人喰い鬼の侵攻
第94話 地上の戦い
そんな姉に呆れ、月読が天照を叱る。
「姉上、落ち着いて下さい」
「お、落ち着いているわ! 須佐男たちは必ず帰って来るもの」
「……それが落ち着いていないというのですよ」
嘆息し、月読は神殿の外を見る。既に日は昇り、温かな光が満ちている。この光が射す中つ国の現状を思うと、何も出来ない自分がもどかしい。
その時だった。急に神殿の中が騒がしくなる。月読は通りがかった素兔を捕まえ、何が起こったのかと尋ねた。
「ああ、月読様。須佐男様たちが戻って来られたそうですよ」
「そう……」
「本当!?」
月読が返事をし終わるのを待たず、天照が駆けて行く。その様子に頭を痛めながらも、月読は苦笑を浮かべるしかない。
「全く。……仕方がありませんね」
身を翻し、月読も天照に倣った。
「お帰りなさい、みんな」
「ただいま、姉貴。兄貴も」
にこやかに嬉しそうにする天照と、応対する須佐男。更に温羅と大蛇がいるが、一人の姿が見えずに月読は首を傾げた。
「阿曽の姿が見えないが、何処に?」
「ああ、ここですよ」
くすっと笑った温羅がくるりと背を向けると、そこには気持ち良さそうに眠る阿曽の姿があった。目を瞬かせる月読と微笑ましく見守る天照に、大蛇が説明する。
「実は、天恵の酒がきつくて。そのにおいだけで酔っぱらってしまったんです」
「ああ……阿曽は下戸なんだね」
納得、という表情で頷く月読は、ひとまず全員を神殿の中に招き入れた。阿曽を寝床に寝かせ、その傍で全員が集まる。
「ね、天恵の酒ってどんなものなの?」
興味津々という顔で身を乗り出す天照に、大蛇は懐から一つの容器を取り出した。透明なそれの中には、ふわふわと浮かぶ雫が二つある。
無色透明なそれは、何の変哲もない水のように見える。天照は間近でそれを見て、不思議そうな顔をした。
「それが、天恵の?」
「ええ。飲むものではないらしく、ぼくたちの剣にもそうなのですが刃に吸い込まれるんです。そうすることで、この剣で堕鬼人を斬るとその魂は浄化されるのだと言います」
大蛇の説明に、月読がうんうんと頷いた。
「成程、刃に宿った天恵の酒の力で堕鬼人が清められるんですね」
「そうだ。そして、残ってる二つは
「姉貴、兄貴?」
「須佐男、みんな。今の中つ国の状況を知ってる?」
天照に問われ、須佐男たち三人は顔を見合わせた。代表して、困惑顔の温羅が応じた。
「わたしたちがここを出る時、中つ国で堕鬼人が増えているという話は伺いました。ですが、それ以後のことは……」
「それは勿論、仕方ないことです」
月読は頷くと、パチンと指を鳴らした。すると、彼の傍に満月のような輪が現れる。更にそれに雲がけぶったかと思えば、輪の中に地上の光景が描き出された。
見えてきたのは、
「ッ―――あれは!」
須佐男が月読を突き飛ばしそうな勢いで映像に迫る。それ程動きはしなかったものの、温羅と大蛇も衝撃を受けていた。
「あれ、
「ああ。……くそっ、追い込まれてんじゃねえか!」
須佐男が見る前で、饒速日は何人もの堕鬼人を相手にしていた。
彼らの他にも数名が戦っていたが、その誰もが傷を負ってボロボロに見えた。
「くそっ、早く人喰い鬼を……ん?」
須佐男の影から顔を覗かせた大蛇が、一点を指差す。小さな点のようだったそれは、時を追うごとに徐々に大きくなっていく。そして、やがて人の形になった。
「晨!?」
そこに躍り出たのは晨だった。細身の
声は聞こえないが、饒速日の表情は驚きに染まっている。それから短い問答があり、二人の共闘が始まった。
場面は変わり、傷だらけの香香背男が見える。その
「こっちは宵、か」
集落を見下ろす崖の上から、宵が
こちらは既に共闘を決めているのか、どちらの動きにも無駄はなかった。
「見た通り、堕鬼人の侵攻が進んでいます。晨と宵は方々に現れては、その地に巣食う堕鬼人を倒しているようですよ」
雲に掻き消えるように輪を消した月読が、そう言って三人を見た。大蛇は自分の手の中で双子を待つ天恵の酒を見詰め、温羅は眠る阿曽を見やった。
須佐男は剣を握り締め、今にも抜かんとするほどの怒気を見せる。
「さっさと片を付けるぞ、二人共」
「ああ。あのままじゃ、堕鬼人は消えるだけだからね」
「中つ国のあるべき姿はこんなものじゃないはずだよ」
互いに意志を確認した三人の耳に、小さな呻きが聞こえた。
「うぅ……っ、あれ、ここは!?」
急いで上半身を起こした阿曽を囲み、須佐男たちは少し表情を緩めた。
「起きたか、阿曽」
「良く寝てたね」
「具合はどうだい?」
「あ、大丈夫です……じゃなくて!」
慌てて起き出した阿曽は傍に置かれていた日月剣を抱きかかえるように持ち、真っ直ぐな目で見回した。
「行きましょう、
「ああ、聞いてはいたんだね」
温羅が月読が見せてくれた光景のことを言うと、阿曽は曖昧に頷いた。半分ほどは眠りながら、耳だけ機能させて聞いていたのだという。
「でも、晨と宵の二人も戦ってくれてるってわかりました。……彼らを呼んで、大丈夫でしょうか?」
饒速日や香香背男の下で力を振るっているらしい双子のことを気にする阿曽に、大蛇と温羅は「気にしないでいい」と応じた。
「寧ろ、呼ばなければ大変なことになるだろうな」
「全てが終わった時、こっちが殺されそうだよね」
「……間違いないですね」
阿曽は苦笑いし、日月剣をゆっくりと鞘から抜いた。阿曽の顔を映すほど磨かれた刃には、天恵の力が宿っている。
剣を天に向かって挙げ、阿曽は目を閉じた。心の中で、晨と宵に呼び掛ける。
「……須佐男」
少しずつ阿曽の周りに光りが集まっていく。それを見詰めていた須佐男は、月読に肩を叩かれて我に返った。
「何だよ、兄貴」
「須佐男。もしも禁忌に触れそうになったら、僕を呼んでください」
「禁忌って、時間を戻すってあれか?」
首を捻る須佐男に、月読は首を横に振った。
「それも禁忌ですが、違います。……神である僕らが侵せない領域の話です」
「神が侵せない……もしかして」
「ええ、そう。神殺しです」
「そんなこと……わかった」
冗談として返そうとした須佐男だったが、あまりにも真剣な顔をする月読に呑まれて頷くしかない。
弟の了解を得て、月読は目に見えてほっとした顔をした。
「では、必ず戻って来なさい。須佐男」
「はい」
その時、阿曽の剣の光が天を突き破るように消えた。ほっと力を抜いた阿曽は、須佐男たち三人と頷き合う。
「行きましょう」
天照と月読たちに見送られ、四人は再び地下の世界へと踏み出した。
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