第45話 条件

 少彦那すくなひこなあごに指をあて、うーんと考え込んでいる。彼を囲んでいる阿曽たちは、少彦那から見れば巨人も同じだ。

「……」

 天恵の酒は、言わばこの戦いにおける要だ。それがなければ堕鬼人は増え続け、人喰い鬼に力を与え続けることとなる。その連鎖を止めなければ、阿曽たちは堕鬼人をなくすことも出来なければ、人喰い鬼を倒すことも出来ない。

 固唾を呑んで見守る阿曽たちの視線が気になるのか、少彦那はちらりと巨人たちを仰ぎ見た。そして、ふうとため息をつく。

「……お前たち相手じゃ、この姿でない方が良いだろう」

「この姿?」

 温羅が聞き返すのと同時に、少彦那の姿がもやの中に消える。驚く四人の前に再び現れたのは、老年の男ではなかった。

「……誰?」

「大蛇、私は少彦那なのだが?」

「何処が?」

 大蛇が目を瞬かせる。彼だけでなく、阿曽たちも目が点になった。

 目の前で腕を組んで立っているのは、須佐男や温羅と同い年くらいに見える青年だった。鴉羽色の長髪を頭の後ろで結び、藍色を基調とした装飾の施された衣袴きぬばかまを身につけている。声色は同じように聞こえる。

 穏やかそうな先程の少彦那とは違い、きりっとした切れ目の中には浅葱色の瞳があった。とてもではないが、同一人物だとは断言出来ない。

 須佐男はきょろきょろと周りを見渡し、小さな青年に尋ねる。

「さっきのじいさんは何処に行ったんだ?」

「須佐男、お前失礼だな」

 大きなため息をつき、青年が目を閉じる。すると再び靄に呑み込まれ、気付くとそこには老人の姿があった。

 老人は右の眉だけを上げ、四人を見上げる。

「これで、信じたか?」

「同じ場所に、また少彦那が現れた。……あなたは二つの姿を持っているんですね」

 温羅の問いに、少彦那はふぉっふぉっふぉと笑う。見た目は若いのだが、何だかお爺さんくさい笑い方だ。

「その通り。どちらが本来の姿かと問われても、どちらもそうだとしか答えることは出来んがの。時と場合とで変えておるのだ。……今は、こちらの方が話しやすかろう」

 そう言いながら、少彦那は再び若者の姿となる。これはもう、疑いようもない。

「それで、『天恵の酒』のことだが……」

 少彦那はちらりと四人を見上げた。阿曽には、その浅葱色の瞳が一瞬だけ光ったように見えた。

 そして再び大きなため息をつくと、どっかと胡坐あぐらをかいた。

「……今のお前たちには、を教えることは出来ん」

「えっ」

「何故ですか?」

「オレたちには教えられないってどういうことだ!」

 阿曽、大蛇、須佐男が次々に少彦那に詰め寄る中、温羅は少彦那の言葉に引っ掛かりを覚えた。

「少彦那さん。今、って言いましたよね?」

「ああ、言ったぞ」

「つまり、何かしらの条件を満たせば教えてもらえる、ということでしょうか」

「その通り」

 首肯する少彦那に、須佐男がぼそりと文句を言った。

「だったら最初からそう言えっての」

「言っただろうが。『今のお前たちには』と」

「ちっ。聞こえてやがったか」

「落ち着け、須佐男」

 いらつく須佐男の舌打ちをなだめ、温羅はあくまで低姿勢のままで少彦那に問いかける。

「何故、今のわたしたちでは教えられないんです?」

「……強過ぎるんだよ、人喰い鬼は。今のお前たちでは太刀打ち出来ん。せめて、本来の力を取り戻してからでないとな」

「あんた、人喰い鬼を知っているのか?」

 須佐男は少彦那を掴みかけたが、ひらりと躱される。少し乱れた衣を直し、少彦那は頷いた。

「知っている、という程には知らないがな。少なくとも、堕鬼人を生み自らの糧とし、桃太郎たちを操る男であることは知っている」

「……充分じゃねえか」

 最近自分たちが入手した事柄までもいとも簡単に披露され、須佐男の指が鳴る。阿曽と大蛇が須佐男を物理的に抑えている間に、温羅は質問を続けた。

「何故、あなたがわたしたちの力が本来のものでないとご存知なのでしょうか? このことは、天照さんや月読さんなど一部の方々しか知らないはずのこと」

 わずかに怒気をはらんだ温羅の言葉の内容に、阿曽は密かに驚いていた。まさか、あれだけの強さを持つ温羅たちの力には、その上があるということだろうか。

 目を瞬かせる阿曽に気付いた大蛇が、片目をつぶって見せる。

「温羅の言う通り、ぼくたちの力は半分しかない。みんな、事情があってね。……でもそれを初対面の少彦那さんに言い当てられるのは、少し面白くないな」

「全っ然知りませんでした」

 しょげる阿曽に、冷静さを取り戻した須佐男が笑いかける。阿曽の頭をぐりぐりとなで回した。

「これまで、半分でも十分やっていけたからな。阿曽には話していなかったし、無理もない。そんなに落ち込むことじゃないぞ」

「でも、知っておきたかった気がします」

 知っていれば、今より更に上があると怖気付いたかもしれない。しかし阿曽は、自分はそれくらいでは諦めないと己を励ました。

 そんな三人の会話を横目に、少彦那は少し困った顔をした。

「これでも、古い神じゃからな。山津見という、この世界の広さを知っている神も傍にいてくれる」

 少彦那は足下の木の根を撫で、愛おしそうに微笑んだ。つまり、山という中つ国に広がる緑を支配下に置く神が知り合いだから、その神が教えてくれたということか。

 どうやら、中つ国の出来事は筒抜けらしい。

「だからこそ、断言する。そのままでは、殺されるだけだ」

 そして、堕鬼人を救うことなど出来はしない。少彦那はかぶりを振り、拒否を示した。

 仲間たちと顔を見合わせ、温羅はまた尋ねる。

「では、力を取り戻せとおっしゃる?」

「そうじゃ。まずは温羅と大蛇、お前たちが。更に須佐男が。……そして」

 ちらり、と少彦那は阿曽を見上げた。阿曽が「俺?」と自分を指差すと頷く。

「そう。阿曽がその『日月剣ひつきのつるぎ』を使いこなせるようになった時、もう一度わしを尋ねて来い。その時初めて、天恵の酒を渡してやろう」

 ただし。立ち上がりざま、少彦那はカンッと手持ちの枝の杖を鳴らした。

「人喰い鬼が中つ国のみならず高天原をも呑み込むのは、時間の問題じゃ。慌てず、急げよ」

 それだけ言い置くと、少彦那はひらりと跳ぶと姿を消した。

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