第64話 力技

 唸り声を上げながら、結界を乱暴に叩く影がある。明らかに、他の三人とは体格が違う。その黒々とした気配は、男が堕鬼人であることを示していた。

「グォォ」

 最早人語さえも操れなくなった堕鬼人は、その赤い眼でこちらを見据えている。その瞳に対し、須佐男はにやりと笑みを返した。

「『入れろ』ってか? そんなの許すわけないだろうがよ。――阿曽」

「何ですか?」

 須佐男の声が変わる。その温度の変化に驚いた阿曽は、彼の真剣な顔に目を瞬かせた。

「姉貴たちを頼んだ」

「っ……はい!」

 日月剣ひつきのつるぎを構え、阿曽は天照たちの前に出る。その様子をちらりと確かめ、須佐男は地を蹴った。結界を越え、堕鬼人の前に躍り出る。

「でやぁっ」

 堕鬼人の鳩尾に拳を叩き込み、壁際まで吹き飛ばす。ボキッと何かが折れた音がしたが、その正体を明らかにすることなく堕鬼人が突っ込んで来る。

 重い拳は須佐男に躱され、壁に穴を開けた。それに気付いた天照が、急いで追加の結界を施す。

 しかし、一瞬間に合わない。

 壁に穴を開けた直後だったためか、堕鬼人はまだそこにいた。そして、天照と目を合わせてしまったのだ。

「―――ひっ」

「ガァァッ」

「天照さま!」

 喉を鳴らす天照と、太い腕を伸ばす堕鬼人、そして天照をかばおうとする素兔そとの声が重なる。阿曽は正規の入口の前にいたため、出遅れた。

「天照さんッ」

「姉貴ッ!?」

 阿曽と須佐男が堕鬼人に殺到する。しかし彼らの手が届く前に、堕鬼人の腕が穴から室内に入り込む。

 万事休すか。誰もがそう思った時だった。

 ―――ドオオォォォン

 熊のような大きな体が反対側の壁まで吹っ飛ばされ、更にその壁もぶち抜いた。外に放り出された堕鬼人は、流石にすぐには動けない。

 須佐男と阿曽、そして天照と素兔は唖然とした。何故なら、堕鬼人を拳で殴り飛ばした張本人は、思いも寄らない人物だったのだ。

「げ、外道丸……?」

 ようやく追いついた温羅が、思わず声を上げる。その隣に立つ大蛇も、まさかという表情を拭えない。

「おか、えり。う~ら?」

 舌足らずな言葉で育ての親の名を呼ぶのは、確かに外道丸だった。ようやく立って歩くことが出来るようになったはずの彼は、黒くて大きな瞳で自分の両手を見つめた。

 外道丸本人にも、何故十倍はありそうな体躯の堕鬼人を吹き飛ばすことが出来たのか不思議らしい。

「ウゥア?」

 堕鬼人が立ち上がり、頭を振った。それから小さな外道丸に狙いを変えて、走り込んで来る。こちらに到達するまでのわずかな時間で、温羅は物は試しと外道丸に問いかけた。

「……外道丸、やれるか?」

「や~る! ―――はっ」

 小さな足を踏ん張り、体を固定する。丁度自分に殴りかかろうとした堕鬼人の拳を受け止めると、小さな気合の声と共に地に沈めた。

 ビキバキグシャ。おおよそ普段聞くこともない音をたて、堕鬼人が動かなくなる。それでも絶命はしておらず、痙攣するように体がわなないている。

「……」

 須佐男は黙って堕鬼人に近付くと、その胸に剣を差し込んだ。そうすることで、堕鬼人はようやく塵となった。

 さらさらと壁に空いた穴から外に流れていく塵を、外道丸が物珍しそうに目で追っている。触れようとして、温羅に止められた。

「よっと」

 温羅が抱き上げると、外道丸は無邪気にきゃっきゃと笑った。その表情からは、先程の馬鹿力の片鱗は見られない。温羅は仲間たちと顔を見合わせ、首を傾げた。

「……外道丸って『人』だよな。温羅」

「ああ。そのはずだよ、須佐男。今までこんな力を見せたことなんてなかったのに、凄いなぁ」

 よしよしと頭を撫でられ、外道丸は嬉しそうだ。

 天照と素兔も外道丸の頭を撫でて、笑みを浮かべた。

「ありがとう、外道丸。あなたのお蔭で、わたくしたちは怪我もせずに済んだわ」

「ええ、その通りです。あんな熊みたいな堕鬼人を投げ飛ばすなんて、凄いですね」

 美女二人に褒められ、外道丸の顔がほころぶ。両手を伸ばし、それを彼女たちに握ってもらった。

 特別な力に目覚めた形跡はなく、外道丸が生まれながらにして持っている力の強さなのだろう。それが並外れているとはいえ、それ以上の力を持つ者が周りにこれだけいるのだから、最早普通と言っても過言ではない。

「だから、それほど気にすることでもないよ」

「それで納得しちゃうんですね」

 肩をすくめた阿曽は、疲れたのか温羅の腕の中で眠ってしまった外道丸の頬をつついた。柔らかくて、温かい。

 温羅は素兔に外道丸を預け、くるりと周りを見渡して苦笑した。

「とりあえず、片付けようか」

「だね」

「ですね」

 大蛇と阿曽も同意し、瓦礫や木片を一か所にまとめ始める。外道丸を寝かせるために素兔はその場を去り、天照は月読の無事を確かめるために駆けて行った。

 須佐男もまた、阿曽たちを手伝おうと屈みかける。しかし、ふと気配を感じて腰を上げた。

「……?」

「須佐男、どうした」

「いや、何かな」

 大蛇の問いにも明瞭な答えを返せず、須佐男は一人首を傾げた。

(何かがいる? いや、近付いて……)

 その時、須佐男は反射的にその場に屈んだ。彼の上を、何かがすごい勢いで通り過ぎる。

 それは壁に手をついて一回転すると、軽い身のこなしで着地した。

「残念。一発で仕留められなかったか!」

「誰だ、貴様」

「誰だ、なんてご挨拶だね」

 坊主頭かと思われるほど短い髪に、適度に細い手足。更には、楽しげな瞳を細めた若い男がそこにいた。衣服はほうに近いが、犬飼いぬかい留玉とめたまが来ていたものよりは生地が薄く丈も短い。

 そこまで考えて、須佐男は愕然とした。考え事をしていたわずかな時間で懐に入られかけたが、それは腕を十字にして耐える。

 相手が離れた時、須佐男は眉間にしわを寄せた。

「もう一度問う。お前は何者だ?」

「俺は楽々森ささもり。犬飼、留玉に続く三将さんしょうの一人だ」

 楽々森の瞳が、鈍く光った。

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