第59話 表裏戦のはじまり
八岐大蛇の頭が、それぞれに動く。何処から何が来るかわからない状況で、阿曽を始めとした三人は緊張感を高める。
しかし、それとは別の反応を示す者もいた。
「凄い。これが、水の
そう言うが早いか、尊は草薙剣の他に佩いていた短剣を取り出す。それを手に、八岐大蛇に向かって突き刺そうとした。
しかし、八岐大蛇はそれをものともしない。固い鱗に覆われた体躯は、鋭利なだけの刃物では斬り倒すことが出来ないらしい。
「……ちっ。
草薙剣は、大蛇の胸に刺さったままだった。そのまま消えたということは、八岐大蛇の体内にあると考えて間違いないだろう。
「待て」
「……何ですか?」
再び躍り出そうになった尊の肩を、須佐男が掴む。不満げに振り向いた尊に、一度様子を見るよう諭す。
「お前一人で立ち向かっても、返り討ちにあうだけだ。一度間合いを……」
「あんたの指図は受けない」
「あ、おい!」
須佐男の忠告を無視し、彼の手を乱暴に払いのけた尊は、助走をつけて跳躍した。常人では考えられない高さまで跳び、八岐大蛇の首の付け根を狙う。
しかしその時、八岐大蛇が咆哮した。
「───……!」
「ぐあっ」
世界が振動した錯覚に陥る。空も地も震え、川の水が耐え切れずに跳ねた。
まともにそれを受けた尊は、吹き飛ばされて阿曽たちの後方に立つ木に背中からぶつかった。メリッという音がして、木の幹に亀裂が入る。
「……気絶した、か」
須佐男の言う通り、尊は衝撃に耐えられずに意識を手放していた。
「グォォ」
「くっ」
八岐大蛇が首をもたげ、こちらを見下ろしている。その目には殺意が溢れ、阿曽たちを捉えていた。
蛇に睨まれた蛙の如くびくっと肩を震わせた阿曽の肩に手を置き、温羅は口元だけで笑った。
「どうやら、尊の心配をしている暇はないようだね」
「はい」
「温羅、阿曽。取り戻すぞ、大蛇を」
須佐男が八岐大蛇と目を合わせたまま言い、温羅と阿曽は頷いた。それだけで、十分だ。
───キンッ
刃が交わり、互いの顔が近付く。大蛇は相手の顔に宿る余裕に内心舌打ちしつつ、一歩退いた。
これで何度目だろうか。何十回も剣を合わせ、弾く。敵は自分であり、自分と敵は同じもの、そう考えると苦戦するのも無理はないのだろう。
「……だからって、このまま押され気味ってのは嫌だからな」
乱れる息を整え、大蛇は敵と目を合わせた。同じ顔をした敵は、大蛇の体力が削れているのを見て取り嗤う。
『なんだなんだ? 俺の本体はそんなものか。これならば、お前を消すことも容易だろうよ』
「ふざけるな。ぼくは───」
大蛇が言い終わるよりも速く、『大蛇』の剣擊が飛ぶ。何とか弾き返したが、重ねるように放たれたそれに吹き飛ばされてしまう。
「うっ」
永遠とも思えた空間には、限りがあるらしい。何かにぶつかり、大蛇は息を詰めた。
振り返れば、そこには闇に紛れた木々があった。徐々に明瞭になる視界の中、そこが森の中の小さな河原であるとわかった。
認識すると、闇が
背中にわずかな痛みを感じながらも、大蛇は追撃から身を守るために転がるようにしてその場を離れた。『大蛇』の振るう剣の刃が木の幹を切り倒し、ドウッと土煙を上げる。
「はあっ」
大蛇は
「……お前、本気を出していないだろう」
「は?」
大蛇は眉をひそめ、相手の言葉を待った。『大蛇』は左の指を鳴らし、彼の前に大きな泡を出現させる。それを指差し、こちらを煽るように顎をしゃくった。
「これを見ても、お前はそのまま俺に勝とうとするかな?」
「……っ」
大蛇の前に映し出されたのは阿曽と須佐男、温羅の姿だ。何処から見ているのかはわからないが、彼らの緊迫した表情に目がいく。そして彼らが対峙しているモノを知った時、大蛇の顔は蒼白となった。
「……あれはッ」
翡翠色の瞳を持つ八つの頭、そして光の加減で翡翠色に見える長い体躯を持つ存在が目に映った。火川の龍神たる八岐大蛇の姿である。
その八岐大蛇が今まさに、阿曽たちに長い尾を振りかざそうとしていた。
「やめろ! あいつらに手を出すな」
思わず手を伸ばした大蛇の前で、泡がパチンと音をたてて消える。
「くっ……」
「どうだ? 本気で俺と戦う気になったか?」
目を伏せ顔をそむける大蛇に、『大蛇』は楽しげに問う。煽り立てるその物言いは、普段冷静な大蛇を本当に怒らせるきっかけに過ぎない。
「ぼくの仲間に手を出した罪、償ってもらおうか」
何よりも、阿曽たちを人質にとった罪は重い。必ずここから出て、これ以上の破壊行為をやめさせなければならない。
大蛇は瞳と同じ翡翠色の闘気をまとい、己の影に躍りかかった。
ようやく大蛇の本気と戦えると、『大蛇』は大蛇の剣を受け止めようとした。しかし大蛇の狙いは真正面ではない。わざと空を切らせて、そのまま空中で一回転する。相手がぎょっとしたところで、回転の力を利用して横薙ぎに刃を振るう。
「っつ」
大蛇の影は、初めて驚愕の表情を浮かべた。己の胸元が斬られ、服が破れて赤い線が走る肌が露わになったのだ。
既に大蛇は、腕や足に傷を負っている。何処かの骨も折れている気がしたが、今そんなことはどうでもいい。
着地し、大蛇は自身の影に切っ先を向けた。その心の臓を目掛け、剣を振るう。何度阻まれたとしても、何度だって刃を振るう。
「くそっ」
段々と、影の余裕がなくなっていく。
「これで、終わりだ!」
大蛇の剣が水の気配を帯びた時、影の持つ剣に変化が起きた。細身であった刃が太さと厚さを増し、翡翠色の玉がはめ込まれた
そこにあったのは、草薙剣だったのだ。
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