第93話 天恵の力

 阿曽たち四人は、九重ここのえ菊花きくはなに導かれて小屋の中へと入った。そして敷物の上に胡坐をかく。

 女性二人も四人の前に正座すると、改めて名乗った。

「わたくしが九重。こちらが菊花と申します。皆さまの名を聞いても良いでしょうか?」

 その問いかけに応えたのは、温羅だ。

「わたしは温羅、そしてこの子は阿曽。須佐男と大蛇です」

 温羅の紹介に合わせ、三人はそれぞれに会釈する。それらを見て、九重は柔和な笑みを浮かべた。

「少彦那様からあなた方が来られることは知っておりました」

「……あなた方がここに来た目的も、聞き及んでいます」

 そう言いながら白湯を置くのは菊花だ。器を受け取り、須佐男が頷く。阿曽は緊張して、ごくんと唾を飲み込んだ。

「オレたちは、天恵の酒を探している。ここでそれを手に入れられると聞いたんだが、相違ないか?」

「ええ、相違ありません。わたくしたちが造る神酒は、外の世界では天恵の酒と呼ばれる代物ですわ」

「それを、譲って欲しいんです」

 控えめな声で、阿曽が直談判する。虚を突かれた九重と阿曽の視線が交わった。目を合わせたまま、九重は阿曽に問う。

「……理由を、あなたの口から伺っても?」

「俺たちは、堕鬼人だきにを救いたい。人喰い鬼のせいで堕ちてしまった人たちの魂を、次の生へ繋げたいんです。そのためには、天恵の酒が必要なんです」

 お願いします、と阿曽は頭を下げた。須佐男たち三人も、頷き合って頭を下げる。

 ここで天恵の酒を得ることが出来なければ、阿曽たちは堕鬼人の侵攻を食い止めることも出来なければ、人喰い鬼のもとへとたどり着くことも出来ない。それらを達成するために、九重と菊花に認められなければならないのだ。

「……そんなに必死にならなくても、約束ですから差し上げますよ」

「ちょっと、菊花! 言い方が」

 よく言えば落ち着いた、悪く言えばつっけんどんな声が降って来た。

 阿曽が頭を上げると、腕を組んだ茶髪の美女がこちらを見つめている。彼女の横では、少し慌てた九重がおろおろとしていた。

 九重の咎めを無視し、菊花は立ち上がる。そのまま外へと出ようとして、こちらを振り返った。

「皆様もこちらへ。倉へ案内致します」

「倉? そこで酒を造っているのか」

 須佐男の問いに、菊花は頷いた。その後を繋いだのは九重である。

「そうです。わたくしたちは酒を司る女神。酒精と食物の力を借り、この日のために天恵を授ける酒を造り続けてきたのです」

 九重も立ち上がると、菊花に続いた。彼女らに促され、四人もその背を追った。


 阿曽たちがやって来たのは、むせ返るほどに酒の香りがたつ倉の中だった。酒好きの須佐男たちは上機嫌だが、阿曽は頭がくらくらしてきた。

「阿曽、小屋にいても良いけど……」

「いえ、温羅さん。俺も一緒に」

 天恵の酒をくれと言ったのはこちらだ。要望だけしておいてその場にいないのでは、申し訳ないではないか。そんなことを思う阿曽だが、少しずつ思考のまとまりを欠いてきたことに気付かない。

「九重さん、菊花さん。阿曽はまだ……」

「ごめんなさい。あなたにはまだきつかったですね、阿曽」

「いえ、大丈夫れす……」

 赤い顔をして手を振る阿曽の足元がおぼつかない。須佐男たちは苦笑を交わし、九重と菊花に先を促した。

「では、さっさと終わらせましょうか」

「ええ」

 菊花と九重は頷き合うと、ある一つの樽の前で立ち止まった。

 倉にある樽は全て、彼女たちの背丈の二倍以上はある。胴回りも太く、大人が五人は手を繋がないとその円周を量ることは出来ない。

 二人は息を合わせ、その場に膝をついた。そして、指を胸の前で組む。瞼を閉じ、声を合わせた。

「「天恵を呼ぶ酒よ、天命を得る酒よ。その力を貸し与えたまえ。――時は来た。この者たちに力を授けよ」」

 彼女たちが唱え終わると同時に、樽の中が白く輝いた。その眩しさに、阿曽たちは思わず目を瞑る。

「……?」

 瞼の裏が暗くなり、そっと目を開ける。すると目の前に立つ女神たちの手の中に、六つの珠が浮いていた。

 珠はいずれも透明で、雨粒のようにも見えた。

 大蛇が六つのそれを見て誰とはなしに尋ねる。

「それ、は?」

「これは、天恵の酒を六つに分けたものです。あなた方一人一人に、これは必要でしょうから」

「でも六つ……? あっ」

 大蛇がパンッと手を打った。残り二つの割り当てを思いついたのだ。

あしたよいの分か!」

「わたくしたちはその二人を存じ上げませんが、少彦那様の命ですので」

 あくまで静かな菊花の手から、二つの酒の珠が移動する。同じように、九重の手のひらからも二つが浮いて移動する。

 それらの珠は、阿曽たち四人の前で止まった。

「これを、どうしたら良いんだ……?」

 戸惑う須佐男たちに、九重はにこりと微笑んだ。そして、そっと彼らの武器を指差す。

「得物を、手に。そうすれば、酒が力を授けてくれますわ」

「剣を?」

 半信半疑の須佐男が鞘に収めた剣を抜き、刃を寝かせた。すると、するすると酒の珠が近付いてきて、刃に触れた。

 ――ぽちゃんっ

「!?」

 水音がして、珠は刃に染み込んだ。そして、何も起こらない。

 何が起こるのかとびくついていた須佐男だったが、拍子抜けしたようだ。

「何もない、のか」

「さあ、他の皆様も」

 菊花に促され、温羅と阿曽、大蛇もそれぞれの剣を抜いた。須佐男の時と同じように刃に消えた珠の行方を見詰め、温羅が少し困惑の表情を浮かべた。

「あの、これは……?」

「これで、あなた方の得物は天恵の力を得ました」

「天恵の力?」

 淡々と応対する菊花が頷く。

「天恵の力は、堕鬼人の魂を来世へと繋げる刃となります。あなた方の剣で斬った堕鬼人はその体を滅し、魂は浄化されるでしょう。……来世において、新たな生を得るのです」

「これで、浄化されるのか」

 何の変哲もない自分の剣の刃を撫で、大蛇は呟く。にわかには何かが変わったとは信じがたいが、目の前で酒の力と一体化したのを見たのだから信じないわけにはいくまい。

 須佐男は軽く剣を振り、手の感触が変わらないことを確かめた。鞘に収め、よしと気合を入れる。

「これで、目的を果せるな。行く――――阿曽っ!?」

「ぅえ?」

「あ、はは。もう無理みたいだよ、須佐男」

 酔いに耐え切れなくなった阿曽の体がかしぎ、温羅にぶつかった。少年の体を抱き上げた温羅は苦笑し、大蛇が日月剣を鞘に戻してやる。

 見れば、阿曽は寝息をたてている。そのあどけない表情に笑みを漏らし、須佐男は九重と菊花に向き直った。

「天恵の酒を授けてくれたこと、感謝する。これで、オレたちは戦える」

「ええ、ご武運を」

「こちらに酒を入れておきます。その晨と宵という方々に出逢ったら、お渡しください」

「ありがとうございます」

 酒の入った透明な容器を受け取り、大蛇は軽く頭を下げた。その隣では、温羅が阿曽を背中におぶった。規則正しい寝息が温羅の耳元で聞こえる。

「とりあえず、報告のためにも一度神殿に戻ろうか」

「ああ。姉上たちに知らせなければな」

「では、お二人共お元気で」

 須佐男たちに挨拶され、九重と菊花は淡く微笑んだ。

 女神二人に見送られ、四人は新たな戦いのために神殿へと向かった。

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