第28話 下山

 天照たちと会話をした翌日。まだ空の白んだ時刻。

 山の頂に、阿曽の気合の声が響いていた。

「やあっ」

「そんなもんか? まだまだ行くぞ!」

 阿曽の相手をしているのは須佐男だ。その手には愛剣があり、阿曽の日月剣ひつきのつるぎと打ち合っていた。キンキンッと激しい金属音が山に響き渡る。

「そこだっ」

 勝負が決した。

 阿曽の剣は地面に落ち、須佐男の剣の切っ先が阿曽の首筋を捉えている。

「―――くっ」

「とりあえず、今はここまでだな」

「いえ、もう一度です」

「ほお。いいぜ」

 ぎりっと奥歯を噛み締めた阿曽に、須佐男が余裕の笑みを向ける。

 楽しげに刃を収める須佐男を観察しながら、温羅と大蛇が言い合った。

「……須佐男、櫛名田くしなだの前だからって容赦なさすぎじゃ?」

「それは仕方ないよ。張り切っているんだろ」

「全く、鍛錬は勝ち負けではないのに」

 呆れたという顔で、櫛名田が大蛇の隣に立った。彼女らの前で、第二戦が始まっている。

 阿曽が剣を正眼に持ち、真っ直ぐに斬りかかる。須佐男は紙一重でそれを躱すと、すぐに横撫でにした阿曽の攻めを己の剣で打ち払う。

 更に足払いをかけるが、阿曽はそれを跳んで避けてみせた。身軽さを活かし、再びその体勢のまま上空から斬りかかる。

「はあっ!」

「甘い!」

 須佐男の目が動き、次いで右足が跳ね上がる。剣を避け、上段蹴りを放つ。それは見事に阿曽のあごを捉え、吹っ飛ばした。

「ガッ……」

「はい、そこまで」

 温羅が追撃しようとした須佐男を押さえた。彼の足を掴んで投げ飛ばす。

「いってぇ。温羅、何しやが」

「これは鍛錬だろう? 本当に殺し合いをやりかけてどうするんだ」

「問題ない。本気は出してない」

「それはわかってるけど、阿曽はお前みたいな神じゃないんだからな」

「……あ」

 温羅が指し示した先には、伸びてしまった阿曽を介抱する大蛇と櫛名田がいた。櫛名田は出血している個所に薬草を挽いた塗り薬を塗り、こっそりと逃げ出そうとした須佐男に目を移した。

「……須佐男?」

「ひっ」

 引きつる悲鳴を上げた須佐男の手を掴み、櫛名田は笑った。かなり、圧を感じさせる笑みで。

「少し、彼を借りますね」

「「どうぞ」」

 表情だけで須佐男に助けを求められた温羅と大蛇だが、そんなことは出来なかったしやろうとは思わなかった。

 ずるずると引きずられるようにして小屋の中に入って行く須佐男を見送り、二人は阿曽に視線を移した。倒れた時に大蛇が支えたために頭を打ってはいないが、あごを蹴られて血がにじんでいる。


 その日の昼前。阿曽たちは目的のために櫛名田のもとを辞すこととなった。

 少々疲れ気味の須佐男を横目に、櫛名田は阿曽と目を合わせた。

「阿曽さん、怪我の具合はいかがですか?」

「あ、もう痛くないです。ありがとうございました、治してくださって」

「……こんな短い時で治したのは、あなた自身の体の力です。これからあなたには様々なことが起こるでしょう。けれど、仲間がいれば、何とかなります」

「―――そう、ですね」

 櫛名田の優しい笑みにつられ、阿曽も微笑んだ。

「わたしはここでもう少し詳しく天恵の酒について調べてみます。何か新しいことがわかり次第、お知らせしますね」

 そう言って、櫛名田はパチンと指を鳴らした。彼女の指先に白い蝶が現れる。もう一度指を鳴らすと、その蝶は一片の紙となった。蝶を伝書として使うということらしい。

 ぽかんと見入る阿曽に、櫛名田は優しい眼差しを向けた。

「須佐男、温羅さん、大蛇さん。どうか彼を守ってあげてください」

「……巫女の夢で、何か見たのか?」

「少しだけ、未来のことを」

 須佐男の問いに、櫛名田はそれだけを答えた。その先は、人差し指を口元に持って来て言わない。

「巫女は、その目で見た過去と未来を他人に言ってはいけない、か。あまりため込むなよ」

「あなたこそ、阿曽に無理を強いてはいけないわよ」

「必要なことしかしない」

 ぶっきらぼうな物言いの恋人に、櫛名田は苦笑するしかない。

 改めて四人に向き直り、櫛名田はその手に持った幣を天に掲げた。

「どうか、旅路の果てが安らかなものでありますよう」

「ありがとうございます、櫛名田さん」

 また、お会いしましょう。櫛名田に手を振り、四人は再び中つ国へと戻っていった。




 四人を見送った櫛名田は、再び一人で小屋に入った。

 それから書庫へと移動し、その中の一冊を手に取る。祭壇のある部屋には木簡しかなかったが、こちらにならば清書をした写しがたくさん収められている。今では木簡から消えてしまった書であっても、こちらには残っているということもあり得るのだ。

 彼女が手に取ったのは、天恵の酒に関する記事を持っているはずの書。天恵の酒とは一体何なのか、何処にあるのか、それらのことを知りたいと思ったのだ。

「……ない、か」

 詳しいことは載っていない。櫛名田はため息をつきそうになったが、思い留まった。ため息をつけば、その分の幸せが逃げていってしまうという。それに、諦めるのは早い。

「この書庫には、わたしも知らない書が多くある。だから、きっと見つけてやる」

 少しでも彼らの役に立てるよう、櫛名田は深呼吸をした。

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