第32話 行方知れずの兄
「久し振り、そう言うべきかな」
「ああ。……あんたが高天原を去って以来、会うことは無かったからな。息災そうでなによりだ」
「……なんでそんなに喧嘩腰なんですか」
ガンを飛ばし合う二人に呆れ、阿曽が割って入る。最初は怖そうだと思った香香背男に対する印象は、須佐男とのやり取りを見てから軟化してしまった。見た目は、須佐男よりも十は上だろうが。
阿曽に入られ、二人は仕方なさそうに離れた。それからどっかと胡坐をかいて睨み合う。先に口を開いたのは須佐男だ。
「
「こちらにはこちらの訳がある」
耳をかき、香香背男は右肘を立てて頬杖をつく。
「お前の姉は……否、母親は
「ヒルコ……?」
阿曽が疑問符をつけて呟くと、須佐男が「あ~」と言いながら目を泳がせた。
「日子ってのは、オレの……兄だ」
「でも月読さんが……」
「あの人の上に、もう一人いたんだ。けど、オレたちが生を受ける前には高天原にいなかった」
頭を振り、須佐男は「だから、兄がどんなやつか知らねぇんだよ」と呟く。
「香香背男が高天原を出たのは、オレたちが生まれた後だったから、知ってる。何度も母親に会いに来ては追い返されてたからな」
「その頃だったな。小さなお前が絡んできたのを突き飛ばして、月読が俺に激昂したのは」
流石にあれはやり過ぎたよ、と香香背男が謝す。須佐男も記憶を思い起こしたのか、苦笑いを浮かべた。阿曽には、あの冷静な月読が激昂する様など思い付きもしない。
「……で?」
「は?」
「何で高天原を出て兄上を探していたお前が、こんなところで砦なんて築いているんだ?」
至極真っ当な問いに、今度は香香背男が苦笑いを浮かべた。
まだ日は高く、砦の様々な場所では人々が動いている。武芸を磨く者、飯を作る者、話し合う者。そして、砦の向こう側にあるまだ知らぬ場所。先にあるかもしれない、懐かしい者との再会。
それら全てに思いを馳せ、香香背男は己を静めるために大きく息を吐いた。
「この先の、
だから、ここで一時的な休息をとっている。
客人とは、異なる場に生きる人が新たな場へと足を踏み入れた時に呼ばれる名だ。しかし今、この言葉は反対の意味で使われていた。
もともとこの場に居を構えていた人々を指し、更に彼らは辺境へと生きる場を変えている。
強い者たちの力が及ばぬ地へと。
「
素直な驚きを覚える須佐男に、香香背男は「お前も大差ないさ」と笑う。
「見たところ、
「違いない」
否定しない須佐男は、腰から外して床に置いた剣に触れた。
「共に立ち向かう仲間と出逢って、オレはよりあいつに近付いていける。……なんなら、お前が探すオレの兄も一緒に見つけ出してやるよ」
「大きく出たな、末息子が」
鼻で笑った香香背男は、しかし頭を振った。
「気持ちは有り難く受け取るが、これはもう我がものとなっている。一時的にここに身を置いているが、期を見てまた旅に出る。……次にお前たちと会うのは、この国の別の場所となろうな」
「そうか。なら、仕方がないな」
あっさりと諦め、須佐男は剣を手に立ち上がった。もう行くのか、と言う香香背男に、苦笑いを返す。
「この先には、あんたの許しなしでは行けないんだろ? あんたが許すとも思えないし、また別の方法で探すことにする」
「……そうか」
「……もし兄貴に会ったら、オレも姉も兄も元気だと伝えてくれよ」
「そうしようか」
行こうぜ。須佐男の言葉に頷き、阿曽たちが立ち上がった時。にわかに砦が騒がしくなり、ドタドタと焦った足音がこちらへと近付いてきた。
「た、大変です!」
幕を
「……どうした。まずは息を整えろ」
男の前に片膝をつき、香香背男が言う。男はひいひいと喉を鳴らしながら、どうにか香香背男の言う通りに落ち着いた。
その状態で、もう一度口を開く。
「……大変、なのです。鬼が」
「鬼が?」
男の言葉に、須佐男たちも反応する。複数の目にさらされながら、男は促されるままに口調を早めた。
「鬼が、現れました! 場所は、この先の
「わかった」
香香背男は、男に水を飲ませて剣を取った。
「聞いての通りだ。
そう言って砦を出ようとする香香背男に、須佐男が「待てよ」と声をかける。
「オレたちの領分だ。拒否されようが、ついていくぜ」
「───勝手にしろ」
香香背男の許可を得、須佐男は阿曽たち三人を見回した。
「行くぞ」
「ああ」
「当然だろう?」
「はいっ」
四人は香香背男の後を追い、未知の領域へと足を踏み入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます