第91話 酒の在り処
「来たか」
老年の男の姿を取った
「少彦那さん、天恵の酒を下さるって本当ですか?」
確認だとばかりに阿曽が身を乗り出す。それに頷くと、少彦那は
「まずは、朝餉を食せ。全てはそれから話そう」
少彦那の言葉を合図にしたかのように、素兔以下神殿に仕える女官たちが部屋に料理を運び始めた。
海の幸と山の幸がはびこる膳に気圧されながら、阿曽は皿を取った。同様に困惑する須佐男が、天照に問う。
「こんなご馳走、どうしたんだよ」
「あなたたちへの
「……餞?」
答えを聞いても当惑したままの弟に、天照は微笑む。その傍に控えていた月読が、呆れ顔で補足した。
「つまり、きみたちはこれから最後の戦いに赴くんでしょう? 姉上は、無事に帰って来るようにと願いを込めて自ら腕を振るわれたんです」
「月読っ、言わない約束じゃ……」
「どうせ、素兔がばらします。それに、知っていた方が須佐男たちも喜びますよ」
焦り顔を見せる天照に、月読は何でもない顔をしてあしらった。もう、と頬を赤らめた天照に、須佐男は頬を掻きながら目を逸らした。
「その、ありがとう。姉上」
「す……須佐男!」
「う、うっさいな! 礼ぐらい普通だろう」
照れ隠しに椀の汁物を飲み干して、須佐男は別の料理に手を出した。そんな弟を見て、天照と月読は微苦笑を浮かべ合った。
須佐男は気付いていないのだろうが、彼が素直に誰かに礼を述べるなんてことは、今まで稀なことだった。いつの間にか、弟は成長したらしい。
二人の感慨を他所に、食卓には明るい時間が過ぎていく。須佐男と隣に座る大蛇が獣肉を焼いたものを取り合ったり、温羅に遠くの皿を取ってもらった阿曽が思わぬ味に驚いたりと朝餉の席は忙しい。
「……こほん」
朝餉も終わりに近づいた頃、少彦那がわざとらしく咳払いした。阿曽は水菓子の最後の一切れを口に入れ、飲み込んでそちらに目をやる。
「少彦那さん」
「阿曽、須佐男、大蛇、温羅。……お前たちには、これから高天原のある場所に行ってもらう」
「ある場所?」
大蛇が首を傾げ、それは何処かと催促する。その思いは四人とも共通のもので、少彦那に集まる視線が強まった。
少彦那は一旦目を閉じ、深く息を吐く。そして、浅葱色の瞳をカッと開いた。
「その場の名を、
女神の名は、
「……本来ならば、常倉への道筋を簡単に教えることは出来ぬ。出来ぬが……」
少彦那は、愁いを宿す瞳を伏せた。
「時が惜しい。一刻でも早く、人喰い鬼の伸ばす手を断ち切らなくてはならん」
「では、教えて頂けるということですね?」
「その通りだ、温羅」
温羅の問いに応と言い、少彦那は右手のひらを机の上に出した。そして、目を閉じる。
『――定めを変えんとする者がいる。その願いに応え、道を示せ』
ぼんやりと浅葱色に光る球体が、少彦那の手のひらに現れる。それはふよふよと浮かび、阿曽たちの周りを飛んだ。
「それが、常倉への道を示してくれる」
「! 少彦那さん、目が」
阿曽が目を見張るのも当然だ。彼が指差す先にあった少彦那の目の内、左目の色が失われて白濁しているのだから。
しかし少彦那は気にした様子もなく、ああこれか、と呟いた。
「気にするな。わしの力を一部切り離したまでじゃ。……この先常倉までの道を、わしの目が導く」
机の上で誰よりも小さな少彦那の瞳から生まれた球体は、彼自身と同じくらいの大きさだ。それを指の先でつつき、阿曽は胡坐をかく少彦那に頭を下げた。
「ありがとうございます、少彦那さん。……俺たち、絶対にやり遂げて見せます」
阿曽の宣言に合わせ、須佐男と大蛇、温羅も頷く。
「当然だろ。オレたちが終わらせてやるよ、あいつの野望までもな」
「ああ。堕鬼人の連鎖を終わらせて、戦いなんてもの終わらせよう」
「わたしたちなら、負けないさ。でないと、
温羅が名を出した二人は、今中つ国にて堕鬼人の侵攻を遮るために戦っている。その戦場の何処かに、
晨と宵は、阿曽たちとの共闘を待っている。自分たちを使い潰そうとした人喰い鬼を倒すために。生まれ故郷に帰るために。
決意を新たにする阿曽たちの周りを浮き回っていた球体は、不意に部屋を出て行った。それを目で追う阿曽が少彦那を振り返ると、老人は杖の先を外へと向けた。
「行け。―――世界の明日を握る者たちよ」
「はいっ」
真剣な瞳で頷いた阿曽を先頭に、四人が光を追って駆け出した。彼らの背を見送り、天照は胸の前で両手を組み、願った。
どうか、四人が笑顔で戻って来るように、と。
「須佐男」
神殿の入口で、須佐男を呼び止めた声がある。振り返った彼が見たのは、櫛名田と桃太郎の姿だった。
「櫛名……」
「どうか、ご武運を」
若葉色の瞳を真っ直ぐに恋人へ向け、毅然と櫛名田は言い切った。その瞳がわずかに揺れていたことを、須佐男は指摘しない。
その代わりに、須佐男はふと櫛名田の髪を飾る櫛に手を触れた。それは、須佐男が櫛名田と共にあることを約束した際に贈った櫛だ。
「行ってくる。姉上たちを頼む」
「任せて」
笑みを浮かべた櫛名田の髪を梳き、須佐男は柔らかく微笑んだ。
「……」
「桃太郎?」
櫛名田の後ろから姿を見せた桃太郎に、阿曽は首を傾げた。
桃太郎は、その衣服からして見違えていた。血と汗、泥にまみれていた男物の衣ではなく、櫛名田と似た女官や巫女に近い格好に変わっていたのだ。
藍色の長い髪は変わらず一つに結われているが、その組紐は名と同じ優しい桃色をしている。更に、特徴的な青い瞳と同じ色の帯が目を引く。
桃太郎の変わりように目を見張って言葉もない阿曽に代わり、温羅と大蛇が身を乗り出した。
「変わった、ね。驚いたよ」
「ああ。……うん、その方が良い。これから、きみの生が始まるんだから」
「『始まる』……」
桃太郎は手のひらを見詰め、キュッと握り締めた。
「……誰も殺さず、助ける。今までの分を消すことは出来ないけど、命を救う側になる」
そのために使うのだと言って背中から抜いた剣は、以前持っていたものとは違う。細身で、名と同じ色の石が
桃太郎の決意を改めて聞き、阿曽はふっと微笑んだ。
「出来るよ、きみなら」
「―――っ」
「え? 桃太郎?」
カッと顔を赤くした桃太郎は、阿曽の問いかけに応じることなく神殿に引っ込んだ。ぽかんと見送った阿曽の後ろで、三人が別々の反応をしていた。
「おや、突然人らしくなったね」
「……なんか、不思議と複雑だな」
「あいつは媛じゃないのはわかってるだろうが、温羅。でも、良い変化だろ」
桃太郎の逃走に驚いたのは阿曽だけではない。櫛名田も目を見張っていたが、くすっと微笑んで阿曽たちの方を向いた。
「こちらは全て、お任せを。
「ああ、頼んだぞ。櫛名田」
須佐男の挨拶を皮切りに、四人は
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