第95話 今度は共に

 櫛名田くしなだに山への案内を頼み、阿曽たちは彼女の住み家がある山へとやって来た。そこは人の足が入ることを拒む霊山であり、動植物以外は櫛名田しか住んでいなかった。

 しかし、今は櫛名田も高天原で暮らしている。彼女の元住居を覗くと、何者かによって荒らされた跡があった。

「酷えな」

「こんなことだろうと思ってたから、大丈夫よ」

 家を覗いて顔をしかめる須佐男に、櫛名田はくすくすと笑う。

 彼女は盗られて困るものは全て持参しており、家には何も残っていない。祭壇も勿論、高天原の自室にある。

「ほら、こんなところで油売ってないで、行こう」

 須佐男の背を押し、櫛名田は迷わず阿曽たちの待つ穴の前まで行く。須佐男も何か言いたがっていたが、結局口に出すことはない。

「お帰り、二人共。もう大丈夫かい?」

「ええ」

 須佐男に何か言う隙を与えず、櫛名田は笑顔で応じた。そして、四人を穴の前に並ばせる。

「……今から、あなたたちを根の堅洲国に送ります。絶対に、帰って来て下さいね」

 そう言った櫛名田が両手を天にかざした時、彼らの前に突然光の塊が二つ現れた。その光の出所はと言えば、阿曽の日月剣である。

「……念じたら、呼んでくれた」

 何を、とは口にしない。しかし阿曽の言葉から、誰もが察しをつけていた。

 やがて光は薄れ、二人の人物が立ち上がる。両面宿禰りょうめんすくなの双子、あしたよいである。

「全く、呼ばれずにお前らが行ったらどうしてやろうかと思ったぜ」

「その時は、目にもの見せてやるだけだけどな」

「晨、宵。二人共来てくれてありがとう」

 阿曽は素直に頭を下げ、双子を動揺させた。同じように目を見張る晨と宵に、須佐男たち三人は吹き出してしまう。

「くっ、くく。阿曽、お前流石だわ」

「あはは。戦いでは動揺すらしない双子を動揺させるんだからね」

「ふふっ。ああ、阿曽、気にしなくていいよ」

「……はぁ」

 温羅に気にするなと言われても、阿曽には何故笑われたのかすらわからない。助けを求めて櫛名田を見るが、彼女も微笑をたたえるだけだ。

「ああ、そうだ。これを渡さないとね」

 笑いを収め、大蛇が懐から透明な器を取り出す。その中に二つの水の粒が浮かんでおり、双子はそれを覗き込んだ。

「何だ」

「これは?」

「……二人に言ったよね。天恵の酒を手に入れるって」

 大蛇の隣に立った阿曽の言葉で、双子ははっとする。信じられないという面持ちで、同時に口を開いた。

「「手に入れたのか?」」

「ああ。そして、二人の目の前で浮かんでるそれは、きみたちの分だよ」

「おれ……」

「たちの?」

 首を傾げる双子の前で、大蛇が器のふたを開ける。

「さあ、二人共得物を出して」

「「??」」

 晨は神度剣かんどのつるぎを、そして宵は天之麻迦古弓あめのまかこゆみ天波波矢あめのははやを取り出して手に持った。

 すると器から飛び出した酒が、ふわふわと宙を舞って二人のもとへとやって来る。数度くるくると双子の周りを回ると、武器の中に飛び込んだ。

「「えっ!?」」

 思わぬ出来事に、双子の開いた口が塞がらない。しかしそれ以上の変化は起こらず、晨が微妙な顔をした。

「おい、これでどうにかなったのか?」

「今、二人の得物の中に天恵の力が入った。だからこれで堕鬼人だきにを倒せば、堕鬼人の魂を救うことが出来るんだ。……次の生を得ることが可能になる」

「本当に、天恵の酒はあったのか」

「仕方ない。目の前で見せられたんだからな」

 大蛇の説明を聞き、双子は顔を見合わせた。そして、四人の顔を順番に見る。

「今から、人喰い鬼を倒しに行くんだろう?」

「そうだよ、宵」

 温羅に応じられ、宵は頷く。晨はしげしげと剣を眺めていたが、その切っ先を穴へと向けた。

「行こうぜ。お前らとおれたちがいれば、必ず勝つ」

「凄い自信だな。だが、同感だ」

 須佐男も天叢雲剣あめのむらくものつるぎをかざして、不敵に笑う。

「行こう。――櫛名田、頼む」

「ええ。……では、ご武運を」

 櫛名田は再び天に両手を掲げると、目を閉じた。

『―――今、繋げる。交わらざる二つの地。願わくは、この者たちを護り支え給え』

 短い祝詞が終わった途端、六人の体が景色と同化していく。突然の変化に慌てた阿曽は、思わず温羅の衣を握り締めた。

「大丈夫だよ、阿曽。櫛名田を信じて」

「うっ、信じてます。はい」

 段々と透明になっていく体。そして、阿曽の目の前の景色もぼやけていく。

「あっ、櫛名田さんッ」

「はい?」

 まさか話しかけられるとは思っておらず、櫛名田の肩が跳ねた。ほとんど消えかけた阿曽が胸の高さまで右手を挙げ、小さく振りながら言う。

「行ってきます」

 その真剣で少し不安げな顔は、彼が成長した証。

 完全に彼らが姿を消してから、櫛名田はその場に座り込んだ。「はぁーーー」と長い息を吐く。

 手を地につき、顔を上げる。そこには、大きな穴が真っ暗な口を開けているのみだ。

「……櫛名田?」

 ガサリと背後で物音がしたかと思うと、桃太郎が姿を見せた。阿曽たちを送り出した後の護衛に、と天照と月読が付けたのだ。

 まだ人としてのものが不安定な桃太郎は、まさか櫛名田が座り込んでいるとは思わず、少ない表情で焦燥を見せる。そのわずかな顔の変化に気付き、櫛名田は苦笑した。

「大丈夫ですよ、大丈夫。少し、思っていたことがあるだけですから」

「そう、ですか……」

 桃太郎はそれ以上何も言わず、おずおずと櫛名田に手を差し伸べた。その手を有難く掴み、立ち上がる。

「……」

 櫛名田の全身を見て怪我のないことを確認し、桃太郎はほっとした表情を浮かべた。何処となく、肩の力も抜けている。

「帰りましょう、桃太郎。後は、願い祈って待つだけです」

「はい」

 先導する桃太郎の後について、櫛名田は山を下りる。その途中、自分の家だった建物の傍を通り過ぎた。

 ふと、櫛名田の頭にこの家の惨状を見た須佐男の姿が蘇る。

(須佐男。あなたのいるところが、わたしの帰る場所だから)

 彼らが無事に戻ることを、願う。激しく、強く。

「櫛名田……?」

「ああ、ごめんなさい」

 いつの間にか立ち止まっていたらしく、桃太郎が思いの外遠いところから声をかけて来る。櫛名田は深く息をすると、少し駆け足になって彼女の元へと向かった。

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