、嫌な空気だ。
「おそらく、ここは敵の巣窟だな。気を抜いたら最後、引きずり込まれる」
警戒しろよ、と須佐男が言うよりも速く、晨と宵が走り出す。その速度は、尋常ではない。何かに追い立てるように、村の中へと消える。
「えっ……?」
「阿曽、追うぞ!」
「───っ、はい!」
双子の瞬発力に追い付けずぼーっとしていた阿曽は、温羅に背中を叩かれて我に返った。三人と共に走り出す。
まとわりつく瘴気のようなものを振り払いながら、阿曽たちはただ真っ直ぐに奥を目指した。
「っはぁ、はぁっ」
「晨、聞こえたよな?」
「ああ。あれは間違いなく───」
同じ頃、晨と宵は自分たちの実家近くまで至っていた。しかし、そこまで誰とも出会っていない。
不審が確信へと変わり始めた時、彼らは立ち止まった。
二人の前には、瘴気を溢れさせた邸がある。それはかつて、彼らが生まれた故郷だった。両親に愛されることはなかったが、殺されもしなかった幼き頃の思いが蘇りそうになる。
しかし今、双子はそれを振り切った。そして、邸の前に倒れている少女に手を伸ばす。
「「
「だ、め……。来たら……」
かすれて消えそうな声で、五十鈴は首を横に振る。彼女は身体中に傷を負い、血がにじむ二の腕を抱き締めるようにして体を横にしていた。
衣は破られ、胸元が見える。普段ならば赤面する場面だが、泣き濡れる娘を前にして起こるのは、戸惑いと怒りの感情だ。
晨と宵は五十鈴の制止に身をこわばらせたが、晨がそんなものは関係ないとばかりに駆け出そうとした。
「待て」
しかし、宵に肩を掴まれ動けない。弟に怒りをぶつけそうになった晨は、宵の指差すものを見て瞠目した。
「あれは……」
「思い出せ。見ただろう、あの紋様を」
五十鈴の両足の肌を這うように、唐草紋様が広がっている。それは肌を出て地面にも広がりを見せ、五十鈴を拘束しているように見えた。
ざわざわと
「宵、あれは何だ」
「おれが知っているなら、晨も知ってるだろうさ」
「違いないな」
額を伝って頬に至る冷や汗を拭い、晨は五十鈴を見た。宵もまた、兄の隣で視界を同じくする。
五十鈴は時折痛むのか、顔を歪める。彼女の体にまとわりつく紋様は、彼女の体をそれ以上這い回ることはないようだ。
ただ、ズズッと奇妙な音をたてながら、地面を這いずる。それはやがて邸の門に至り、壁を上り始めた。
晨と宵は目を見合わせ、突破口を探す。しかし、五十鈴を救い出す手だてを思い付けない。
「……っぁ、はぁ……」
弱々しい息をして、五十鈴は閉じそうになる目を必死に開ける。その霞んだ瞳に、焦燥を
「……宵」
「わかってるさ、晨。何となくだがな」
双子は頷き合い、自分たちの家を見上げる。その奥に、今対峙すべき男が待ち受けているはずなのだ。
そして、双子は男に煽られている。彼らの大切な家族である五十鈴を辱しめ痛め付けることで、単調で突発的な行動を起こさせようとしている。
「───はっ」
宵が大きく息を吸い、吐き出す。隣では、晨も同様の行動を取った。
その時、後ろから聞き慣れた声が響く。
「晨、宵ッ!」
「阿曽」
「おせぇよ、お前ら」
双子が振り向くと、息を切らせて胸を押さえる阿曽の姿があった。そして、彼の傍には須佐男と温羅、大蛇がいる。彼らも息は上がっていたが、阿曽ほど顔を真っ赤にはしていない。
息を整え、阿曽は顔を上げると同時に双子につっかかった。
「突然、走り出さないでよ。びっくりして、出遅れたじゃないか」
「それは悪かった。……だけど、いても立ってもいられなかったのはわかってくれ」
「何、を……っ!」
阿曽の顔色が悪くなる。その視線の先には、黒々とした唐草紋様に侵される五十鈴の姿があった。
「これはっ」
「……あれは、人喰い鬼の」
「っくそ、見せしめのつもりか?」
温羅と大蛇、須佐男も阿曽の視線の先に気付き、呻く。
須佐男の言う通り、五十鈴は見せしめだろう。村人たちはこうして消えた。次はお前たちだ、と伝えるために。
「だから、お前たちはここから逃げ……」
「……っ、だったら、俺たちでその連鎖を絶ち切ってやれば良い!」
晨の言葉を乱暴に遮り、阿曽が叫ぶ。その剣幕に目を見張った双子だったが、次いで笑いたい衝動に駆られた。
──ああ、こいつは前しか向いていない。
目の前でこちらを睨み付ける少年は、ただ真っ直ぐだ。それを改めて突き付けられ、双子は苦笑する。
折角逃がそうとしていたのに、と宵は笑った。
「これ以上踏み込めば、戻れないぞ?」
「今更? 俺たちは、仲間だろ」
だから、逃げずに戦うのだ。その敵が、血を別けた親であったとしても。
ぶれを見せない阿曽の頭に、温かな手が置かれる。置かれるだけではなく、ぐしゃぐしゃと阿曽の髪を撫で乱した。
「くははっ。よくわかってんじゃねぇか、阿曽」
「須佐男さん!?」
「オレたちの目的は同じだ。人喰い鬼の残骸を葬る。違うか?」
阿曽の頭に肘を置き、須佐男は双子に問う。見れば、温羅と大蛇も問うような視線を向けていた。
「ここに来て、帰れはないよね」
「僕らは自らの意志でここにいる。……まずは、五十鈴を助けよう」
五十鈴は、大蛇たちにも良くしてくれた。排除しようとする
心優しい娘を、どうして見捨てることなど出来ようか。
「───後悔するなよ」
「絶つぞ」
晨と宵は剣と弓矢を構え、五十鈴を縛る紋様に向かって刃を向けた。
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