第65話 はぐれ者

 須佐男は、ちらりと背後を見た。阿曽の傍には温羅と大蛇がいるため、安心出来る。三人が須佐男の視線に気付いて頷いた。

 その様子を見ていた楽々森ささもりが両手を頭の後ろで組み、笑う。

「どうした? 三将さんしょうが一人、楽々森様の登場に怖じ気付いたか?」

「なわけあるか」

 須佐男は天叢雲剣あめのむらくものつるぎを構え、楽々森の出方を窺った。敵は一人だが、おそらく堕鬼人を連れてきたのはこの者だ。油断など出来るはずもない。

 楽々森は軽い身のこなしで須佐男に近付き、その顔を覗き込む。敵意も何もなく、ただ無邪気に笑う。

「お前、須佐男だろう? 天照と月読という陽と陰のその下の、だ」

「……っ」

 須佐男の眉間に、深いしわが刻まれる。それでも尚、楽々森は続ける。他人をいたぶるのを楽しむように。

「光でも影でもなく、ただ暴れまわるだけの存在であり、爪弾つまはじき。ただ母を求めてき明かした日々は遠いだろうが、体が成長したとて、お前の本質は変わりようがない」

「……黙れ」

 須佐男は剣を楽々森の喉に向けて突き出し、唸るように言った。

「その口を閉じろ。でないと……今、首を跳ねる」

「くっくく。わかったよ」

 降参だとばかりに両手を挙げ、楽々森は引き下がった。そして、二本の剣を取り出す。

「俺は、本来体術の方が性に合っているんだがな。お前に免じてこっちを使ってやるよ」

「別に、合わせてほしいとは思ってもいない」

「固いこと言うなよ」

 つれない須佐男をわざとらしく嘆き、楽々森は不意に突進してきた。

「───ッ!」

 ガンッと剣同士がぶつかり合う。重々しい音は、双剣とそれを受け止めた天叢雲剣の音だ。

 ギリギリと押し合い、互いの死地に入る。一瞬力を込めて須佐男が押し切ろうとすると、楽々森はそれに気付いて飛びすがった。

 猿のようにすばしっこい男である。

「お前は、自分が何者かも知らず、ただ荒れ狂う嵐でしかない。だから戦いを好み、高天原から背を向けている。……本当は、旅に出てほっとしてるんじゃないか?」

 楽々森は跳躍し、上から須佐男を斬りつける。そして須佐男にしか聞こえない大きさの声で、楽々森は囁き嗤うのだ。一度須佐男に脅されたことなど、気にもしていないらしい。

「……今、それを言ってどうする?」

 須佐男は努めて冷静に、目の前の男に向かって尋ねた。本当は「黙れ」と一喝したいところなのだが、それは逆効果だとわかっている。

 須佐男の反応に、楽々森は「おや?」と首を傾げた。

「思ったよりも冷静だね。あのお方から、須佐男は過去を引っくり返されるのを極端に嫌うって聞いていたけど、そうでもないのか?」

「おい、待て」

 一閃をくれ、再び自分から離れた楽々森に、須佐男は問う。今、彼はとても大事なことを口走らなかったか。

 剣を交え、頬が切れる。

「答えろ。あのお方とは、人喰い鬼のことだな。そして、何故オレが過去をうとんじていると知っている?」

「あ、これは言わない方がいいやつか」

 しまったという顔で楽々森は苦笑し、双剣を振るう。須佐男は剣で応戦するが、片方を防いでももう片方が斬り込んでくる。更にこちらが攻勢に出ても、二つの刃が主を完璧に守り抜く。

「ちぃ───」

「俺はそれくらいじゃ、倒せないぜ!」

「抜かせ!」

 二組の刃が何度も交わり、徐々にその速さを上げていく。


 阿曽は須佐男と楽々森の戦いを見守りながら、隣の温羅を仰ぎ見た。

「あの、温羅さん」

「どうした、阿曽?」

「……須佐男さんがはぐれ者ってどういう意味ですか?」

「それは……」

「それは、わたくしからお話し致しましょう」

 温羅の言葉を遮り、涼やかな声が聞こえる。振り返れば、月読を探しに行っていたはずの天照の姿があった。彼女の傍には、衣の一部の破けた月読が従っていた。

 思わぬ登場に、温羅が驚きの声を上げた。

「天照さん、月読さんも」

「月読さん、その怪我大丈夫ですか?」

 大蛇が指摘したのは、月読の腕から血が流れていたからだ。長袖の衣でよく見えないが、思ったよりも重傷なのかもしれない。

 下げた袖口から滴る血を見て、月読は苦笑いした。

「久し振りの実戦だったもので、少し張り切ってしまいました。心配には及びません」

 そう言って、無傷な左手に持つさらしを振った。これを巻くから大丈夫だと言いたいのだろう。

 傷口をこちらに見せないように後ろを向き、月読はしゅるしゅると手際よくさらしを巻いていく。その姿を横目に、天照は真っ直ぐ末の弟の戦う姿を見つめた。

「あの子は、日を司るわたくしとも月を司る月読とも異なる。大泣きしたのは遥か昔のことよ。その頃のことを知るものは、須佐男をはぐれ者と呼ぶわ。でも本人は忘れてしまっているけれど、本当は誰よりも強力で扱い辛い力を持っているの」

「それは?」

 阿曽が尋ねると、天照は両手を胸の前で組む。祈りを捧げるような形だ。

とき。彼は楽々森の言う通りに幼い頃は泣き虫で、父やわたくしたちを困らせもしたけれど……櫛名田姫や大蛇、そして温羅、阿曽に出逢って、あの子は自らの時を少しずつ進めているの」

 止まっていた自らの時を進めることを無意識のうちに決め、誰かのために進み続ける。そんな彼が司る『時』の力とはどのようなものなのか。

 阿曽は気になり、須佐男の姉と兄に尋ねた。

「天照さんと月読さんは、須佐男さんの『本当の力』が何か知っているんですか?」

「―――いや」

 傷をさらしで巻き終わり、月読は首を横に振った。同様に、天照も目を伏せる。

少彦那すくなひこなという神は、須佐男にも本来の力を取り戻すよう言ったそうね。……わたくしは、それも意味のあることだと信じているの」

 天照の目には、須佐男と楽々森の激しい戦いが映る。汗が飛び、血が噴き上がる。

「おおおぉぉぉぉっ!」

 剣撃が飛び、爆発を起こす。楽々森の表情から、ただ楽しげなものが抜け落ちた。

 双剣を駆使し、天叢雲剣の舞を止められずに歯噛みする。

「くっ……ここまでやるかぁっ!」

 須佐男は天照たちがそんな会話をしていることなど知らず、自分の中で何かが開くのを感じていた。

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