第100話 神殺し

 火の神を産んだ時、伊邪那美いざなみはそれがもとで黄泉国に行くことになった。愛する者を喪いを悲しんだ伊邪那岐いざなぎは、彼女を取り戻すために黄泉国へと向かった。

 しかし愛する者を取り戻すことは出来ず、伊邪那岐はその悔しさと悲しさ、そして愛しさと憎らしさを籠めて、誓ったのだ。

 変わり果てた姿となった妻に、岩越しに涙を流して。何かの歯車が外れて置き換わったのは、その時だったのかもしれない。

 ――お前を奪った全てが憎い。我は、これから生まれる命を千殺そう。……否、それでは足りぬ。

 伊邪那岐はかぶりを振り、岩に赤い筋が付くほどに指に力を入れた。岩が泣くように、赤い筋が落ちていく。

 ――憎しみを叶えてやろう。その暁に、我が手駒として使ってやろう。

 男はそう誓うと、岩の向こうで取りすがる伊邪那美に見向きもせず、踵を返した歩き出した。




 殺到する刃の合間を縫い、阿曽たちは反撃の機会を窺いつつ戦っていた。

「温羅さんっ」

「ああ」

 阿曽の悲鳴のような叫びに応じ、温羅は地速月剣ちはやつきのつるぎを翻した。そして間近に迫っていた伊邪那岐の刃を弾くと、温羅の剣が炎を宿す。

「――炎鬼刃撃えんきじんげき!」

 燃え上がった炎が刃に絡みつき、剣撃と共に放たれる。

 温羅の力は真っ直ぐに暗黒の刃を呑み込むと、燃え尽くさんと勢いを増した。

「負けてたまるか!」

 伊邪那岐の刃を躱したと同時に勢いを殺さず跳び上がった大蛇は、みどり色に輝かせた。更に、スラッとした長刃と化した天羽羽斬剣あめのははきりのつるぎを振り切った。その瞬間、水の奔流が巻き上がる。

「――翠華真撃すいかしんげき!」

 ドッと透明な水が溢れ、翠の光が弾けた。

「……くっ」

 阿曽は温羅と大蛇の技の眩しさに目を細め、その隙を突いた伊邪那岐の刃が彼を襲う。怒涛の突きに襲われるが、阿曽は身軽さを活かして紙一重で躱していく。

 そして目の前に悪意が迫った時、阿曽の中で新たな言葉が浮かび上がった。

「――日伝ひのつたえ光導黄花こうどうおうか!」

 阿曽が日月剣ひつきのつるぎを振り下ろすと、斬撃が黄色い八重の花となった。その花は伊邪那岐の刃を弾き、更には花びら一枚一枚が剥がれて伊邪那岐を襲う刃となる。

 光導く黄色い花とはよく言ったもので、黄色の光で彩られた花は、阿曽の剣の動きに従って伊邪那岐の動きを制する。

よい!」

「任せろ、あした

 宵は晨と自分に降りかかってきた切っ先を射ると、動きの鈍ったそれを蹴りつけた。そして蹴り飛ばされた切っ先を、今度は晨が撫で斬る。見事な連携が伊邪那岐の刃をぶった切った。

 着地した晨は、ふと思いついて宵を呼ぶ。

「なあ、『双刃そうじん』なんてどうだ?」

「『双刃』、ね。良いんじゃね」

「じゃ、決まり」

 剣と弓矢で武器の形は違えど、二人が操るのは刃だ。断罪のために振るわれる、己の願いを叶えるための牙。その技に、双子は名をつけた。

「なかなか、やるな」

 既に常人ならば虫の息であろう怪我を抱えていても、人喰い鬼が倒れることはない。それどころか攻撃は苛烈を極め、阿曽たちの体の至る所に傷が増えていく。

 六人一人一人に向いていた刃は全て折られたが、新たに生み出された切っ先が阿曽たちを休むことなく襲っていく。鼬ごっこのそれは、止める術がないようにさえ思えた。

「ちっ―――」

 須佐男は体に負った傷に顔をしかめ、『ざん』を放とうと柄を握り直した。『天時裂剣てんじれっけん』は禁忌に触れるため、使えない。

 しかし、その技は放たれる前に止まってしまった。目の前に、知りすぎる程知っている背中があったからだ。

「兄貴……」

「全く。あなたの世話を、僕はどれだけ焼けば良いのですか?」

 嘆息しつつ笑ったのは、高天原にいるはずの月読だった。そして彼の手には、見たこともない剣が握られている。

 後で気付いたことだが、月読はその剣で須佐男に迫っていた伊邪那岐の刃を両断していた。

「兄貴、その剣は……?」

「これは──」

 月読が弟の問いに答えようとした時、須佐男以外が月読の存在に気付いた。真っ先に声を上げたのは阿曽。

「えっ、月読さん!?」

「おや、本当だ。どうしたんですか?」

 頬の傷を拭った温羅が、黒い刃を弾いて尋ねる。見れば、大蛇と両面宿禰りょうめんすくなの双子も興味深そうに月読を見ていた。彼らの前に躍る黒い刃を捌きながら。

「―――ふう」

 息をつき、月読は剣を真っ直ぐ立て、次いで切っ先を人喰い鬼に向けた。

「これは、『神殺し』。この世で唯一、神を殺すことを許された剣です」

「かみ、ごろし……」

 阿曽が呟き、須佐男は息を呑む。月読は弟に笑いかけた後、表情を改めて人喰い鬼を見詰めた。

 人喰い鬼は月読を睨み返し、くぐもった声で呻く。

「お前が来たか、月読」

「ええ、父上。僕にこの剣を与えたのは、あなたでしょう?」

 重苦しい装飾もない剣。その剣が現れた途端、人喰い鬼の顔色が変わっていた。

 対峙するかつての父子の間に、奇妙な緊張感が流れる。

「須佐男」

「あに、き……」

 いつの間にか人喰い鬼による攻撃が止み、あたりには静寂が広がる。響く月読の声に、何故か須佐男は息を詰めた。

 後で知ることだが、人喰い鬼は攻撃を止めたわけではない。月読がその全霊をかけて結界を創り出し、弟たちを守っていたのだ。

 ドクドク、と体中の血が流れる音がする。耳の奥で響くそれは、須佐男の緊張を示すようだ。

 月読はふっと表情を崩すと、須佐男の目の前へと歩いて行く。

 少し目線が上の月読を見上げ、須佐男は喉を鳴らす。冷汗が背を伝い、これから起こる「何か」を恐れている自分を自覚する。

 月読の歩みが止まった。そして、弟に手にあるそれを突き出す。

「これは、お前たちが振るうべきものです」

「かみ、ごろし」

 息もうまく吸えない。吐くのも難しい。そんな状態の弟を見下ろし、月読は困り顔で微笑んだ。

「須佐男、あなたは独りではありません」

「……」

「温羅、八岐大蛇、両面宿禰……阿曽」

 返事をしない弟の代わりに、月読は彼の仲間たちに呼び掛ける。

「「「「「はい」」」」」

 一斉に応じた阿曽たちに、月読は呟いた。

「この力を、きみたちに譲ります。……天恵の力と共に使い、人喰い鬼を倒してください」

 そう言うと、月読は目を閉じた。すると彼の手にあった『神殺しの剣』が白く輝き、一つの光の塊となる。

 塊は六つに分裂し、阿曽たちそれぞれの武器の中へと吸い込まれた。

「これは……」

 自分の剣をかざして見る大蛇に、月読は答えた。

「剣の力を分けました。これで、人喰い鬼を倒し切ることが出来るはずです。……後は、任せましたよ」

 微笑を浮かべた月読は「頃合いです」と呟くと、何も持たない手をさっと振った。

 ―――パキンッ

 何かが割れる音が響き、急速に感じる圧が増す。阿曽はその圧の発生源を探し、びくっと身を震わせた。

「月読、お前……」

 圧倒的な力を発するのは、人喰い鬼をだ。闘気が漆黒に変化し、握る剣の刃は十以上に増えている。彼の憎々しい視線を正面に受け、月読は臆しない。

「僕には姉上のように全てを照らす力もなければ、須佐男のような腕っ節の力もない。その代わりに、全ての死を司る力を与えたのは――父上、あなたでしょう?」

「ほざきおって……」

 うめく人喰い鬼に背を向け、月読は小さく詠唱した。月の紋章が足元に広がり、月明かりのような光が月読を包む。

「須佐男、頼みますよ。いつも尻拭いはしているのですから、こういう時くらい代わって下さい」

「わーたよ。……櫛名田のこと、頼むぞ」

「勿論です」

 月読が光の中に消え、静まり返る。

 しかしその沈黙は、これから起こる死闘の序章でしかないのである。

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