第33話 留玉の企て

 砦を出て、阿曽たちは更に北へと向かう。

 整備された道はなく、獣道すらないような山道を進む。阿曽は香香背男かかせおの背を見失わないよう、懸命に足を動かした。

「―――くっ、血のにおいが濃いな!」

 むせ返るようなそのにおいは鼻をつき、香香背男たちの足を鈍らせようとする。それでも先へ進まなければならないという義務感の元、五人は足を止めない。

「―――っ」

 ようやくたどり着いた客人の村は、死屍累々の体を示していた。

 血だまりが村のあちこちにあり、女子どもの悲鳴がこだまする。男たちはと見れば、幾人かが農具を構えて戦っている。手製らしき弓矢や剣を用いている者もいる。

 それらの中心にいるのは、一人の娘だった。

「桃太郎……ッ」

 阿曽の視線の先には、舞うように人々を切り裂いていく少女の姿。その瞳は何も映さず、ただただ目の前のものを斬り続ける。

「どういうことだ。桃太郎は、鬼を殺すはずだろう。なのに何故、鬼の村でもないこの村を襲っているんだ?」

 須佐男が疑問を呈したが、それに明確な答えを瞬時に示せる者はいなかった。

 しかし、少し村の様子を見ていた温羅が、小さく声を上げる。そうか、と。

「どうしたんだい、温羅?」

「大蛇。わかった、何故彼女がこの村を襲っているのか……」

「―――気付いたか、温羅とやら」

 香香背男が眉をひそめ、鼻を鳴らす。温羅は頷き、すっと人差し指で一点を指し示した。そこにあったのは、小さな石板。黒々としたそれは、村の中心に近い山裾に置かれている。

 石板には、中つ国の文字ではないものが縦一列に五つ刻まれていた。

「あれは、始祖の石だ。その名が鬼の文字で刻まれている。この村の人々は、黄泉から中つ国に住まいを移した鬼たち、ということだろうね」

「あたり、だ」

 流石は始祖の系統に連なる鬼だな。香香背男は、血のにおいにむせそうになりながらも苦笑した。

「この村に住むのは、もともと黄泉の国で生きていた者たちだ。しかしそれも大昔のことで、今や中つ国の人々とほとんど変わらない容姿を持っている者が大半となっている。……だから、桃太郎に襲われることもなかろうと思っていたのだが、油断だったか」

 ちっと舌打ちをして、香香背男は音もなく剣を引く。足下を踏み締め、真っ直ぐに桃太郎を睨みつける。

 そして、目にも止まらぬ速さで剣撃をぶっ放した。

甕星みかほしじん―――」

 それは流れ星のように明るい輝きを帯び、真っ直ぐな衝撃波となって桃太郎を襲った。

「……!」

 ドンッという破壊音と共に、砂煙が舞う。香香背男が来たことを知った村人たちは、ほっとした表情を浮かべた。しかし、香香背男は険しい顔のままで指示を出す。

「ぼさっとするな! 砦まで走れ!」

 香香背男の怒気に圧され、人々が逃げていく。その双眸は、どれも温羅のように赤くはない。いつの間にか、鬼であることは忘れられてしまったのかもしれない。

「油断、したらだめだ」

「はい」

 一瞬気を逸らせてしまった阿曽に、温羅が注意を促す。目を前へと向け直した阿曽の視界に、霧散する土煙が映った。

「おや、皆さんお揃いで」

 そこにいたのは、鴉羽色の翼を広げて香香背男の攻撃をしのいだ男の姿があった。黒に近い濁った瑠璃色の袍をまとい、丸い硝子を左目の前につけている。

「お前は」

「香香背男殿、ですね。我が名は留玉とめたま。……黄泉よりでし、使いの者」

 腰を折り、留玉と名乗った男は歪んだ笑みを見せた。

「これより、我が企てに皆さんを招き入れます」

「企て……?」

 眉をひそめる大蛇の言葉に、留玉は「そうです」と楽しげに頷いた。

「皆さんを一網打尽としてしまうための、企て。そのために、あなた方をここに招いたと言っても過言ではない」

「一網打尽? わたしたち全員を殺すというわけか。……寝言は寝てから言ってくれないかな。こんなところで死ぬつもりは全くないよ」

「温羅さんの、言う通りだ」

 歌うように喋る留玉に、温羅と阿曽は拒絶と戦意を示した。楽しそうだった留玉の表情が失われ、彼は「あっそ」と右手のひらを阿曽たちに向けた。

「何をするつもりかは知らないが、子供だましは通用しないぜ!」

 先手必勝とばかりに、須佐男が前に出る。一気に距離を詰め、留玉の首目掛けて剣を振るった。

 しかし。

「―――!?」

 突如として視界が奪われ、気付けば阿曽はたった一人で暗闇の中に佇んでいた。

「須佐男さん? 大蛇さん!? 温羅さん! 香香背男さん!!」

 呼べども、仲間の応じる声はない。

 たった独りで何故か暗闇の中に放り出された。事実として目の前にある以上、これまで以上に頭が警鐘を鳴らす。

 阿曽は日月剣を腰から抜き、真っ直ぐに構えた。そして深呼吸をする。

(落ち着け、落ち着け。焦っても、敵の思う壺だ)

 何度も息を整え、ようやく普段に近い呼吸を取り戻す。それでも胸は激しく鼓動し、緊張感に頭が冴える気がした。

 闇の中の気配を探る。研ぎ澄ませた神経は、何の音も拾わない。

「まず、ここは何処か。みんなと再会するにはどうしたらいいか。そして何より、敵を倒すためにはどうしたらいいのか」

 今すべきことを、言葉にして反芻する。

 その時だった。

「―――うわっ」

 阿曽は転がるようにしてそれを躱した。耳元を風の刃が過ぎ去っていく。

「―――くっ。はぁ、はぁ」

 立ち上がり、刃がやって来た方向を見る。そこには、見知った少女の姿があった。

「桃太郎ッ」

「……」

 桃太郎は真っ直ぐに阿曽の首を狙い、斬りかかって来る。それを紙一重で躱し、阿曽も負けじと剣を振るう。

 阿曽の一閃は簡単に避けられ、次の手が襲って来る。単調に見えて、その実、威力が高い。

「くそっ」

 キンッと金属音をたて、二つの刃が交わる。火花が散り、互いに距離を取る。

「―――重い」

 桃太郎の剣が重い。阿曽は奥歯を噛み締め、こちらを睥睨する桃太郎を睨みつける。

 決して、膝を折ることは出来ない。阿曽の脳裏に、頼もしい兄のような仲間たちの顔が浮かぶ。

「必ず、みんなのもとへ帰って、お前たちを倒してやる―――!」

 阿曽は剣に力を籠め、真っ直ぐに駆け出した。

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