第96話 集まり行く

 場所は変わり、中つ国。

 饒速日にぎはやひあしたが突然消えたことに動揺しつつも、確実に数を減らしつつある堕鬼人の群れに舌打ちをした。

「『後は頼む』ね。何処に行ったんだか」

「饒速日様!」

 思考を遮断し、声のする方に目をやる。すると、傷だらけになりつつも戦っていた和珥わにの姿が見えた。先程堕鬼人を倒したのか、頬に真新しい血がこびりついている。

 饒速日は己の手の中で事切れた堕鬼人の体を離し、部下の方を振り返った。堕鬼人の体は、地面に叩きつけられる前に塵となって消えた。

「どうかしたか」

「はい。堕鬼人たちが、急に撤退し始めました」

「……なんだと?」

 和珥が何を言っているのかわからず、饒速日は問い返す。しかし、和珥にも理由はわからないのだから、堂々巡りだ。

 仕方なく、饒速日はぐるりと見える範囲を見渡した。すると確かに、格段に堕鬼人の数が減っている。

 晨が消えるまでは一帯を埋め尽くすほどの人数がいたにもかかわらず、今や数人を残すのみだ。その数人も、饒速日の部下と交戦している。

「和珥」

「はっ」

 血だらけになった星落剣ほしおちのつるぎを血振りし、饒速日は命じた。

「あのたくさんいたはずの堕鬼人、それらが何処へ向かったか調べられるか?」

「……一人でも囮として後を追うことが出来れば。他は皆、消えてしまいましたから」

「消えた半数以上は晨と名乗る若者が倒していったのだがな……。わかった」

 饒速日は部下に一人を残すよう伝達し、その一人の動向を観察した。

 仲間が倒され一人になった堕鬼人は、何かに追い立てられるかのように駆け出す。その速さはただの人のものを遥かに超え、饒速日と和珥は懸命に追った。

「はっ、はっ、はっ……ここ、か?」

「は、い。そう、で……す」

 息を整え、饒速日はを覗き込んだ。

「この中、か?」

 村の外、森の奥地。獣と鳥くらいしか訪れないであろう場所に、その岩場に隠れるようにして、底知れない穴が開いていた。


 同じ頃、客人まろうどの住む村。

 香香背男かかせおは剣で目の前の堕鬼人を葬り去ると、額の汗を拭った。村の人々は逃げおおせたが、後始末に時間がかかっている。

 後始末というのは、残った堕鬼人を倒し切ることだ。さっきまではよいと名乗る若者が手伝ってくれていたのだが、彼は「呼ばれた」と言い置くと消えてしまったのだ。

 遠距離攻撃を得意とする者はこの村には少ないために重宝したのだが、仕方がない。香香背男は内心呟くと、血のにおい漂う戦場に目を向けた。

「……あいつらは、無事か?」

 思い出すのは、懸命に慣れない戦いに身を投じていた友の忘れ形見。そして、彼の仲間たちの姿だ。彼らが何処までたどり着いたのか、香香背男は知らない。

われに出来るのは、ここで堕鬼人を全て倒すことだけだな」

 彼の手に光るのは、甕星ノ刃みかほしのやいばと名付けられた剣だ。既に血濡れたその剣を、香香背男は天に向けた。

「見てろよ、日子ひるこ。この戦いを終わらせて、必ずお前を探し出す」

 何度誓ったかわからない切実な願いを改めて胸に刻み、香香背男は残った男たちと共に刃を振るった。




 最初に見えたのは、闇だった。何も見えないという事実が、闇に包まれているのだと認めさせる。

 阿曽は自分が目を開けているのか閉じているのかもわからず、思わず手を彷徨わせた。

「温羅さん、大蛇さん、すさ……」

「いるぞ、ここに」

 須佐男の声がしたかと思うと、小さな炎が灯る。見れば、温羅の手の中で温かな橙色の炎が燃えている。

 炎に照らされたのは、温羅だけではない。須佐男と大蛇の姿も見えて、阿曽は心からほっとした。

「よかった。……あれ、晨と宵は」

「こっちだ」

「―――うわっ」

「ふふっ、気付かなかったな」

 きょろきょろと視線を彷徨わせる前に、自分よりも大きな手が阿曽の頭を掴んだ。驚き声を上げると、傍でわずかに声の高さの異なる声がする。

 前者が晨で、後者が宵だ。

「晨、宵も」

 温羅が炎を二つに分け、片方を阿曽に手渡してくれる。それに照らされた晨と宵の顔は、阿曽をいじって楽しそうに笑っていた。

 阿曽が軽く頬を膨らませて眉を寄せると、双子は「悪かったよ」と頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。子ども扱いするなと怒れば、悪気の全くない顔で謝ってくるだけだ。

「ったく」

 これ以上の問答を避け、阿曽は改めて周りを炎で照らし出す。

「……ここが、堅洲国かたすくに

 照らし出されたのは、ごつごつとした岩場。山道のように足元は頼りなく、足を踏み外せば何処かに落ちてしまいそうだ。

 更に、日の光があたらないためか木々は少ない。生えている木はどれも痩せ細り、今にも倒れてしまいそうだ。葉も黒く、それが変色なのか元々その色なのか判別が出来ない。

 須佐男も阿曽と同様に見回し、眉間にしわを寄せた。

「この何処かに、人喰い鬼あいつがいるのか」

「……須佐男は、人喰い鬼が何者か知っているのか?」

 晨に問われ、須佐男はぴくっと反応する。いつもよりも低い声で、胡乱げな顔で明日を見返した。

「どうして、そう思った?」

「人喰い鬼を『あいつ』と呼んだ。そんな言い方をするなら、須佐男は人喰い鬼が何者なのか知っているのかと思っただけだ。……言いたくなければ言わなくてもいい」

「……」

 気遣われ、須佐男はガシガシと後頭部を掻いた。そして、ちらりと温羅と大蛇に目をやる。二人は顔を見合わせ、困ったように微笑んだ。

「須佐男、お前に任せるよ」

「言うべきだと思うなら、言ったらいい」

「そうだな」

 しばし考える素振りを見せた須佐男は、目を閉じて息をついた。そして目を開けると、明日と宵を交互に見た。

「……人喰い鬼の真名まなは、伊邪那岐いざなぎ。オレの父だった男だ」

「須佐男の、父親」

「高天原の神か」

 双子は目を瞬かせ、ニヤッと笑った。

「おれたちに似てるな、あんた。父親と相容れないっていう点で」

「自ら手にかけようっていうのか?」

 宵の問は、須佐男の息を一瞬止めた。奥歯を噛み締めた後、須佐男はいっそ冷たく聞こえる声色で応じた。

「―――もしも、そうしなければならないのなら」

 神殺しは重罪だ。神だからこそ、負うものは大きい。神殺しを許された神は、たった一人を置いて存在しないのだ。

「オレは神殺しの神じゃない。許されているのは……!」

「須佐男?」

 言葉を途中で切って、須佐男はきょろきょろと見回した。大蛇は何を探しているのかと尋ねようとしたが、それよりも先に須佐男が凄まじい殺気を帯びる。

「どうした、須佐男?」

「―――――た」

「は?」

 大蛇が聞き返すと、須佐男は乾いた唇を舐めて湿らせる。そして、一言一言噛み潰すように吐き出した。

「いたんだよ。元凶が」

 須佐男の目が、岩場と枯れ木の先を射抜く。闇に溶け込むようにして建つ建物を睨みつけている。その先に、闇に慣れた瞳が人影を捉えていた。

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