第105話 最期の土産

「おおおおおぉぉぉおおぉぉおぉおおおおぉおぉぉっ!」

「があああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁあぁっ!」

 闇を引き裂く光の風と、光を呑み込む闇の嵐が吹き荒れる。温羅は暴風に体を持って行かれないよう耐えながら、阿曽と人喰い鬼の戦いを見守っていた。

「凄い……」

 阿曽の何処にこんな力が眠っていたのだろうか。そもそも、戦っているのは阿曽なのだろうか。そんな疑問が浮かんでは消える。

 温羅たちの目の前では、高速で動く二つの物体がぶつかり合っている。温羅たちだからこそ目で追えているが、通常は風が吹き荒れているようにしか見えないだろう。

 風の中で、阿曽が黄色い光を纏って駆けている。全力で。

 人喰い鬼の腕は、既に両方とも失われている。だから剣を持つことなど出来ないはずだが、彼は歯で剣を噛んで操っている。人喰い鬼の剣の刃は自在に動くため、その方法が可能なのだ。

「温羅、大丈夫か?」

「大蛇、須佐男」

 温羅が振り向くと、二人がこちらへ歩いて来るところだった。あしたよいはと探せば、少し離れたところにある大きな岩の影で風から身を守っている。

 大蛇も須佐男も、全身傷だらけだ。血を何度も流し、満身創痍である。

 それを指摘すると、大蛇が「お前もだろう」と苦笑した。

「オレたちのことはどうでもいい。今は、阿曽だ」

「ああ。……でも、ぼくらに出来ることは何もない」

「あるとすれば、信じることだけだね」

 温羅の言葉に、二人は頷く。そして、光と闇のぶつかり合いを見上げた。


「くっそ!」

 ――キンキンキンッ

 何度も響き渡る金属音の中、阿曽は必死に剣を振り回していた。縦横無尽に暴れ回る人喰い鬼の剣を弾き、何度も斬り結ぶ。

 自分の何処にこんな力が眠っていたのかと驚く暇もなく、阿曽は己の血から全てを賭けて戦っていた。

 阿曽の目の前にいるのは、両腕のない人喰い鬼だ。彼は瘴気の翼を広げ、目にも止まらぬ速さで動きながら刃を振るう。

「―――ッ」

 しかし歯を食い縛るように剣を咥えているため、言葉を発することはない。不自由であろうにもかかわらず、人喰い鬼はそんな素振りを一切見せない。

 むしろ、五体満足で戦っていた時よりも攻撃の激しさを増しているほどだ。

「痛っ」

 阿曽の二の腕に傷が入り、衣が裂かれる。阿曽は紙一重で命を繋ぐと、すぐに人喰い鬼の懐に入って刃を振るった。

 何度も何度も、数えられない程にぶつかり合い、刃の一部がこぼれる。これでは斬れ味に影響が出るが、阿曽は強気に攻め続ける。

 痛みが感覚を鋭敏にし、視界を明るく透明にする。

「今だッ!」

 人喰い鬼の刃が緩む。その一瞬を見分け、阿曽は人喰い鬼の胸を突き刺した。

「がっ……」

 ボロッと人喰い鬼の胸元が崩れる。信じられないという驚愕の表情を浮かべた人喰い鬼は、口から剣を離してしまった。

「な、何だと……」

 ドシャッと音を響かせ、人喰い鬼が落下した。地面に叩きつけられ、うわ言のように呟く。

 彼の傍に着地した阿曽は、体の均衡を保っていられずに倒れ込む。

「阿曽ッ」

 ガクン、と地面に頭から倒れかけた阿曽を救ったのは温羅だった。彼の温かさを感じ、阿曽はようやく息をつく。

「すみませ……うらさ……ごほっ」

「無理に喋るな」

 礼を言おうにも、このありさまだ。体中に切り傷や打撲が散り、流した血の量も笑えてしまうほどに大量だ。どうにか貼りついている衣の生地は、血と汗と泥で汚れてしまった。

 それでも、まだ気を失うわけにはいかない。

 喋るなと言う温羅に頭を振り、阿曽は無理矢理立ち上がろうとした。しかし体は正直なもので、力を込めてくれすらしない。あれほど阿曽に力を与えてくれていた黄色の光も、今ではもう見えない。

「うっ」

「阿曽、後はわたしたちに任せてくれ」

 再び阿曽を支え、温羅が微笑む。自分一人では無理だと判断し、阿曽は頷いた。体は耐えがたい痛みを訴え、阿曽を疲弊させている。

「温羅、阿曽を頼むぞ」

「ああ」

 温羅と阿曽の前に出た須佐男と大蛇は、少しずつ崩壊していく人喰い鬼の傍に立った。そして、その苦悶に歪む顔を見下ろして、問う。

「答えろ。天岩戸は何処にある」

「そして、どうして日子さんを捕えた?」

「……くっ、くはははは」

 胸が塵となり、崩れは足に向かう。そうなっても尚、人喰い鬼は嗤っていた。

「何が可笑しい?」

「いや……己の運命さだめを嗤ったまでだ」

 天叢雲剣あめのむらくものつるぎを突き付けられても、当然ながら人喰い鬼は態度を変えない。

 しかし、思うところはあったのだろうか。首より下が失われた時、大きく長いため息をついた。

「……天岩戸は、両面宿禰の里にある」

「おれたちの」

「里に……?」

 大きな傷を負った宵に肩を貸し、晨が近付いて来る。二人の呟きは、驚愕の色に染まっていた。

「晨、宵。心当たりは?」

「ない」

「おれもない」

 確認の意味を込めて須佐男が尋ねるが、晨も宵も頭を振る。知っていれば、人喰い鬼に尋ねさせはしない。

「くくく。そんなはずはない」

 しかし人喰い鬼は、双子の答えを嘲笑った。

「お前たちは、幼い頃からずっと、何度となくはずだ」

「鍵、だって?」

 晨が首を捻り、それは何だと人喰い鬼に問う。

 人喰い鬼は鼻で笑い、顎をしゃくった。そちらを見ろ、ということらしい。

「あれは……?」

 人喰い鬼の剣が、何かを地面に描いている。それはぐちゃぐちゃな落書きのように見えたが、双子は「あっ」と同時に声を上げた。

「晨、宵?」

「どうしたんだ、二人共」

 口元を押さえ震える双子に、須佐男と大蛇が声をかける。温羅と彼に支えられた阿曽も首を傾げた。

 すると、宵が「知ってる」と口にする。

「知ってる。おれたちは、あの文様を知っている!」

「……あれは何だ、宵」

「あれは……」

 須佐男に問われ、宵は視線を彷徨わせた。何かを知ってしまって動揺し、信じたくないと思いたい自分と戦っている。

 だから、須佐男たちは待った。徐々に消えゆく人喰い鬼に日子を閉じ込めた理由を聞くよりも、双子の事情を優先した。

 宵は晨と目を合わせ、頷き合う。そっと口を開いたのは、晨だった。

「あれは、父上の腕輪に描かれた文様と同じものだ。だけど、まさか―――」

「そのまさかだ」

 頬まで消えた人喰い鬼が、引きつった笑みを浮かべて言い放つ。

「お前たちの父は、我が手の者だからな」

「「!?」」

 晨と宵のみならず、阿曽たち全員に衝撃が走る。二の句が継げない一行を嗤い、人喰い鬼はこの世から姿を消した。

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