第99話 禁忌の先に
「須佐男!?」
大蛇が呼ぶが、反応はない。無言を貫いたまま、須佐男は人喰い鬼を斬り続ける。
斬り続ける、とは言っても、そこに須佐男の動きはほとんどない。まるで、過去に受けた傷が今になって現われたかのように人喰い鬼の体に癒えない傷が
そして呼応するように、須佐男の体にも傷が刻まれていく。その痛々しさを見るに堪えず、阿曽は一人で駆け出した。
「駄目だ、阿曽!」
温羅が引き留めようとするが、阿曽はその手を掻い潜る。無情な攻撃を繰り返す須佐男の衣を引っ張った。
「須佐男さん!」
「……」
ぐいっと引っ張るが、須佐男は何も言わない。阿曽の姿が目に入っていないようだ。
反応がなくても呼びかけ続ける阿曽を見かね、温羅と大蛇も傍に駆けて来る。そして、人喰い鬼を背にして剣を須佐男に向けた。
「気を確かに持て、須佐男!」
「……お前、自らの禁忌を犯しかけていると気付いていないのか?」
「……」
二人の言葉を受け、須佐男がぴくりと反応を示す。しかし明確な意思表示はなく、ただ伊邪那岐への攻撃蛾続くのみだ。
阿曽は須佐男の衣を掴む手を緩めず、動きあぐねている温羅と大蛇に目を向けた。
「温羅さん、大蛇さん。あの、禁忌を犯しかけているって……?」
「天照さんと月読さんが言っていたこと、覚えていないか?
「……あ」
温羅に問われ、阿曽は記憶を引きずり出す。
確かに楽々森が去った後、天照と月読が須佐男に言っていた。時を戻すという禁忌を犯した時、須佐男は戻れなくなる、と。
目を瞬かせる阿曽に、大蛇が付け加えた。
「おそらく、須佐男は剣を振った時に生まれる剣撃を過去に飛ばし、過去にその技を放ったことにしているんだ。そうすることで、現在を改変して勝利を得ようとしている」
「えっ、それじゃあ……」
阿曽が息を呑むと、温羅が肯定した。
「そう。あいつは、自分が犯した禁忌の報いを受けながら戦っている。あの傷は全て、禁忌からの警告だ」
「──っ、早く止めなきゃ」
あのままでは、須佐男は自分で自分を傷付け続け、更には自滅する。
気が逸る阿曽に向け、大蛇は苦笑する。
「人喰い鬼が倒れるか、須佐男が倒れるか……。そんな競争をしている暇はないよな」
「ああ。……阿曽、
温羅の言葉に、三人は首肯した。このまま須佐男が倒れるのを見ているだけなど、出来るはずがないのだから。
大蛇が剣を構え、宣言する。
「過去と今を切り離す」
「その為には?」
「……全力をぶつけるとか、ですか?」
温羅と阿曽が尋ね、晨と宵が笑う。
「くくっ、やってみるか?」
「おれたちの目的は、人喰い鬼を倒すこと。その為には、こいつの力は必要だからな」
未だに、須佐男の過去を遡る攻撃は続く。流石の人喰い鬼も時間を遡ることは出来ないのか、背に受けた刃を抜くことなく応戦するのみだ。
好機は今。
全員の体が、それぞれの色に輝き出す。それは
倒すためではなく、目覚めさせるための言葉の代わりに力を放つ。言葉が届かないのなら、力ずくでこちらを向かせる。
静かな
「───っ!?」
須佐男は、己に降り注ぐ奔流に呑まれた。その光の中で、閉じ籠った彼の心に仲間の声が響く。
『いつまで目を背けるつもりだ、須佐男!』
それは、伊邪那岐の「忘れた」という言葉に傷付き籠った須佐男の心に突き刺さる。
──目を背けているわけじゃない。
言い訳のような、悲哀のような声が、小さく広がる。それはぽつんと雨のように、波紋となる。
──探していたのは、オレだった。
母に会えず、哭いた幼い日。父は傍にいた。
しかしいつしか、彼は姿を消した。
──ただ、日だまりを求めていた。
母が消え、父も消えた。姉と兄は忙しく、友を探す旅に出た。
出逢ったのは、かけがえのない存在たち。今も、須佐男を心から案じて手を伸ばしている。時に叱咤し、自分を導く。
──オレは。
須佐男の海色の瞳が、輝く。
───ドンッ
「「「「「!?」」」」」
光の奔流の中から、蒼く輝く柱が飛び出す。それは阿曽たちの上、天上すらも超えそうな勢いで飛び上がり、やがて消えた。
「ごめん。待たせた」
光が収まった所から、聞き慣れた声が言う。少し照れて、後ろめたさに負けない声。
大蛇と温羅は苦笑し、阿曽は目を輝かせる。晨と宵は顔を見合わせ、ニヤッと笑った。
「お帰りなさい、須佐男さん」
「ただいま、阿曽。みんな、ありがとな」
天叢雲剣を担ぎ、須佐男は笑う。その顔は、決意に満ちていた。
過去からの力は止み、須佐男もそれ以上の傷を負っていない。ただ両腕の裂傷は未だに残る。
「心配かけやがって」
「これは高くつくよ、須佐男?」
須佐男の目に光を見て、大蛇が無駄に大きな息をつき、温羅は肩をすくめる。そんな古くからの友の遠慮ない仕草が、須佐男を元に戻していく。
「借りは返すさ。……この戦いが終わったらな」
須佐男の目が、人喰い鬼へと向かう。彼は全身をズタズタに斬られてはいたが、
人喰い鬼は自ら背中の刃を引き抜くと、須佐男に向かって
「やはり、禁忌の刃であったか。
じわり、と人喰い鬼の背から瘴気が染み出す。痛みはないのかすぐに体を起こしたが、人喰い鬼は右手を握って開き、ふんっと鼻を鳴らした。
「やはり、力が弱くなっているな……。天恵の力というのは、我にとってやはり嫌なものだ」
「その幻の刃にも、酒の力が宿っているから当然だろう。流石のお前でも、天恵の力でつけられた傷は癒えないか」
調子を取り戻した須佐男が、天叢雲剣を構える。
「もう終わりにしようぜ」
「……ふん」
人喰い鬼は目の前で得物を手にする青年たちを見回し、自在に形を変える剣を残った右手に掴んだ。漆黒の刃は生き物のように幾つもに割れ、それぞれの切っ先が阿曽たち一人一人に向けられる。
「我が誓い。止められるとほざくのならば、止めてみろ!」
深紅の瞳がぎらつき、人喰い鬼が地を蹴った。
縦横無尽な動きを見せる剣を躱し、阿曽は日月剣を振るう。徐々に人喰い鬼を追い詰めていく彼らだったが、決定打を撃てずにいた。
神を殺すことは、禁忌。それを破った時、世は乱れる。乱れは中つ国のみならず、天や地をも巻き込んでいく。
世の乱れを起こさぬためには、たった一つ許された者の刃が要る。それを持つ者は、未だこの場にはいなかった。
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