最後の戦い

第101話 変わりゆく刃

 月読が消え、阿曽たちは再び圧倒的な殺気に晒された。

 目の前に立ち、ズタボロのはずなのに立ち続ける男は、明確に阿曽たちを殺そうとしている。

「死ね。……否、殺す。その天恵と神殺しの力など使わせぬ」

 どくどくと血に似た瘴気を溢れさせながら、人喰い鬼は唸る。その獣じみた声に、阿曽は背中を冷汗が伝うのを自覚した。

「阿曽」

 そんな阿曽を、温羅が気遣う。トンッと背を叩かれ、阿曽は自分が何処かに意識を飛ばしていたことに気が付いた。

「温羅、さん」

「大丈夫。絶対、帰るよ」

 温羅の赤い瞳が煌めく。瘴気と鬱屈とした暗い空気に呑まれつつあった阿曽には、彼の瞳が日の光のように見える。そして、温羅の言葉に自分を叱咤した。

 阿曽の瞳に光りが戻り、しっかりと頷く。

「―――はい」

 ―――ドンッ

 阿曽が返事をするのとほぼ同時に、人喰い鬼の刃が振るわれる。その切っ先が地面をえぐり、吹き飛ばされた砂や小石が体に打ち付けられた。

「ちっ」

 須佐男が天叢雲剣あめのむらくものつるぎで一閃し、斬り裂かれた場所から新たな刃が飛び出して来る。それは須佐男の頬を傷付け、そのまま胸を穿うがとうと向きを変えた。

「須佐男!」

「ばっ―――」

 ばか、来るな。須佐男がそう言う暇さえ与えず、大蛇が天羽羽斬剣あめのははきりのつるぎを振りかざして横一文字に振り抜く。水流が発生し、人喰い鬼の視界を奪った。

水刃舞斬すいじんぶざん!」

炎鬼刃撃えんきじんげき!」

 更に大蛇の攻撃に被せ、畳みかけるように温羅が地速月剣ちはやつきのつるぎに炎を纏わせ追撃する。

 水と炎の合わせ技は相殺するかと思われたが、それぞれが互いの力を助けて確実に人喰い鬼を追い詰めていく。また神殺しの力を得たためか、人喰い鬼に与える傷が深さを増していた。

 斬撃は更に人喰い鬼を傷付け、刃の暴走を遮断する。

「須佐男さんっ」

「阿曽か」

 温羅と大蛇が前線へと出てくれている隙を突き、阿曽が須佐男を助け起こす。幸いにも人喰い鬼の刃は胸元の布を破っただけで、肌には傷がない。それでも頬に受けた傷からは、今も細い血が流れていた。

 上半身を起こし、須佐男は戦況を見る。温羅と大蛇が善戦しているが、人喰い鬼に致命傷を与えられずにいた。

「オレも……っ」

「須佐男さん。まだ、天時裂剣てんじれっけんの影響が……」

「残ってるみたいだが、休んでもいられないだろ」

 須佐男の覚醒時の技『天時裂剣』は、彼自身の意識を奪う程の大技だ。これ以上の行使は彼自身を傷付けるのみならず、命も奪いかねない。時空への干渉は禁忌だ。

 休ませようとする阿曽にあらがい、剣を持って揺らぐ視界に耐えた。

「……」

 目を閉じると、聴覚が敏感になる。人喰い鬼の斬撃と仲間の斬撃を聞き分ける。そして、目の前で自分を案じる少年の息遣いも拾い上げた。

「阿曽、悪いが休むのは終わってからだ」

 目を開き、少年の髪を乱暴に撫で回しながら言う。すると阿曽はされるがままになっていたが、手を離すと真剣な眼差しで須佐男を見上げた。

「はい」

 阿曽もそれ以上は止めない。それどころか自分たちが人喰い鬼を止めなければ、再び中つ国に堕鬼人が溢れかねないのだ。

 日月剣ひつきのつるぎを握り締めた阿曽が、須佐男と共に戦場へと戻ろうとしたその時。

「くっ」

「うわっ」

「温羅さん、大蛇さん!?」

 振り返った阿曽の前に、二人が吹き飛ばされてきた。地面に叩きつけられ、うめく。

「大丈夫ですか、二人共」

「怪我は……大きくはないな」

 阿曽と共に二人を助け起こした須佐男が、安堵の息を吐く。しかし、体を起こした温羅が頭を振った。

「違う。安心するのは早い」

「く……。見ろよ、あれ」

 大蛇に指差され、その指す先を目で辿った阿曽は、ヒュッと息を詰めた。

「何ですか、あれ……」

 赤い瞳に映ったのは、どす黒い何かだ。瘴気よりも毒々しく、もうもうと立ち昇るそれは、阿曽の中の警鐘を鳴り響かせた。

 同様に見ていた須佐男は、チッと舌打ちをした。そして、苦々しげに呟く。

「人喰い鬼が、覚醒しやがったみたいだ」

「覚醒……」

 仮に「真瘴気しんしょうき」と呼ぶそれの中に、確かに人影がある。それはゆらりとうごめくと、徐々に形を変えていく。

 人型であったそれの背中に、黒々と燃えるような翼が出現した。更に目は赤よりも金に近い色になり、元の形がわからなくなっていく。

 握り潰された様になった剣は、その姿を変える。長剣の姿は最早なく、八岐大蛇のように分裂した刃が動く。正常時の姿を失った剣は、意思があるかのようだ。

「おいおい、ありゃなんだ!?」

 離れたところから様子を窺っていたあしたが、素っ頓狂な声を上げる。その声に反応したらしい刃の一部が、真瘴気の中から勢いよく飛び出して来る。

「馬鹿ッ」

 腕を抉られそうになった晨の目の前に、よいの矢が飛んで来る。見事に命中し、大怪我を防いで見せた。

 スタッと双子の兄の前に跳び下りた宵は、彼を守るように弓を引く。

「晨、油断しないでよ」

「すまない、宵」

 一言謝り、晨は須佐男たちを振り返った。

が、元天津神だって?」

 晨が親指で指す場所には、誇り高き天津神の姿などない。あるのは、闇に堕ちた者の姿だけだ。

 未だその全体像は把握出来ないが、晨の問いに須佐男は一言答えるしかない。

 すっと息を吸い、頭の中をはっきりとさせる。今、自分がすべきことは何だ。

「父だろうが、神だろうが、もう関係なんてない。オレたちがすべきことは、この世界を戻すことだ」

 それが、己に繋がる何かを失うことだとしても。須佐男の言葉に、一行は頷いた。

 少しずつ真瘴気が薄まり、人喰い鬼の姿が見えてくる。真瘴気は背中へと集約され、翼の一部となってそこにあった。

「許さぬ……」

 地を削るような低い声は、禍々しく輝く金の瞳を持つ者から発せられた。その声に応じたのは、二つの声だった。

「お前に許してもらおうなんて」

「これっぽっちも思ってないね!」

 晨が神度剣かんどのつるぎを構えて駆け、宵が天之麻迦古弓あめのまかこゆみ天波波矢あめのははやをつがえる。矢が放たれたのは、晨が人喰い鬼の間近に迫った瞬間だった。

「「『双刃そうじん』―――光久こうきゅうの舞!」」

 光溢れる刃が振るわれたかと思うと、隙無く矢が襲い掛かる。それは永久に続くかのような斬撃で、阿曽は呆気に取られた。

 しかし人喰い鬼も負けてなどない。双子の攻撃を半分ほど受け流し、傷付いた腕で剣を振るった。

 爆風のような斬撃は、晨を吹き飛ばして地面に叩きつけた。

「晨――ッ」

 兄を助け起こそうとした宵も背後を取られ、斬られる。ぱっと散った赤い血は、晨に衝撃を与える。

「宵ッ」

「ごめん、晨」

 荒い呼吸を繰り返し、倒れていた宵は手をついて身を起こした。そしてフッと息だけで笑うと、固まって突っ立っている阿曽を振り仰ぐ。

「何固まってんだ。証明するんだろうが、おれたちに」

 その煽るような物言いに、阿曽はグッと喉を鳴らした。そして、首肯する。

「――――ッ、勿論」

 パンッと頬を叩き、阿曽は人喰い鬼を睨みつけた。

「止める。必ず」

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