第102話 命の燈火

 阿曽は気合を入れ直し、日月剣ひつきのつるぎを握る。その手には汗がにじみ、生きもしづらくなるほど重苦しい空気の中で喉を鳴らす。

 目の前にいるのは、全てを超越した存在だ。闇に堕ち、こちらを殺すことしか考えていない怪物。ただし、元天津神であるという事実は変わらない。

「……」

 阿曽は手にしてる剣を見下ろした。その刃には、天恵の酒の力と神殺しの剣の力が宿っている。二つの力は、共に阿曽たちが人喰い鬼を倒すと信じるからこそ与えられた重みでもあった。

「―――阿曽、余所見するな!」

「わっ」

 大蛇が阿曽に突進し、尻もちをつかせた。阿曽がいたところには、その直後に人喰い鬼の刃が突き刺さる。

 ぞっとして、阿曽はすぐさま立ち上がった。そして、近くで体勢を整える大蛇に礼を言う。

「ありがとうございます、大蛇さん」

「礼には及ばない。考えるのは後だ」

「はい!」

 大蛇に激励され、阿曽はたった一人の敵を見据える。そこにいるのは人の形をしながらも、人としても神としてもその全てを捨てた人喰い鬼がいた。

 長く伸びて自由に動く刃が飛び出し、阿曽は横っ飛びに躱す。ズササッと滑る足に力を入れて止まると、更に追い討ちをかける刃を剣で弾き返した。

 弾き返されて動きが鈍り、今ならば刃を切り取れる。阿曽は近くにいた仲間を呼ぶ。

「っ、温羅さん!」

「任された!」

 瞬時に阿曽の意図を理解した温羅が、地速月剣ちはやつきのつるぎを振るって黒鉛のような色の刃を叩き斬った。

「よしっ……何!?」

 斬って減らしたと思ったのも束の間、千切れた刃が引き合い、繋がった。そしてもう一度、一本の刃として動き始める。

「くっ」

 ピッと再生した刃が阿曽の左腕を襲った。二の腕から赤い飛沫が飛ぶ。急速に力が入らなくなった腕を放置し、阿曽は剣を右手一本で握る。

「阿曽!」

「まだ、いけます!」

 痛みを堪え、阿曽は叫ぶ。そして、地を蹴り走り出した。

 素早い動きで襲い来る刃の数々をしのぎ切ると、人喰い鬼の本体へと近付く。刃を着ることが出来ないのなら、本体を叩くより他はない。

「―――ッ」

 まさか一番力の弱い阿曽が懐に入って来るとは思わなかったのか、人喰い鬼の目が驚愕に染まる。

「ちぃっ」

 人喰い鬼の剣が唸り、全ての刃が阿曽に集中する。その内の一本が動かない阿曽の左腕に突き刺さった。

「いっ―――ぐぁ」

「愚かなり。片腕で我が身を滅ぼそうとするからだ」

 宙にぶらりと浮かされ、少しずつ阿曽の腕がきしむ。左手には剣を持っているために右腕を支えることが出来ず、阿曽はわずかに感覚の残る右手で腕を貫く切っ先の一部を掴んだ。

 勿論指の間からは血が流れ、腕、そして衣をも染めていく。誰かが自分の名を呼んだ気がしたが、それに応じることが出来ない程に消耗していた。

「貴様あっ!」

 須佐男が万全とは言えない体を押し、天叢雲剣あめのむらくものつるぎで黒い刃の束を叩き斬る。すぐに再生しようとしたが、そのわずかな間にあしたが滑り込み、繋ぎ合おうとした部分を再び斬り捨てる。

 更に動こうとした人喰い鬼の袖や裾に、鋭く突き刺さったのは天波波矢あめのははやだ。人喰い鬼をその場に縫い留めたのは、負傷し荒い息をするよいだった。

「邪魔を、するなぁぁぁっ」

 阿曽の息根を止められなかった人喰い鬼が、咆哮と同時に衣を引き千切る。天波波矢が触れていた箇所かしょは消し炭のようにバラバラになり、消えていく。衣にまでも酒と剣の力は有効らしい。また、それに気付いた人喰い鬼は危険を感じて引き千切ったのだろうか。

 破れて露わとなった人喰い鬼の肌には、無数の傷が刻まれている。それは、決して何にも傷付かないはずの体を持った人喰い鬼が唯一傷付けられた戦い――つまり阿曽たちとの戦いでつけられたものだ。

 息根を止めるまではいかずとも、確実に刃は届き始めていた。

「がああぁぁぁっ」

 人喰い鬼は阿曽からは刃を引き抜かず、残った無数の刃を須佐男たち五人に向けて急速に伸ばす。須佐男が弾き、晨は斬り裂き、宵はギリギリのところで射落とした。そして大蛇が影のような刃を斬り捨てると、阿曽の元へと走る温羅に警告した。

「温羅、躱せ!」

 ぐんぐんと伸びる刃が、温羅の背を捉える。万事休すかと思ったが、温羅の背を押すように晨が二つの間に跳び下りた。

「行けよ、温羅」

「助かる」

 晨が刃を両断すると、その場に刃の影が落ちた。切っ先が再生することなく、先を失った刃が人喰い鬼のもとへと戻って行く。

「何、だとッ!?」

 まさか再生しないとは思わなかったのか、人喰い鬼の顔に険が宿る。それを見た須佐男が鼻の下を拭った。

「へっ」

 須佐男は気付いていた。人喰い鬼が少しずつ消耗していることに。

 天恵の酒と神殺しの剣の力を得た武器に攻撃され続けているのだから、そろそろ何かしらの影響が出て来てもおかしくはない。自分たちは確実に最悪を免れつつある、と須佐男は確信していた。

 しかしそれも、仲間全員が無事であってこそ。須佐男は人喰い鬼の刃をいなしながら、温羅が向かった方向を気にしていた。

「阿曽ッ!」

 温羅が阿曽を吊り上げていた切っ先を叩き折ると、それは力を失い掻き消えた。

 左腕から刃が引き抜かれたが故にぐらりと阿曽の体がかしぎ、体は重力に従って落下した。その真下に滑り込んだ温羅は、青白い顔をした阿曽を抱き留めた。

 どくどくと流れ続ける左腕の血は、衣のみならず地面にも赤い染みを作る。温羅たちのような神や鬼という存在ならば、自己治癒が発動して最小限に流血を留めてくれる。しかし阿曽には、それがないらしい。

(何故だ。阿曽は、神と鬼の子ではないのか?)

 阿曽の父は須佐男の兄である日子ひるこ、母は始祖の鬼であるはずだ。それなのに、普通の人と同じように治癒が遅い。

「阿曽、阿曽!」

 揺すぶることも出来ず、温羅は気を失った阿曽に呼び掛け続ける。それでもまぶたを上げない阿曽は、もう命が尽きてしまったかと思われるほどに青白い。

 しかしわずかに上下する胸元が、彼の命の燈火ともしびが残っていることを示していた。更に、阿曽は日月剣を手放さない。だから、温羅も諦めない。

 阿曽の左側を支える温羅の手が、赤く染まっている。溢れる血も感情も、止める術を温羅は持たない。

「阿曽、きみは目覚めなくてはいけない。まだ、約束を果たしていないのだから。―――わたしたちよりも強くなるのだろう、阿曽!」

 悲鳴に似た慟哭が、激しい戦闘の中に響き渡った。

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