天が造りし酒

第85話 思わぬ客

 眩い光を受けて目を閉じていた阿曽たちは、ゆっくりと目を開けた。彼らの姿は、高天原にある天照たちの神殿の前にあった。

「戻って、来たんだ」

「そうだ。行こうぜ」

 ほっと息をついた阿曽の頭をわしゃわしゃと掻き撫で、須佐男は四人を先導して歩く。まだ傷が目立つ須佐男だが、それは温羅も大蛇も阿曽も同様だ。

「まずは報告と、少し休ませてもらった方が良さそうだね」

「流石に腹減った」

 温羅と大蛇も言い合い、それを聞いていた阿曽の腹が鳴った。気の抜けた音が、その場に響く。

「あ……」

「……くくっ」

「ふっ」

「お前、やるなぁ」

「何笑ってるんですか!」

 顔を真っ赤にした阿曽に対し、温羅と大蛇、須佐男が笑い出す。ぽかんとその様子を見ていた桃太郎だったが、頬を膨らませて怒る阿曽と笑いが収まらない須佐男たちとのやり取りを見ていて、込み上げて来るものがあった。

「―――ふっ」

「あ、笑った」

「えっ」

 阿曽が一番に気が付き、桃太郎に笑いかける。自分が笑ったのかわからず唖然とする桃太郎に、温羅も微笑みかけた。

「うん、わたしも見たよ。笑ってたね」

「よかった、笑えたんだ」

「ふん。そうやって、笑えるようになっていったら良いけどな」

 大蛇と須佐男も不器用ながらも喜んでいるようだ。

「もう一回、やってみてくれよ」

 戸惑いつつも、桃太郎はわずかに口端を上げる。それでも笑顔には程遠く、まだまだ時間がかかるようだ。

 そうだとしても、小さな前進だ。

「お帰りなさい、みんな」

「姉貴」

 小さな変化を喜び合っていた彼らの後ろから、涼やかな声が響く。振り返れば、そこには神殿を下りて来る天照の姿があった。

 火のように赤い領巾ひれを肩にかけ、美しい珠で黒髪を飾った天照は真っ直ぐに桃太郎の前に膝をついた。

「え……?」

「初めまして、かしらね。あなたが桃太郎……」

 天照はそっと痩せた頬に手を触れ、腰が引けてしまった桃太郎の顔を確かめる。戸惑う少女の瞳に、女神の顔が映り込んだ。

 にっこりと微笑み、天照は腰を上げる。そして、阿曽たち四人を順番に見回して身を翻した。さらり、と日の光に輝く髪が揺れた。

「積もる話もあるけれど、まずは汚れを落として、昼餉としましょう」


 湯あみをし、さっぱりとした阿曽たちに綺麗な衣が渡された。いつもの衣は丁寧に洗い、乾かすのだという。血や泥で汚れたそれを預けるのは気が引けたが、月読が嫌な顔せずに持って行ってしまった。

 天照に導かれた先には、広い部屋があった。長い机の上には食事が並べられ、人数分の椅子が置かれている。

 菜や魚、そして中つ国では珍しい獣の肉など、ありとあらゆる食べ物が並べられていた。その豪華さに、阿曽は目を見張る。

「これ、どうしたんですか?」

「ふふ。わたくしが腕によりをかけて手作りしましたのよ? お口に合うかはわからないけれど、お腹も空いたでしょうからどうぞ」

「……」

「……」

 驚き動けない阿曽と桃太郎とは違い、須佐男たちが席に着いていく。

「阿曽、桃太郎。姉貴の気持ちだ。食ってやってくれ」

「それに、阿曽はお腹鳴らしてたから。食べられるだろう?」

「あ、いや。そうなんですけど……」

 須佐男と温羅に促されるも、怖気づいてしまう阿曽。ご馳走などと縁のなかった彼にとって、ある種の脅威なのだ。

 腰が引けたままの阿曽に、大蛇は微苦笑を浮かべて手招いた。

「驚くのもわかるけど、とりあえず席に着いたらどうだい? 天照さんはぼくらに話があるようだし」

「話、ですか」

 確かに、天照は月読と話しながら時折こちらを気にしている。阿曽は深く息を吸って吐き、同じく硬直している桃太郎の背を押した。

「驚かしたみたい。ごめんなさいね」

 ふふ、と微笑を浮かべた天照が言う。食事をする手は丁寧で、音もしない。対する阿曽はどうしても慣れず、申し訳なく思いながらも粗野に食べていた。

「いえ、天照さんのお気持ちが嬉しいです」

「そう言ってくれるなら、わたくしも嬉しいわ」

 嬉しそうに笑った天照は、月読に咳ばらいをされて何かを思い出したらしい。「あ」と声を上げた。

 用意された食べ物はその全ての皿が空になっていた。腹を空かせた者が五人もいればさもありなん、であろうか。

「須佐男。この後で、あなたたちにお客様が来るわよ」

「客?」

「客って、誰ですか?」

 須佐男と共に首を傾げた大蛇だが、彼にも他の仲間たちにも自分たちに客が来るなどと考えもつかない。互いに顔を見合わせている弟たちに、天照は笑い出した。

「姉上……」

「ふふっ。だって、月読。ふふっ」

「僕が言いますよ」

 呆れ顔に微苦笑を混ぜた月読が、須佐男たちに客の正体を明かしてくれる。

「覚えていますか? 少彦那すくなひこなという名を。彼が、須佐男たちと会いたいと言っているのですよ」

「少彦那って、あの!?」

 思わず声を上げた阿曽に、月読は頷く。そうだ、と言いたいのだろう。

「彼から今朝、つなぎがあったんです。きみたちと話がしたいから、尋ねると」

「話……?」

「阿曽。天恵の酒の話しかないんじゃないかな、そんなの」

「だが温羅、やつが言った条件をオレらが全て成し遂げたとは……」

 須佐男は、自分が本来の力を全て取り戻したとは思っていない。武器に時を超えさせる力は手にしたが、まだだと己では感じているのだ。

 温羅や大蛇に比べ、まだ自分は弱いのではないかと拳を握る。

「俺も、そう思います」

 阿曽もまた、日月剣を扱えるようになったとは言い難い。桃太郎との戦いは、彼女が正気を取り戻したことで終わった。

 腰に佩いた剣に目を落とし、阿曽は奥歯を噛み締める。

「俺はまだ……強くなれてはいません」

「どちらにせよ、少彦那に会わなければいけないのは確かだろう。判断するのはそれからで良いんじゃないかな」

 阿曽の肩に手を置き、大蛇が微苦笑を浮かべて言う。それも最もだ、と阿曽が頷いたのとほぼ同時に、神殿の中が騒がしくなる。

「天照さま、月読さま」

素兔そと

 振り返れば、部屋の入口に素兔が立っていた。天照が彼女に近付き、言伝ことづてを聞く。素兔に頷き、天照は阿曽たちを手招いた。

「行ってきなさい。客人が来られたわ」

 神殿の入口に、若者の姿をした神の姿があった。

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