第66話 時に飛ばす

 自分は異端だ。須佐男の中に、ずっとその思いがあった。

 天照のように日としてこの世を照らす力もなければ、月読のように月として下界の夜を包み込むこともない。ただそこにいて、何をも守れない子どものような存在。それが自分だと考え、また諦めていたのかもしれない。

 ある時、自分を生み出した母に会いたいと駄々をこね、父に勘当同然に高天原を追い出された。下界におりるしかなくなって渋々中つ国に舞い降りたのは、もう随分と前のことだ。

 そこで、八岐大蛇やまたのおろちと呼ばれる龍神のもとへ生贄に行くという姫に出逢った。櫛名田くしなだである。

 櫛名田の心根に触れ、惹き付けられ、彼女が欲しいと思った。その願いのために、須佐男は八岐大蛇を倒す決意をした。

 まさかその八岐大蛇と友になるなんて、当時は思いつきもしなかったものだ。

 八岐大蛇の半分を封じ、櫛名田と同じように少しずつ心を通わせていった。大蛇の心に巣食う大きな傷跡を少しでも治せるよう、共に旅することを選んだ。

 旅の中で半身を封じられた温羅にも出逢い、三人は唯一無二の友となった。

 ある時から堕鬼人という存在が現れ始め、須佐男はこの脅威から人々を守ることが自分のなすべきことではないかと考えた。友二人と共に、または別々に堕鬼人を倒していく。

 いつしか、堕鬼人を生み出している存在が、人喰い鬼がいると耳にした。その者を倒せば、人々の和やかな時を守ることが出来る。

 そう信じて進んでいた時、出逢ったのが阿曽だった。彼を含む、四人の旅が始まったのだ。


 ―――キンッ

 須佐男は古い記憶を掘り起こすのをやめ、目の前の男へと思考を戻した。

「お前、考え事なんて余裕じゃんか?」

「余裕なんてない」

 楽々森ささもりの煽りに、須佐男は唸るような声で応じる。相変わらず双剣は素早く動き回り、須佐男の体を細かく浅く傷つけていく。須佐男も激しく応戦しているのだが、決定打に欠ける。

「ちいっ」

 一閃。一閃。一閃。

 楽々森の首のみを狙い、須佐男の猛攻が続く。空を斬り、音を潰し、前へと進む。

 刃が届いていないわけではない。浅く数多く、刃が届く。

 頬を傷付け、手足に血の線が走り、疲れを知らない腕が得物を振るう。

 楽々森は須佐男の刃を躱して飛び退く。一度息を整えると同時に、再度須佐男の頭上から二本の剣を叩きつける。

 須佐男はそれを見越し、上へ向かって天叢雲剣あめのむらくものつるぎを突き出した。と同時に、小剣を天に上げて射放っていた。

「……やるな」

「そりゃどうも」

 楽々森の剣を同時に二本受け止め、弾き飛ばす。しかし楽々森はよろけることすらせず、地に片足をついた反動を利用して体勢を立て直した。

 再び突進してくる楽々森を無力化する術を、須佐男が考えながら動く事を止めなかった始めずに時のこと。

 ―――ドッ

「……っ」

 楽々森の横腹に、何かが刺さった。よく見れば、須佐男自身が隠し持っていた小さな剣である。流石の楽々森も予想外だったのか、目を丸くした。

 いつの間にか、時を超えてやって来たのだろうか。須佐男自身も何故こうなったのかわからないままに、好機をものにしようと駆け出す。

 楽々森はその場に膝をつき、片手で上半身を支えた。

「……っそ」

 はあはあという荒い息をそのままに、腰の傷を両手で押さえる楽々森。須佐男は当惑しつつも、剣を構えた。

 須佐男の耳に、唐突な天照の声が聞こえてくる。楽々森を注視しているために後ろを振り返ることは出来ないが、彼女の声ははっきりと耳に入り込んだ。

「須佐男、。少し先の時間に落として、この戦いを終わらせるのです」

 時に飛ばす。それは一体どういうことなのか。須佐男はわからないままに、天叢雲剣を見当違いの方向へ投げ飛ばした。

 その様子を見ていた楽々森は、こちらを鼻で笑う。

「お前、バカか?」

「そうかも……なっ」

「うおっ。―――急に切り替えたかっ」

 須佐男の拳が楽々森の鳩尾に入り、楽々森は咳き込んだ。須佐男はそこで力を弱めることなく、蹴りに切り替えて跳躍する。そして、踵落としを見舞った。

 楽々森は自分の得意分野である体術に切り替わったことを嬉々として受け入れ、双剣を背中の鞘に収納した。持ち前の身軽さと力の強さを誇るように、助走をつけて回し蹴りを放つ。

 その時だった。須佐男の海色の混じった瞳が煌めいたのは。

 ―――ヒュンッ

 天を割くような速さ。楽々森が蹴りを封じようと考えた矢先、彼の足の甲に何かが凄い勢いで突き刺さる。傷口から血が噴き出し、楽々森は今度こそ崩れ落ちた。

「ッ!? 何だ、これは」

「時に飛ばしたんだよ」

「は?」

 どういうことだ、と楽々森の頭に疑問符が浮かぶ。阿曽たちも固唾を呑んでいる。

 須佐男はその手の中に天叢雲剣を戻すと、血振りをした。

「この剣に、時を渡らせたんだ」

 須佐男は、自分の中に眠る何かが目を覚ましつつあると、ようやく最近になって気が付いた。そのきっかけとなったのは、温羅と大蛇がそれぞれの力を自分の力で取り戻したことだろう。

 剣などを時の彼方へ飛ばし、近い未来に再び使用する。自分自身が決めた『先の時間』に落とし、形勢を逆転する。

 その説明しがたい力の目覚めと共に、須佐男は自らの力を知った。

「俺は、時を司る神だ。今まさに、それを思い出すことが出来た」

 ふっと唇を緩ませ、須佐男は楽々森を見下ろした。

「お前たちの好きにはさせぬ。人喰い鬼にそう伝えろ」

「……ふっ」

 楽々森は鼻で笑い、次いで腹を抱えて笑い出した。

「あっはっはっはっははははははっは」

「何が可笑しい?」

 剣を構え、須佐男が問う。楽々森は引きつった笑いを収め、涙を拭った。

「いや、負けた負けたぁ! こんなに本気で戦ったのは、久方振りだ」

 楽々森は跳躍し、須佐男たちから剣も届かない場所で再び笑顔を見せた。

「須佐男といったな。お前の伝言、確かに伝えよう」

 また会おう。そう言って、楽々森は何処からか取り出した玉を地面に叩きつけた。もうもうと立ち昇った煙に巻かれ、須佐男たちは楽々森の居場所を見失った。

 後に残ったのは、木片や石が崩れ落ちて悲惨な状況となった神殿だけである。

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