阿曽
第68話 女神の日記
須佐男は月読と別れ、一人で天照の自室へと向かった。途中で外道丸と遊ぶ素兔の姿を見たため、声をかける。
「素兔、お疲れさん」
「須佐男さま、これから天照さまのところですか?」
「ああ。何か呼ばれてるって兄貴に聞いたから。……外道丸、元気そうだな」
外道丸は人形を与えられ、人形同士で戦わせる遊びをしていた。楽しいかと問うと、にへらっと気の緩む笑みを見せる。
「たのし~」
「そうか、よかったな」
外道丸の頭を撫でてやり、ふと思いついて素兔に提案する。
「そういえば、素兔。毎日一人でこいつの世話するのは大変じゃないのか?」
「大変……そう言われればそうなのかもしれませんが、楽しんでやっていますから。藪から棒にどうなさったのですか?」
「いや……。誰か手伝いに来てもらえれば、少しくらい気が楽なんじゃないかって思ったんだが」
柄にもないことを言っている自覚もあり、須佐男は頭の後ろ側をぽりぽりと掻いた。そんな須佐男の様子を微笑ましく見ていた素兔は、では、と両手のひらを胸の前で合わせる。
「櫛名田さまにお願いしましょうか」
「何故に櫛名田!?」
思わぬ名を出され、須佐男が慌てだす。それを悪戯を計画する少女のような顔をした素兔が見て、笑った。
「あの方は、須佐男さまが来なければ毎日一人ではありませんか。大切な役目があって山を離れられないのですから、わたしと外道丸が様子見を兼ねて遊びに行こうかと考えておりました」
そうすれば、櫛名田の邪魔にはならないだろう。そう言って、素兔は優しい表情を浮かべた。
「須佐男さまが人喰い鬼を倒すまで、わたしと外道丸があの方をお守り致しますわ」
「……ああ、頼む」
たった独りで山に籠る恋人のことを想う須佐男は、観念したように素兔に願った。素兔は頷き、外道丸の頭を撫でながら微笑んだ。
「承りました」
素兔との会話で少し時間を使ってしまったが、須佐男は天照と仲間たちの元へとやって来た。部屋に入ると、天照の向かいに阿曽と温羅、大蛇が座っていた。
「遅いよ、須佐男」
三人を代表して、大蛇が須佐男に手を振った。
「悪い。月読兄貴と鍛錬して、素兔と喋ってたら遅くなっちまった」
「素兔と? 珍しいわね……妬けるわ」
一瞬黒い表情をした天照だったが、それも瞬きの間だけだった。須佐男に座るよう促し、それを見届けると一旦席を離れる。
戻って来た時、天照の腕の中には数冊の書籍があった。それらを机の上に置き、再び座る。
「須佐男も来たことだし、旅立つみんなを集めた訳を話しましょうか」
「頼むよ、姉貴。阿曽についてだと、兄貴から聞いてきたんだが」
せっつくように言う須佐男の言葉に、阿曽が驚きの声を上げる。
「俺について、ですか?」
「そう。阿曽について少しだけわかったことがあるから、伝えておかないといけないと思って、ここに呼んだの」
天照は手元の書籍を一冊手に取り、とある場所を開いた。そこに書かれているのは、硬い文章ではなかった。
「『この日、
「日記よ。わたくしたちの母である
「日記……」
阿曽はその書籍を受け取ると、別の個所も読んでみる。先程よりも前には、若い頃の散文的な文が並んでいた。天照によると、伊邪那美は思いつきで日記を記す人だったという。
そもそも伊邪那美とは何者なのか。それがわからないと口にした阿曽に、温羅が教えてくれた。
「そういえば、きちんと説明したことはなかったね。
「黄泉国の主で、天照さんたちの母親……?」
「そう。不思議だろう?」
温羅の言葉に、阿曽は素直に頷いた。何がどうなったら、高天原の神であった女性が黄泉国の主に転身するのか。
ふと須佐男を見ると、複雑な表情をしている。困っているような、怒っているような、そんな顔だ。
「……姉貴、今母さんのことはどうでもいいだろ。それとも、関係があるのか?」
「大ありなのよ。何故って? この日記に、阿曽に関すると思われる記述があったんだから」
天照の言葉に、須佐男と大蛇、温羅がそれぞれに身を乗り出した。
「母さんの日記に、こいつのことが?」
「え、どういうことですか。天照さん」
「詳しく聞きたいですね。だろう、阿曽」
温羅に問われ、阿曽も頷いて見せた。自分に関することは、自分すら覚えていない。何故瞳が赤いのか、何故森に住んでいたのか。それらを知るきっかけになるのなら、知りたかった。
「教えて下さい、天照さん」
立ち上がりそうな勢いで言う阿曽に、天照は「わかったわ」と微笑んだ。阿曽から日記を返してもらい、再び開く。
「さっき阿曽が読んだその先にね。『
「はぁっ? じゃ、じゃあこの日子の子が阿曽だって言うのか?」
素っ頓狂な声を上げたのは、須佐男だ。その傍で、大蛇と温羅も目を丸くする。阿曽は自分のことながら、理解が追い付かずに混乱していた。
四人の様子に、天照は慌てて鎮静化を試みる。
「落ち着いて。何も、この子どもが阿曽と決まったわけではないわ。日子は今も何処に行ってしまったのか不明だし、多々良の行方も知れない。これが確かだと決めることなんて……」
「真実かどうか、これを書いた方に聞けばいいじゃないですか」
温羅が机を指で数回叩いた。それが地下を示しているのだと、誰もが気付く。
「伊邪那美さんは、わたしたち始祖の鬼の王のような立場だから。会いに行こう」
「黄泉国か。もしかしたら、人喰い鬼のこともわかるかもしれないな!」
須佐男も同意し、黄泉国へ向かうことが決まった。
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