第63話 堕鬼人の侵攻

「堕鬼人が高天原へ?」

 目を丸くした須佐男が、櫛名田くしなだにもう一度確認した。

「確か、なんだな?」

「ええ。……彼らは、わたしに高天原への道を開くよう強要した。だけどわたしは拒んで……無理矢理、その道は開いてしまったの」

 悔しげに歯噛みする櫛名田は、手首をさすった。そこは赤く腫れ、無理矢理引っ張られたのであろうことがよくわかる。須佐男は黙したままだったが、その瞳は怒りに燃えている。

「大丈夫。これくらい、冷やしていれば治るから」

 ふわりと微笑む櫛名田を前に、須佐男はこうべを垂れる。驚き顔を上げるよう言う櫛名田の言葉を遮り、須佐男は痛ましげに櫛名田の手首をさすった。

「……ごめん。傍にいられなくて」

「あなたは、仲間たちと行くべき場所ですべきことをしている。だから、謝らないで。わたしは、あなたがこの世にいてくれるだけで大丈夫」

「ありがとう……」

 須佐男は櫛名田をもう一度優しく抱き締め、離した。時は、一刻を争うのだ。

 もう、須佐男の顔は変わっている。仲間たちを振り返り、拳を握り締めた。

「行くぞ、高天原へ。人喰い鬼が……堕鬼人が天へ行ったというのなら、ぶっ倒すまでだ」

「天照さんたち、大丈夫でしょうか?」

 阿曽が不安を口にすると、温羅も頷く。

「外道丸を預けっぱなしだ。あの子のことも気になるな」

「天照さんたちは兎も角、外道丸は泣いているかもしれないからな。須佐男、早く行こう」

「ああ」

 大蛇に促され、須佐男はもう一度櫛名田と目を合わせた。

「頼む。高天原への道を開いてくれるか?」

「勿論。……ご武運を」

 櫛名田は負傷していない方の手でぬさを掴むと、目を閉じてゆっくりと左右に振った。シャン、と涼やかな音が鳴る。

「……これで、上の扉が開かれました。必ず、帰ってきてくださいね」

 櫛名田に見送られ、阿曽たちはもう何度目かになる高天原へと足を踏み出した。


 高天原に降り立つと、一見して変化は感じられなかった。しかし間に合ったかとほっとする間もなく、何処かで何かが倒れる音が響く。

 阿曽たちは顔を見合わせ、駆け出した。

「姉貴! 兄貴!」

 ───ドガッ

「ああ、須佐男。来てくれたのですか」

 須佐男が神殿に入った直後、彼のすぐ横を何かが凄い勢いで通り過ぎていった。月読がパンパンッと手を払っていたため、何かを投げ飛ばしたのだと推測される。

 最後に入った阿曽がちらりと横の壁を見ると、投げ飛ばされた堕鬼人が飛び起きるところだった。彼は阿曽に気付かず、月読へと真っ直ぐ向かっていく。

「……はぁ。何故こんな輩の侵入を許したのか。慚愧ざんきに堪えません、ね!」

「ぐはっ」

 見事な回し蹴りが鳩尾に直撃し、堕鬼人は再び吹き飛ばされた。しかし天井のはりを手がかりとして、体勢を立て直す。

「ガアアッ」

「須佐男、頼みがあります」

 堕鬼人に襲いかかられつつも冷静な兄に、須佐男は「なんだよ」と尋ねた。

「奥に、姉上と外道丸がいます。ここは良いですから、そちらへ向かってもらえませんか?」

「ああ、わかった」

 二つ返事で了承した弟に、月読はふっと口元を緩ませた。

「いいこですね」

 そう言うと同時に、月読は手拳で堕鬼人を迎え撃った。

「子ども扱いすんなっての。……行くぞ!」

 須佐男は仲間たちと共に、奥へと進む。ようやく彼らに気付いた堕鬼人が狙いを変えようとしたが、月読に遮られる。

「あなたの相手は、僕ですよ」

 普段の穏やかな物腰からは想像もつかない速さで、月読は堕鬼人の腹を蹴り飛ばした。

 初めに出会った堕鬼人の他、天照のもとへたどり着くまでに数回の戦闘があった。

 月読と別れてすぐ、大蛇は左の通路から出て来た男の堕鬼人に首を掴まれ、壁に叩きつけられた。須佐男が友の名を叫ぶ。

「大蛇!」

「だ、大丈夫だ。……くっそ」

 大蛇は堕鬼人の手首を掴むと、力を込めた。バキッという音がして、首を絞めていた手が離れる。

「グ……アァァ」

「悪いけど、折らせてもらった」

 手首を押さえて悶え苦しむ堕鬼人に一応は詫び、天羽羽斬剣あめのははきりのつるぎを取り出すと同時に横薙ぎにした。

 パッと水流が舞い、斬れるはずもない堕鬼人の両膝が斬れる。支えを失った体が傾き、その場に血の海を作った。すぐに塵となり、崩れ去る。

「……うん、戻って来てるな」

 大蛇の正体である八岐大蛇は、水を司る龍神だ。その力は長く失われていたが、この度本来の力を取り戻しているのだ。

 水をまとって戦う大蛇の様子を横目に、温羅は地速月剣ちはやつきのつるぎを構えた。

「わたしも、負けてはいられないね!」

 次の部屋から出て来た女の堕鬼人の蹴りに対し、温羅は炎をまとった剣で応戦する。刃が触れた部分から発火し、堕鬼人は火に巻かれながらも尚、温羅に向かって来る。

「ガァアァ!」

「往生際が悪いな」

 堕鬼人に、痛みを感じるという感覚は薄いのかもしれない。温羅は剣で堕鬼人の猛攻を受け止めると、隙を見て袈裟切りにした。

 傷口から燃え上がり、堕鬼人を消し炭にする。

 温羅もまた、過去と対峙することで本来の力を取り戻していた。水の大蛇とは異なる、炎の力を持ち合わせている。

 二人の激しい応戦を見て、阿曽はごくりと喉を鳴らした。素直な感想が口から洩れていく。

「凄い」

「確かに凄いが、オレたちも立ち止まっているわけにはいかないぞ」

 ぽんっと阿曽の頭に手を置き、須佐男は天照たちがいると思われる部屋に突入した。彼に続いた阿曽は、何かに額をぶつけてしまう。

「―――痛っ」

「ああ、ごめん! 結界強過ぎたわ」

 赤くなった額をさすった阿曽は、大慌てで現れた天照に詫びられた。どうやら、彼女が張った結界に締め出されてしまったらしい。須佐男は血縁者であるため、部外者の縛りから脱していたのだ。

「いえ、問題ありません」

 実は勢いをつけすぎてじんじんと痛んでいたが、阿曽は無理矢理笑みを作って耐えた。天照もそれは察したらしく、細い手で阿曽の額を撫でてくれる。近くには外道丸を抱いた素兔そとが控えていた。

「本当に申し訳ないわ。……それで須佐男、この外の様子は?」

 ぱっと顔を上げた天照に、須佐男は後ろを振り返りながら言う。

「月読兄貴、大蛇、温羅が堕鬼人一体ずつと交戦した。大蛇と温羅はもうすぐここに来る……」

「ガゥルル」

「来たか」

 須佐男と阿曽が声のした方向を見ると、そこにはこれまでの堕鬼人とは比べ物にならない程巨大な体躯の男が立っていた。


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