第100話 神殺し
火の神を産んだ時、
しかし愛する者を取り戻すことは出来ず、伊邪那岐はその悔しさと悲しさ、そして愛しさと憎らしさを籠めて、誓ったのだ。
変わり果てた姿となった妻に、岩越しに涙を流して。何かの歯車が外れて置き換わったのは、その時だったのかもしれない。
――お前を奪った全てが憎い。我は、これから生まれる命を千殺そう。……否、それでは足りぬ。
伊邪那岐は
――憎しみを叶えてやろう。その暁に、我が手駒として使ってやろう。
男はそう誓うと、岩の向こうで取り
殺到する刃の合間を縫い、阿曽たちは反撃の機会を窺いつつ戦っていた。
「温羅さんっ」
「ああ」
阿曽の悲鳴のような叫びに応じ、温羅は
「――
燃え上がった炎が刃に絡みつき、剣撃と共に放たれる。
温羅の力は真っ直ぐに暗黒の刃を呑み込むと、燃え尽くさんと勢いを増した。
「負けてたまるか!」
伊邪那岐の刃を躱したと同時に勢いを殺さず跳び上がった大蛇は、
「――
ドッと透明な水が溢れ、翠の光が弾けた。
「……くっ」
阿曽は温羅と大蛇の技の眩しさに目を細め、その隙を突いた伊邪那岐の刃が彼を襲う。怒涛の突きに襲われるが、阿曽は身軽さを活かして紙一重で躱していく。
そして目の前に悪意が迫った時、阿曽の中で新たな言葉が浮かび上がった。
「――
阿曽が
光導く黄色い花とはよく言ったもので、黄色の光で彩られた花は、阿曽の剣の動きに従って伊邪那岐の動きを制する。
「
「任せろ、
宵は晨と自分に降りかかってきた切っ先を射ると、動きの鈍ったそれを蹴りつけた。そして蹴り飛ばされた切っ先を、今度は晨が撫で斬る。見事な連携が伊邪那岐の刃をぶった切った。
着地した晨は、ふと思いついて宵を呼ぶ。
「なあ、『
「『双刃』、ね。良いんじゃね」
「じゃ、決まり」
剣と弓矢で武器の形は違えど、二人が操るのは刃だ。断罪のために振るわれる、己の願いを叶えるための牙。その技に、双子は名をつけた。
「なかなか、やるな」
既に常人ならば虫の息であろう怪我を抱えていても、人喰い鬼が倒れることはない。それどころか攻撃は苛烈を極め、阿曽たちの体の至る所に傷が増えていく。
六人一人一人に向いていた刃は全て折られたが、新たに生み出された切っ先が阿曽たちを休むことなく襲っていく。鼬ごっこのそれは、止める術がないようにさえ思えた。
「ちっ―――」
須佐男は体に負った傷に顔をしかめ、『
しかし、その技は放たれる前に止まってしまった。目の前に、知りすぎる程知っている背中があったからだ。
「兄貴……」
「全く。あなたの世話を、僕はどれだけ焼けば良いのですか?」
嘆息しつつ笑ったのは、高天原にいるはずの月読だった。そして彼の手には、見たこともない剣が握られている。
後で気付いたことだが、月読はその剣で須佐男に迫っていた伊邪那岐の刃を両断していた。
「兄貴、その剣は……?」
「これは──」
月読が弟の問いに答えようとした時、須佐男以外が月読の存在に気付いた。真っ先に声を上げたのは阿曽。
「えっ、月読さん!?」
「おや、本当だ。どうしたんですか?」
頬の傷を拭った温羅が、黒い刃を弾いて尋ねる。見れば、大蛇と
「―――ふう」
息をつき、月読は剣を真っ直ぐ立て、次いで切っ先を人喰い鬼に向けた。
「これは、『神殺し』。この世で唯一、神を殺すことを許された剣です」
「かみ、ごろし……」
阿曽が呟き、須佐男は息を呑む。月読は弟に笑いかけた後、表情を改めて人喰い鬼を見詰めた。
人喰い鬼は月読を睨み返し、くぐもった声で呻く。
「お前が来たか、月読」
「ええ、父上。僕にこの剣を与えたのは、あなたでしょう?」
重苦しい装飾もない剣。その剣が現れた途端、人喰い鬼の顔色が変わっていた。
対峙するかつての父子の間に、奇妙な緊張感が流れる。
「須佐男」
「あに、き……」
いつの間にか人喰い鬼による攻撃が止み、あたりには静寂が広がる。響く月読の声に、何故か須佐男は息を詰めた。
後で知ることだが、人喰い鬼は攻撃を止めたわけではない。月読がその全霊をかけて結界を創り出し、弟たちを守っていたのだ。
ドクドク、と体中の血が流れる音がする。耳の奥で響くそれは、須佐男の緊張を示すようだ。
月読はふっと表情を崩すと、須佐男の目の前へと歩いて行く。
少し目線が上の月読を見上げ、須佐男は喉を鳴らす。冷汗が背を伝い、これから起こる「何か」を恐れている自分を自覚する。
月読の歩みが止まった。そして、弟に手にあるそれを突き出す。
「これは、お前たちが振るうべきものです」
「かみ、ごろし」
息もうまく吸えない。吐くのも難しい。そんな状態の弟を見下ろし、月読は困り顔で微笑んだ。
「須佐男、あなたは独りではありません」
「……」
「温羅、八岐大蛇、両面宿禰……阿曽」
返事をしない弟の代わりに、月読は彼の仲間たちに呼び掛ける。
「「「「「はい」」」」」
一斉に応じた阿曽たちに、月読は呟いた。
「この力を、きみたちに譲ります。……天恵の力と共に使い、人喰い鬼を倒してください」
そう言うと、月読は目を閉じた。すると彼の手にあった『神殺しの剣』が白く輝き、一つの光の塊となる。
塊は六つに分裂し、阿曽たちそれぞれの武器の中へと吸い込まれた。
「これは……」
自分の剣をかざして見る大蛇に、月読は答えた。
「剣の力を分けました。これで、人喰い鬼を倒し切ることが出来るはずです。……後は、任せましたよ」
微笑を浮かべた月読は「頃合いです」と呟くと、何も持たない手をさっと振った。
―――パキンッ
何かが割れる音が響き、急速に感じる圧が増す。阿曽はその圧の発生源を探し、びくっと身を震わせた。
「月読、お前……」
圧倒的な力を発するのは、人喰い鬼をだ。闘気が漆黒に変化し、握る剣の刃は十以上に増えている。彼の憎々しい視線を正面に受け、月読は臆しない。
「僕には姉上のように全てを照らす力もなければ、須佐男のような腕っ節の力もない。その代わりに、全ての死を司る力を与えたのは――父上、あなたでしょう?」
「ほざきおって……」
「須佐男、頼みますよ。いつも尻拭いはしているのですから、こういう時くらい代わって下さい」
「わーたよ。……櫛名田のこと、頼むぞ」
「勿論です」
月読が光の中に消え、静まり返る。
しかしその沈黙は、これから起こる死闘の序章でしかないのである。
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