第60話 友がいるから

 大蛇の影は、その手に握る剣の変化を目の前にして、ほくそ笑んだ。それまでより刃身は太く長い。それだけでも、これまでの威力以上のものが出せるだろう。

『これはこれは、俺たちを封じた剣じゃないか。……残念だったな、大蛇』

 影は草薙剣くさなぎのつるぎを持ち上げ、真っ直ぐに構えた。

『お前は再び、この剣によって封じられる。今度は永遠にだ』

「やれるもんなら、やってみろ!」

 影の重い剣擊を躱し、大蛇は跳躍する。攻撃を躱された影が彼の姿を追った時、既にそこにはない。

『何処だ……くっ』

「はあっ!」

 大蛇は影の背後に回り込み、その背へ向けて剣擊を放つ。至近距離で受けてしまい、影は体の均衡を保てずつんのめるように吹き飛ばされた。

 小石だらけの不安定な足場ではあるが、その景色そのものが実際にあるわけではないらしい。その証拠に、影が地面に鼻をぶつけて血を出しても、地面に血は広がらない。

 ただ、そこにあるだけだ。

 影は血を拭い、大蛇を睨み付けた。しかしそれくらいでは、大蛇も怖じ気付かない。

 大蛇が無言で影に剣を向けると、影は悔しげにえた。

『この、出来損ないが!』

「出来損ない、か。確かにぼくは須佐男より弱いし、温羅のように頭も回らない。……知ってたか? ぼくの剣は、元々は須佐男のものだったんだ」

 天羽羽斬剣あめのははきりのつるぎは、須佐男が八岐大蛇と戦った時に使用した剣だ。須佐男は八岐大蛇の力の半分を、その尾から出てきた草薙剣に封じた後、放心していた大蛇にくれた。

「あいつは言ったんだ。『友となろう、八岐大蛇。これは、そのあかしだ』とな」

 だから、大蛇はこの剣を使い続ける。草薙剣に半身が封じられていても、それを必要ないと考える程には、彼自身が変わっていた。

 その後温羅と出逢い、阿曽と出逢った。

 温羅が鬼であることには驚いたが、彼の穏やかな気質と器用な剣さばきを尊敬した。

 阿曽は謎が多いが、それ自体も含め、真っ直ぐな性格が好感を覚える。何より、その瞳には嘘がない。

 温羅は、己の力を取り戻した。大蛇もまた、彼に負けたくない。段々と力を付ける阿曽の追随を許さぬよう、進まなくてはならない。

 大蛇は己の影を見下ろし、微笑んだ。それは敵に対するものではなく、慈しみさえ含んだものだった。

「ぼくは、もう独りじゃない。だから、寂しくなんてないんだ」

『おろ───……!』

「さよならだ、ぼくの半身」

 もう、迷いはしない。例え、神としての圧倒的な力を失ったとしても。八岐大蛇は、独りではないのだから。

 大蛇は剣を真っ直ぐに構え、空間さえも両断する剣技を見せた。

翠華真擊すいかしんげき!」

 刃がみどり色に発光し、光が伸びて数倍の長さの剣となる。しかし重さはなく、大蛇でも難なく使いこなせそうだった。

 目の前で怯えを見せる己の半身を見下ろし、大蛇はその剣を振り下ろした。




 大蛇が己との決着をつけるより少し前。

 八岐大蛇が太く長い尾を振り抜くと、その辺りにあった木々が統べて薙ぎ倒された。更に八つそれぞれの口からは、大水もかくやという水圧と水量を誇る奔流が噴き出す。

 阿曽たちは倒される木々と水の追撃を躱しながら、八岐大蛇の本体に近付こうとしていた。

「うわっ」

 無差別な水流攻撃にさらされた阿曽が、頭から水浸しになる。須佐男と温羅は難なく躱しているが、それでも足元は濡れていた。

 阿曽は前髪をかき上げ、八岐大蛇の全体像を把握した。その八つの首はただ一つの胴体につながり、太く長い尾を縦横無尽に振り回す。

 水はその中に毒が仕込まれているというわけではないため、真面に被っても水浸しになるだけで済む。

 しかし、本当に厄介なのは尾の方だ。重たげのくせに動きは早く、須佐男が剣で何とか防げるか。それ程の威力を持つ尾を、どのようにして克服するか。

「そういえば、須佐男さんは大蛇さんを封じた時、どうやって近付いたんですか?」

 阿曽は日月剣ひつきのつるぎで八岐大蛇の攻撃を牽制しつつ、積極的に斬りかかる須佐男に尋ねた。彼は一人先に八岐大蛇に近付き、その急所を探している。

「オレか?」

 須佐男は自分を退けようとする八岐大蛇の首に剣を突き立てつつ、ふっと思案した。八岐大蛇の前進は透明な鱗で覆われており、簡単には刃が通らない。それでも何度も突かれることで八岐大蛇は痛みを感じるのか、煩わしげに一つの首を振る。

「酒で酔わせたんだよ、神酒の中でも一番キツイやつ。流石に酩酊して、首や尾の動きも緩慢になったから急所を斬って草薙剣を取り出したわけだが」

「酒だったのか、須佐男……」

 温羅が若干の呆れを顔に浮かべつつ、突進してきた八岐大蛇の頭に手を置き、そこを軸として跳ぶようにして躱した。追撃されるも、地速月剣ちはやつきのつるぎでその鼻先を打ち、後退させた。

「え……待ってください。草薙剣って八岐大蛇の中から出て来たんですか!?」

 阿曽は、思わず足を止めた。しかしすぐに駆け出して、唸る尾から身を守る。それにしても初耳だった。

「まあ、芯みたいなものだったのかもな。大蛇自身も言ってたことなんだが、草薙剣は大蛇の体の中を流れる力の結晶なんだ。その結晶が失われたからといって、力が消えるということはない」

 ただし、生まれてこの方尾を斬られるなどという経験をしたことはなかったため、草薙剣がどの段階で大蛇の体内に生まれていたかは定かでない。

「つまり、草薙剣があろうとなかろうと、大蛇は大蛇だ。それは変わらん」

「その結論は、無理矢理過ぎやしないかい?」

「ほっとけ」

 いつの間にか、阿曽たち三人は同じ地点に集まっていた。見上げれば、八岐大蛇の八つの顔がこちらを見下ろしている。

「さて、どうやって大蛇を引っ張り出すかだな」

「八岐大蛇を倒したら、どうなると思う? 須佐男」

「完全にせば、あいつまで消しちまう。何か、切っ掛けでもあれば戻って来るんだろうが……」

「……っと、考える時間はくれないようだね」

 温羅の言う通り、八岐大蛇はそれぞれの口に巨大な水のたまを創り出していた。あれを真正面から受ければ、命はない。

 須佐男と温羅が、阿曽を背に守るように立ち塞がった。彼らの頼もしさに甘えたくなる気持ちを、阿曽は少彦那すくなひこなの言葉を思い出すことで耐えた。

「須佐男さん、温羅さん」

 阿曽は二人を押しのけて、自分が前に出た。そして止められる前に、と早口に告げる。

「俺は、日月剣の力を引き出せるようにならなくてはいけないんです。……剣であの水の弾を全て斬ることが出来たら、近付けるでしょうか」

 阿曽の問いに、須佐男と温羅は顔を見合わせた。そしてクッと笑いかけ、弟分の背を押してやる。

「やってみろ、骨は拾ってやるから」

「須佐男」

 名を呼んで須佐男の悪ふざけに釘を刺した温羅は、阿曽の剣を持つ手に上から触れ、そのこわばった手の温度を高めていく。

「大丈夫、わたしも須佐男も援護する。……阿曽の全力で、大蛇を呼び戻してくれ」

「はい!」

 両手で剣を構え、阿曽は八岐大蛇と対峙する。八岐大蛇は何を考えているのかわからない翡翠色の瞳全てを、阿曽へと向けた。

「グルル」

 八つの水が、一つへと集約されていく。一つが二つ分の大きさとなり、更に大きく育っていく。

 いつしか、阿曽たち三人を余裕で呑み込める大きさにまで水の弾が成長した。八岐大蛇はこれを放つことで、三人を一網打尽にしようというのだろう。

 しかし、その誘いに乗る阿曽ではない。

 勢いを増していく水の弾が、風をまとった。より速い回転で、大きく強くなっていく。

 充分な大きさとなったことを判断したのか、八岐大蛇は真ん中の首を振り、阿曽へ向かって激流を弾を撃つ。弾は剣にぶつかり、二つの力が押し合う。

「おおおぉっ!」

 阿曽は弾き飛ばされないよう、足を踏ん張って剣で水の弾を斬ろうと腕に力を入れた。弾の勢いに押され、手はしびれて足の踏ん張りが効かない。

 それでも、阿曽は耐え続ける。須佐男と温羅が、自分と共に剣を支えてくれているのだと知っているから。

(帰って来て、大蛇さん!)

 強く願い、力を込めて剣を少しずつ前へと押す。片足を前に出す。水の弾に、亀裂が入ったようだ。

 もうひと踏ん張り。

「おおおおおおぉぉぉぉっ」

 ―――パァン

 水が弾け、四散する。そのままの勢いで阿曽は日月剣を振りかざし、高く跳躍した。真ん中の八岐大蛇の頭を目が合い、阿曽は真剣な顔で見返す。

 須佐男と温羅が、阿曽の名を叫んだ。

「今だ、行け! 阿曽」

「阿曽、今だ!」

「いっけえええええぇぇぇぇぇっ」

 日月剣の刃が、八岐大蛇の脳天に触れる。全身濡れているが、そんなことはもう気にならない。

 阿曽と八岐大蛇の瞳が、交わる。八岐大蛇の目がわずかに笑った気がした。

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