須佐男

第62話 荒らされた山

 何か、嫌な予感はしていたのだ。

 須佐男はざわつく胸の中を押さえようと、衣をぐっと掴んだ。

 逸る気持ちと何かに急かされる足を理性で押さえ付けながら、先を飛ぶ燕を追って行く。白い燕は、高天原とつながる巫女の放った使いだ。

 櫛名田くしなだが暮らす山の麓にたどり着いた時、一行は目を疑うこととなる。

「これは……っ」

「酷いね。こんなに荒らされるなんて」

 温羅の言う通り、山は荒れていた。無理矢理引っこ抜かれたらしい木々が散乱し、踏み荒らされた草花が萎れている。明らかに、人の手による荒廃だ。

「櫛名田っ……」

「ぼくたちも行こう」

「ああ」

「はいっ」

 居ても立ってもいられずに走り出した須佐男を追い、阿曽たちも山の頂を目指して登り始めた。山道は何人もの人々が通ったのか、ならされて歩きやすくなっていた。

 荒廃は、頂を目指す過程で何度も繰り返されたらしい。上への道を進むと更に、岩が割られていたり折られた木が散乱していたりする。

 場が荒れていると同時に、神聖な場に似つかわしくないにおいまで漂って来た。阿曽たちに馴染みのあるそのにおいに、彼らは顔をしかめる。

 阿曽は前を進む温羅の衣の裾を引いた。

「もしかして、堕鬼人がこの近くに?」

「だとしたら、かなりまずいことになっているかもしれない」

 ちらりと頂上付近を見た温羅は、阿曽に「急ごう」と促して岩をよじ登った。


 櫛名田が住む家は、前と同じくそこにあった。見た目は何も変わらず、阿曽は荒くなった息を整えた。無我夢中で登山したためか、胸の奥がバクバクと音をたてている。

 それを見た須佐男は、阿曽の頭をぽんっと叩く。

「少し休んでろ。オレと大蛇が中を見てくるから」

「はい……」

「気を付けて」

 阿曽と温羅に見送られ、二人は家の入口の両脇で中を窺うように立った。

 山の様子を見る限り、この中も無事だとは考えにくい。荒らされていると考えた方が無難だろう。

 最も嫌な考えが頭をちらつき、須佐男は舌打ちしたくなった。しかし、今はそんなことに時間を費やしたくない。

「大蛇」

「ああ」

 須佐男と大蛇は合図と共に中へと飛び込み、それぞれの剣を構えた。

「……?」

 敵が飛び出して来ることを予想しての行動だったが、二人の周りには何もいない。それどころか、櫛名田も出て来ない。

「櫛名田、何処だ!」

 須佐男の悲鳴に近い叫びは、山全体にまで及びそうだ。大蛇も前回世話になった部屋などを見て回るが、姫の姿はない。須佐男はバタバタと大きな音をたてながら探し回るが、彼女の気配すら見つけられない。

「須佐男」

「―――ッ。何だ、温羅かよ」

 呼び掛けられ、須佐男は思いきり速度をつけて振り向いた。しかしそこにいたのは、温羅と阿曽である。須佐男の心の底から残念に思う言葉に、温羅は苦笑するしかない。

「何だって失礼だな。……その様子だと、櫛名田がいないのかい?」

「何処にも、な。血の跡がないだけ、まだ救いかとも思うが」

 はあっとため息をついた須佐男は、何気なく櫛名田がいつも向き合っていた祭壇に目をやった。高天原からの助けを求める伝言を聞いてここに来たのだから、本来ならばすぐにでも連絡を取るべきなのだ。

 祭壇に放置されているさかずきは、二つに割れている。堕鬼人がここに押し入った際、割って行ったのかもしれない。

 須佐男は、他に割れたり壊れたりしたものはないかと視線を全体へと移していく。その中で、本来の位置からは少しずれている鏡が目に入った。

「何だ? ……うわっ」

 須佐男がそれを手に取ると、祭壇がわずかに右に移動した。彼の声に驚いた阿曽が振り返ると、祭壇の横に暗い空間がある。

「あれって……」

「どれ? ……ああ、階段だね」

 地下へと続く階段だ。阿曽と共に地下を覗き込んだ温羅は、その先に清浄な気配を感じて須佐男を呼ぶ。

「須佐男」

「何だよ」

「この先、かもしれないよ」

 温羅が指差す先を見た須佐男は、階段の前に立った。そして、穴の中へ向かって叫ぶ。もう、堕鬼人に見つかろうがどうでもいい。

「櫛名田、何処だ!?」

「……ノオ?」

 か細い声が、須佐男の耳に届いた。その弱々しく儚い声は、間違いなく櫛名田のものだと確信する。

 先へと行くべきか否か。答えなど、初めから決まっている。

「みんな、行くぞ」

 ごくんと唾を飲み込んだ阿曽が須佐男の次に、そして温羅と大蛇と続く。

 階段は石を削って形を整えて組み立てることによって作られ、頑丈だ。その代わりに松明すらなく、足元の感覚だけを頼りとする。

 何度か足を踏み外しそうになりながら、四人は地下空間へと足を踏み入れた。

 そこは階段よりも薄明るく、互いの顔も認識することが出来る。大きな鏡が置かれた祭壇の前に、一人の女人が何かを祈っていた。

 灰色の長い髪を一つに束ね、後ろに垂らしている。時折髪が揺れるのは、彼女が祝詞のりとのような言葉を永遠と呟いているからだ。

「……櫛名田」

「―――っ。須佐男、みなさん」

 肩をびくりと動かした直後、櫛名田が振り返る。その若草色の目からは涙が溢れ出し、須佐男に抱きついた。

 須佐男は目を丸くして、顔を真っ赤に染めた。

「お、おいっ」

「……ごめんなさい。少しでいいから、このままでいさせて」

「……」

 よく見れば、櫛名田の衣は所々破け、赤い血の跡が散っている。彼女の手の震え具合から、相当怖い思いをしたのだということがよくわかる。

 須佐男は無言で彼女を抱き締めてやり、背中を優しく撫でてやった。肩が震え、押し殺した泣き声が聞こえる。

 温羅と大蛇、阿曽は二人の様子を見つつ、彼女が何故こんなところに隠れていたのかを考えていた。その答えを示されたのは、櫛名田が須佐男に抱きついてから半刻にも満たない時間の後だった。

「堕鬼人が、高天原へと昇りました。だから、天とのつながりの濃いこの場所を選んだのでしょうね。……彼らの狙いは高天原です。どうか早く、天へ向かって下さい!」

 真っ赤に泣きはらした顔をして、櫛名田が懇願した。




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