第67話 禁忌

 柱が折れ、壁に穴が開いている。床にはぶち抜かれた穴が開き、何処からか入り込んだ砂ぼこりで汚れていた。また、壁には刃で着いた傷が何本も走っている。

「さて、どうしたものかしら」

 天照が腰に手をあて仁王立ちしている。その周りでは、片付けに勤しむ阿曽たちの姿があった。

 楽々森ささもりが消えて残ったのは、一部が損壊した神殿である。現在、その片付けに追われているのだ。

 弟たちに混ざって作業をしていた月読は、ふと思い立って天照の元へと近付いた。

「姉上、石土毘古いわつちひこたちを呼びましょう。その方が早いです」

「成程、その手があったわね!」

 パンッと両手を合わせた天照は、早速素兔そとに頼んで石土毘古へ書状をしたためた。曰く、神殿が戦闘によって壊れてしまったため、直してほしい。そんな短い手紙である。

「石土毘古って、誰なんです?」

 阿曽は首を捻り、傍にいた須佐男に尋ねた。

「それは、石とか土とかを司る神の名だ。彼の元には、他にも家屋を造るための力を持った神がつどっている。確かに彼らの力を借りた方が、早く神殿も直せるだろ」

 須佐男によれば石土毘古の他、大戸日別おおとひわけなど合わせて六柱の神がいるのだという。その誰もが、建築の専門家なのだ。

 そうこうしているうちに、手紙は燕となって空へ消えていった。それを確かめ、天照は阿曽たちを振り返った。

「ここはもういいわよ。みんな、ありがとう。……そうそう」

 天照は須佐男を手招き、月読は弟の仲間たちを呼ぶ。

「須佐男。わたくしは、あなたに話しておかなければならないことがあります。そして、それはみんなにも聞いてほしいの」

「何だよ、姉貴?」

 話の内容に思い当たる節がなく、須佐男はきょとんと目を瞬かせた。それは阿曽たちも同じである。

 天照と月読は弟たちを無事な部屋に移動させ、彼らの前に座り込んだ。そして彼らを先に座らせて、天照が話し始めた。

「須佐男、あなたは『時』を司る力を思い出したわね。司るとはいえ、そこには禁じられたこともある。全ての行為が、神であることを理由に許されはしないわ」

「ああ?」

「天照さん、それってどういうことですか?」

 須佐男が肩眉を上げ、大蛇が言葉として訳す。その連携を微笑ましく思いながらも、天照の斜め後ろに控えた月読が口を開いた。

「決して、時を戻してはいけません。から」

「……どういう意味だよ、兄貴」

「その通りの意味ですよ」

 月読は淡々と、しかしはっきりと言い切った。

「強すぎる力には、それ相当のかせが存在します。枷のない強大な力など、自ら壊れていく道しか残されてはいません。須佐男は時を超えて武器を未来へと届けることが出来る。そして、逆もまたしかりでしょう。ですが、時は、事象は今を置いて前に戻ることは出来ません。口から出た言葉が、もう喉の奥に戻せないのと同じことです。……この意味が、わかりますか?」

「意味はわかるさ。だが、それと『オレが戻れなくなる』こととの関係性がわからないんだよ」

 どっかりとその場に胡坐をかき、須佐男は頬杖をついた。月読の話を最後まで聞くための姿勢だ。それを知っているから、月読はその態度を咎めない。

「……時を戻す。それは、この世のことわり全てに反する禁忌。生まれていたはずの者が生まれず、死んだはずの者が死なないことを意味します。それは、世界全てをいつか狂わせる。―――狂った時、優しいお前はきっと、そのままではいられない」

「だから、戻れなくなる、と?」

「そういうことです。―――おおまかにはね」

 おおまかには。その言葉は、須佐男に聞こえないほど小さな呟きだった。だから、須佐男には前半しか聞こえていない。月読が突然自分を褒めだして、困惑する。

「兄貴は、オレを買いかぶり過ぎだよ。優しいなんて、そんな言葉はオレには似合わない」

 須佐男は両手を頭の後ろで組み、苦笑する。その弟の頭を、天照が後ろから叩いた。ぺちん、と軽い音がする。

「地味に痛いな、姉貴」

「そんなこと言わないの」

 文句を言う弟に、天照はもう一度拳をくれた。それから、少しだけ痛そうな顔をする。

「須佐男、決して禁忌を犯しては駄目よ?」

「大丈夫。絶対に犯さない。……約束だ」

 天照の小指と須佐男のそれが交わり、約束がなされた。


 翌日。須佐男は月読を相手取って、己の力を使いこなすための鍛錬をしていた。たった二人で夜明け前の時間から動くのは、いつ以来だろうか。

 月読は決して戦闘向きではないのだが、誰よりも須佐男の癖を理解している彼だからこそ、この鍛錬には必要だった。

「須佐男、僕でよかったんですか?」

 そう言いながら、月読は梓弓あずさゆみを引き絞った。彼の得物は弓矢で、近距離戦闘には不向きだ。しかし、その分体術を心得ている。

「兄貴なら、何があっても大丈夫だろ?」

 須佐男は天叢雲剣を構え、不敵に笑った。それから地を蹴って、月読の頭上を取る。

「自らあたりに……いえ、違いますね」

「!!」

 月読の矢が放たれたのは、頭上にいる須佐男の方ではない。全く別の、自らの正面だ。

 そちらを飛んだ矢は、何かにあたって弾かれる。その先に、小さな剣が落ちた。

「流石兄貴! わかってんな」

「あなたがわかりやすいんですよ。あの剣を時へ放って今呼んだのでしょう?」

 現代の言葉で言うならば、時間を伴った空間転移を行なっている。ただ空間を移動するだけではなく、そこに時間というくくりが生じるのだ。

「正解―――どわっ」

 月読は矢を放った直後に落下してきた須佐男の手首を掴み、投げ飛ばした。剣を振る時すらも与えない早技である。

 木の幹にぶつかり、須佐男は起き上がった。これくらいでは、多少の痛み以外感じない。再び飛び出そうとした時、額に弓で引き絞られた矢の先端が触れた。

「今回はここまでですよ。きみには、まだ行くところがあるでしょう?」

「お預けか。わかったよ」

 降参だと須佐男が言うと、月読の弓矢が離れた。

 弟に手を貸して立ち上がらせ、月読は彼の背を押してやる。

「そろそろ行かなければいけないのでしょうが……その前に、一度姉上のところに行きなさい。大切な話がありますから。仲間たちもそちらへ行くよう言ってあります」

「大切な話? オレのこと以外で、まだ何かあるのか?」

 須佐男が首を傾げると、月読は首肯した。

「ええ。――阿曽くんについて、少しわかったことがあるのですよ」







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