第31話 辺境の戦士
剣の血振りをする大蛇の背に向かって、阿曽は声をかけた。
「大蛇さん……」
「ああ、阿曽。大丈夫、彼はもう逝ったから」
目を細め、返り血を浴びた頬を拭う。その手に握られた剣は、細身の彼が使うには少し物々しい気がした。
阿曽の目が自身の剣を捉えていることに気付き、大蛇は「気になるかい?」と問う。
「あ、いえ。なんというか……大蛇さんらしくない剣だと思って」
「まあ確かに……。昔、縁があって譲り受けた代物なんだ。それはまたいずれ、機会があったら話してあげるよ」
大蛇は話を打ち切り、自分たちを見守っていた須佐男と温羅に目を向けた。須佐男がやって来て、瀬尾が消えた場所を撫でる。
「……こいつは、堕鬼人の血を浴びて成鬼人であるにもかかわらず堕鬼人の性質を受け継いだんだろうな」
「本来、成鬼人は己の鬼となった際の目的を達すれば死滅する。けれど、彼は許婚の敵を討った後も生き延びた。伊乃矢という男を殺した時、その血を浴びたということかな」
須佐男は、隣にやって来た温羅の言葉に頷いた。ガシガシと頭をかく。
「そういうことだろ。……ああ、くそ。二つが影響し合うなんて聞いてないぞ」
「今後、成鬼人と堕鬼人の境はより薄まっていくかもしれないね」
危惧を含んだ温羅の言葉は、事情をよくわかっていない阿曽にさえ、重く響いた。
人を憎んで堕鬼人に堕ちた者、その者が殺した者の縁者が成鬼人となり、また堕鬼人を討つ。その悲劇的な連鎖は、永遠と思えるほどに続きかねない。
考えるだけで苦しくなる。阿曽は痛みを堪えるように須佐男に言った。
「どうにか、その連鎖を食い止めないとですね」
「ああ。そのためにも、まずは天恵の酒とやらを探し出さないと。……その前に、堕鬼人に人を堕とす元凶を見つけ出してぶん殴らないと気が済まんがな」
須佐男はぶん殴るだけでは済まないだろうな、と阿曽は内心思ったが口にはしない。
幸い、その人物に関する手掛かりは瀬尾が残していった。ただ、相手が男であるということ以外にはないわけだが。
「ないよりは、余程ましだよ。探すのは、この世の半分になった」
そう言って笑ったのは、大蛇だ。
いつの間にか、瀬尾の血の溜まりも風の中に消えてしまった。阿曽たちは、形ばかりに彼の冥福と咲売との再会を祈った。
廃村同然の土地を後にした四人は、更に北を目指す。
段々と生えている木々が変わっていく。幅の広い葉から細長い葉へ、閑散とした僻地へ。
数日後の昼間、四人は砦とおぼしき建造物と行き合った。崖の上に造られたそれを指差し、須佐男が声をあげた。
「何だ、あれ?」
太く頑強な丸太を幾つも重ね、縄で縛り付けてある。そんな壁面には一列に小さな穴が空いており、何かを差し込むのかもしれない。
崖下から砦を見上げていた時、壁の裏から五人の弓引きが飛び出してきた。矢を阿曽たちに向け、一人が叫ぶ。
「お前たち、何者だ? ここより北は、中つ国に対峙する者たちの国。許可なき者を通すわけにはいかん!」
「……中つ国に対峙する、か」
「う、温羅さんどうします?」
弓矢を向けられおっかなびっくりの阿曽が、温羅の袖を引く。温羅は「心配ない」と微笑み、須佐男の顔を見る。彼は意図を理解して頷いた。
「頼む」
「わかった」
温羅は三人の前に進み出ると、懐から一枚の紙を取り出した。それを崖の上に向かって見えるように掲げる。
「これは、武海の地の饒速日さまから受け取ったものだ。わたしたちに、この国を歩く許しを与えると書かれている」
「……おい」
誰何した男が、別の男を呼ぶ。どうやら呼ばれたのは、目が特に良い者らしい。
彼はぎょろっとした目を見開き、じっと温羅の書を見詰める。眼球が動き、読んでいることがわかった。
男が自分を呼んだ男に耳打ちする。頷き、男は部下を下がらせてもう一度叫んだ。
「確かに、正式なものと受け取った。しかしながら、この先はその許しが通じぬ場。これ以上先へは行かせられない。お引き取り願いたい」
「そうか、困ったな……」
饒速日の名が通じないとは、思ってもみないことだった。仕方ない、この向こうは天照たちに任せようか、そんなことを言い合った時だった。
「騒がしいな、何があった?」
どら声が、谷間に響く。温羅と対峙していた男たちが、急いで片膝をつく。
何事かと見れば、大柄でがたいが良いがどこか影を感じる男が現れた。額に星のような模様がある。むき出しの腕は太く、引き締まっている。野性的、という言葉が良く似合う男だ。
「香香背男様、実は───」
「あいつが、香香背男……」
控えた男の言葉に、須佐男が呟く。
報告を受けたらしい香香背男が、阿曽たちを見下ろして声をかけた。
「この先に、砦に登る為の道がある。そちらから来い」
そう言い放つと、香香背男と呼ばれた男は砦の中に姿を消した。男たちもその後に続いていく。
「……だってさ」
「一応話は聞くって感じか。行こうぜ」
温羅の苦笑を受け、須佐男が全員に声をかけ背を向ける。四人は香香背男に言われた通りに道を進んだ。
すると、確かに崖の上へとつながる階段が現れた。自然の壁を削って作ったらしいそれは、須佐男たちが乗っても崩れないほどに頑丈だ。
何十段もある階段を登り、最後の大蛇が崖の上に足をつく。そこには、下から見た以上に巨大な要塞が築かれていた。
須佐男が門番に香香背男に呼ばれたことを告げると、立っていた猫人の男は四人に入るよう促した。
「香香背男様が、奥でお待ちです」
「ありがとう」
石と木、そして土で造られた道を奥へ向かって進む。途中で数人とすれ違ったが、そのどれもが猛々しい雰囲気をまとった人物だった。武具を携え、武装している。
天幕の張られた空間。そこは、戦の大将が過ごす場としてつくられたのだろう。須佐男がその幕を手で引く。
奥に座っていた男が、ゆっくりと顔を上げた。端正ながらも、武人らしい険しさを併せ持つ面構えだ。男はにやりと口端を引き上げ、太い声で挨拶をした。
「来たか。―――天津神とその仲間たち」
「あんたが、香香背男。高天原を去った天津神」
香香背男と須佐男との間で、静かな火花が散ったように阿曽には見えた。
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