天岩戸の章
父を探して
第106話 後悔のない道を行く
人喰い鬼との戦いが決着し、阿曽たちは高天原へと戻ってきた。
阿曽は人喰い鬼によって傷つけられた傷から高熱を発し、温羅に背負われて戻ることになった。温羅は体を揺らさないよう、気を付けながら歩く。
神殿の前に立ち、須佐男は腰に差した剣の柄に触れた。
「さて。姉貴と兄貴は何と言うか」
「訊くしかないだろう。天岩戸とは何なのか」
「だな」
大蛇に言われ、須佐男は決意を固める。神殿の階段に足をかけ、ゆっくりと歩を進めていく。
凱旋のはずだが、 まだ手放しでは喜べない。
「姉貴、兄貴」
「お帰りなさい、須佐男。みんな」
神殿の中に入ると、天照と月読が揃って待ち構えていた。天照は手を広げて歓迎の意を示すと、くるりと踵を返した。
「ついてきて。……全て、話すから」
「全てって」
「人喰い鬼……父上が
須佐男の戸惑いに、月読が応える。ハッと自分を見詰める弟に、月読は天照について行けと頷いた。
「あの」
神殿の奥へと進もうとする一行に、温羅が待ったをかける。背中の阿曽が、痛みのためか呻いたのだ。
「天照さん、阿曽を休ませても良いですか?」
「勿論。激闘で怪我をしたのね。こちらに部屋を用意しているから、そこに……」
「い、いいえ」
「阿曽?」
天照の提案を遮り突っぱねたのは、温羅に背負われた阿曽だった。はぁはぁと今にも途切れそうな息を吐きながら、温羅の制止を振り切って声を上げる。
「聞かせてください、俺にも」
「阿曽、でもきみは」
「大怪我をしているってことは、わかってます。だけど、父、うえのことは、俺の問題でもあるから、聞きたいです。お願い、しますっ」
「……」
途切れ途切れの訴えとその必死さが、温羅と天照を黙らせる。
ため息をつき、天照は諦めを含んだ笑みを浮かべた。六人を先導するため、こちらに背を向ける。
「来て。阿曽もね」
「───はい」
天照と月読を追って、須佐男たちは改めて神殿の奥へと向かった。
入ったのは、何度か集まったことのある天照の執務室だ。そこに車座で座り、天照の言葉を待つ。
「……わたくしたちには、もともと一番上に兄がいたの。知っての通り、日子兄上。彼は父上を超える光の力に満ちていた」
高天原と中つ国、更に黄泉国を創った伊邪那岐にとって、日子はかわいい我が子であると同時に憎らしい敵でもあった。
しかし最初は伊邪那美の存在もあって、
「父上は、兄上を天岩戸に閉じ込めた。父上の心に気付いていた兄上が、自ら中つ国へと降りて、高天原と関係を絶っていたにもかかわらず。……阿曽、思い出した記憶の中にない?」
「記憶の……? ……あ」
しばし考えに落ちていた阿曽は、ふと浮上してきたものを掴まえる。日子が自分と母を残し、家を出ていった記憶が
あの時、父は何と言ったか。何処に行くとも何をするとも阿曽には告げなかったが、悲しげに何かに耐えていた母の涙が印象的だ。
そうだ。『
「……それから父は、一度も姿を見せませんでした。しばらくして母が殺され、衝撃を受けた俺は記憶を失ったんです」
全てはそこから始まった。
独りで森に暮らし、温羅たちに出逢い、今に至る。その運命的で不思議な出逢いは、伊邪那岐と日子の関係性から始まったのだ。
「そう。二人は対立を余儀無くされ、日子兄上は囚われた。……天岩戸へ行く?」
「はい。俺は、父に会いたいです」
確かに頷き、はっきりと告げる阿曽に、天照は「わかったわ」と応じた。そして、少年の手に丸薬を渡す。使うかは自分で決めなさいと言った上で、薬の効用を説明する。
「それは、一時的に体の熱と痛みを消してくれる。だけど、時が来ればそれらが再び戻ってくるわ。……痛みが戻る前に、高天原に帰ってくること」
「はい」
薬の使用は、危険と隣り合わせだ。それでも、と阿曽は丸薬を飲み込んだ。
阿曽が薬を飲んだのを見届け、天照は彼の後ろに固まっていた須佐男たちに目を向け、問う。
「あなたたちはどうする?」
「姉貴、行くに決まってるだろ。これは、父……いや、人喰い鬼が残したものだ」
「ああ。僕らはまだ、全てを終わらせてはいないですからね」
「わたしたちがすべきことは、人喰い鬼が残したもの全てを終わらせること。そして、
須佐男と大蛇、そして温羅が間髪を入れずに言い切った。彼らの決意を笑みで聞いた天照は、四人の後ろに控えていた双子に目を移す。
「あなたたちは、どうする? 本来の目的、人喰い鬼を倒すというものは達せられた。このまま離れても共に進んでも、それはあなたたちの選択次第」
「―――選ぶ選ばないはない」
ようやく背中の傷が癒え始めた宵が、はっきりと物申す。晨も頷くと、天照を真っ直ぐに見詰めた。
「おれたちの父が、天岩戸を開く鍵だと聞いた。それを知って、父の処遇を他人に任せるわけにはいかない。宵と共に、おれも阿曽たちと行く」
「……あなたたちは、もともとその父に認められたくて堕鬼人を殺してまわっていたのでしょう? 父上と対立すれば認められることはおろか、家族として形を取り戻すことはなくなる……それでも?」
「「それでも」」
天照の重い問いに、晨と宵は声を合わせて答えた。
「戦って来て、わかった。始めは自分のためだったけど、今は違う」
「
「……そう。ならば、行きなさい」
敵として出逢ったはずの両面宿禰と阿曽たち。今、彼らの間には新たな関係性が結ばれている。
天照は後ろに控えていた月読を振り返った。すると彼は、無言で頷き姉の隣に進み出た。そっと手を前にかざすと、空中に両面宿禰の村の映像が映し出された。
「えっ」
動く映像に驚く阿曽たちを放置し、月読は自ら出した映像を指差す。
「この村に住んでいた晨と宵は知っていますね。
「その鍵が、父の腕輪……」
「そうです。ただ、当然ながら簡単に開く扉ではありません。開くには――」
「――父から、腕輪を奪い取る」
「もしくは、倒さなくてはね」
「そういうことになります」
双子の理解が早く、月読は頷くのみだ。しかし、双子の決断に異を唱える声が上がる。
「……良いのか」
「何が」
晨が尋ねると、須佐男は険しい顔を作った。
「人喰い鬼にの仲間とはいえ、村長はお前たちの父だろう。戦いの結果がどうなっても、後悔しないのか?」
「――お前はどうだった、須佐男」
反対に宵に問われ、須佐男は迷うことなく口を開いた。彼の瞳は揺れず、真っ直ぐだ。
「オレは……後悔していない。後悔しないと決めて臨んだ」
振り返れば、自分を信じて勝ち目の薄い戦いに身を投じた仲間がいる。そして自分も、仲間を信じたからこそ戦った。
須佐男の答えに、双子は顔を見合わせた。そして、ふっと笑う。
「だから、おれたちはお前らと共に行くと決めたんだ」
「取り戻すぞ。堕鬼人のいない、この世界を」
「―――覚悟は決まったようね」
天照は全員の顔を見回し、柔らかく微笑む。そして、行きなさいと背中を押した。
「帰る場所は、ここにある。今度こそ、終わらせなさい」
「ああ。またな、姉貴、兄貴」
須佐男は軽く手を振ると、仲間と共に再び中つ国へと降りていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます