香香背男
第29話 鬼となった青年
何故北を目指したかと問われれば、そこに鬼が現れたという知らせがあったからだ。知らせを受けたのは通りがかった村の長だが、彼は道を尋ねに来た阿曽たちの旅の目的を聞くやいなや、その知らせを伝えた。
「鬼は、若い男の姿をしているといいます。北の国である男を殺し、そのまま逃げ行方をくらませたとか。あなた方が
堕鬼人が南に下りてくれば、次に狙われるのはこの村だ。そう言って、村長は薄くなってきた頭を下げたのだ。
「……くしっ」
「風邪かい、阿曽」
「いえ、ちょっと寒く感じただけですから」
阿曽は身震いをして、温羅に苦笑を見せた。
彼らが今いるのは、季節を問わず雪が降るという地域だ。一山越えてたどり着いたそこは、針葉樹林が地面を覆う大地であった。時折枝がしなり、重みをもった雪の塊が落ちてくる。
「確かに寒々しいが、風邪なんてひくなよ? そしてオレにうつさないでくれ」
「須佐男さん、何気に酷くないですか?」
阿曽が須佐男に文句を言うと、傍にいた大蛇がぼそりと呟く。
「……何とかは風邪ひかないっていうから、大丈夫だよ」
「大蛇、オレの悪口言わなかったか?」
「言ってないよ。独り言だから気にしないでくれ」
くすくすと笑いながら一歩先へ出た大蛇に首を傾げつつ、須佐男も続く。温羅と阿曽は顔を見合わせ、何も言わなかった。
何処までも続きそうな白い道だ。
「須佐男さん、あの村長の話、受けてよかったんですか?」
「ああ、鬼が出たってやつか。どうせ、俺たちは堕鬼人と会って奴らを鬼に堕とした誰かについて聞き出さなくちゃどうにもならないからな。まず、接触するところからだ」
「完全に倒してしまったら話を聞くなんて出来ないから、まずは半殺しにして動きを制する必要があるけどね」
「……温羅さん、表現が怖いです」
「そうかな? でも、非常な存在である堕鬼人や
「……わかっています」
堕鬼人は誰かによって人が鬼に堕とされた姿、そして成鬼人は自身の力によって人以上の力を得た姿を指す。どちらもでたらめな強さを持ち、人殺しの衝動を持っている。数えるほどしか堕鬼人と遭遇していない阿曽は、まだ彼らとの向き合い方が定まっていない。
「しかし、ぼくらは何処まで行けばいいのかな? こんな雪の中、人が住んでいるなんて……ん?」
「大蛇さ……」
「しっ」
大蛇が人差し指を唇に当て、阿曽たちに注意を促した。
チャキ、と須佐男が剣を鞘からいつでも出せるよう手を添えた。
雪のしんしんと降る静かな中に、突如として血のにおいが混じる。それは色濃く、阿曽たちの鼻腔を刺激した。
「こっちだ!」
剣を抜き放った須佐男が飛ぶように駆け出し、大蛇と阿曽、温羅もそれに続く。
木々の間をすり抜け時には跳んで避け、四人は妙に静かなその戦場へと足を踏み入れた。
「うっ……」
その場所に立ち込める瘴気と血のにおいに、阿曽がえずく。口元を覆ったものの、目に映るものを消し飛ばすことは出来なかった。
「これは……」
温羅も言葉を失う。目の前にあったのは、雪の白に激しく放たれた血の赤。幾つかの血だまりの真ん中には腹や首、胸を切り裂かれた死体が転がっている。
視界の端に、幾つもの住居があった。ここは、中つ国の中でも北に位置する場所だが、人々が暮らしていたらしい。その家の数と死体の数が合わないことから、大半の人々は逃げおおせたのだと推測された。
「おい、感傷に浸るのはまだ先にしろ」
「向こうは、こちらに気付いたようだね」
須佐男と大蛇が得物を手に構える。彼らの視線の先には、血の泉の真ん中で佇む痩せ型の男の姿があった。
彼は返り血にまみれ、自らも怪我をしていることから激しい抵抗にあったと推察される。それでも手にした斧の刃からは、赤いものが滴っている。
ゆらり。
男は阿曽たちを振り返った。その瞳から溢れるものを見て、阿曽は目を疑った。
(泣いてる……?)
「おい、お前泣いてるのか?」
須佐男も困惑しているのか、彼らしくもなく第一閃を留まっている。そんな彼らに―正しくは阿曽の目を見て―青年は嘆願した。
「どうか、全力で僕を殺してくれ」
そう言うが早いか、青年は血濡れた斧を振りかざした。
ズドンッ――
雪を割るような衝撃が走り、須佐男と大蛇が寸でのところで跳び避ける。彼らが今しがたいた場所には、斧が突き刺さっていた。
その斧を軽々と片手で持ち上げると、鬼となった青年は阿曽を直視した。刃を向け、言い放つ。
「僕を殺してくれ、呪われた子よ。その刃で、僕を彼女のもとへと送ってくれ」
「!?」
「……阿曽が『呪われた子』だって?」
青年の言葉による衝撃で固まってしまった阿曽に代わり、温羅が怒気をはらんだ声で問い返す。しかし青年はそれ以上は喋らず、真っ直ぐに阿曽へと刃を振り下ろした。
温羅がその攻撃を受け止め跳ね返そうと前に出るが、その横をすり抜けて青年は阿曽の前に躍り出た。
尋常ならざる速さと力、そして充血した赤い瞳が阿曽を捉える。
日月剣の柄を握り締め、阿曽は彼と睨み合った。しかし手が震え、うまく剣を扱えない。それでも何とか言い返そうと震える声を吐き出した。
「……俺は、呪われた子なんかじゃ……」
「……残念だよ、呪われた子。お前を殺してしまったら、誰が僕をあの世に送ってくれるんだ?」
透明な涙を幾筋も流しつつ、青年はその斧を阿曽の首目掛けて叩き下ろした。
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