第26話 秘する書

 祭壇にて、櫛名田くしなだが舞う。白いぬさを持ち、その髪を飾る櫛から垂れる色とりどりの玉が体の動きと共に揺れる。何処からか、シャンと澄んだ鈴の音が聞こえる気がする。

 美しい植物の装飾がなされた鏡が祭壇の中心に置かれ、幾つもの火が揺れる。櫛名田の舞は、穏やかで落ち着いていて、尚且つ意志の強さを感じさせるものだ。神楽かぐらというらしい。

 少しずつ、部屋の空気が澄んでいく。須佐男たちと床に座っている阿曽は、その温かささえ感じる気の流れの変化を感じていた。

「……!」

 祭壇の鏡が、仄かに白く光っている。その光は徐々に輝きを増し、いつしか目を閉じなければならない程の眩しさとなった。

 ―――シャンッ

「久し振りね、須佐男。みんなも。そして、櫛名田も」

 鏡から光が跳び出し、人一人分の大きさの光る円を須佐男たちの前に創る。そこに映し出されたのは、高天原にいるはずの天照あまてらす月読つくよみだった。

「お久し振りです。姉貴、兄貴。高天原を出てから一度も報告をしなかったこと、お詫びします」

「そんな殊勝なこと、思ってもいないでしょう。お前が元気でやっていることは、毎日大蛇と温羅が報告してくれていました。二人の友に感謝しておきなさい」

 形ばかりの須佐男の礼節は、一瞬で月読に見破られた。加えて知らずにいた事実を知り、須佐男は二人の友の顔を振り返った。

「本当か……?」

「まあ、きみが定期的な報告なんて出来るとは思っていないからね」

「悪いかとは思ったけど、必要最低限のことはお伝えしないとね」

 大蛇と温羅に肯定され、須佐男は素直に「助かった」と礼を言った。その様子を鏡の先から穏やかに見つめていた天照は、月読に促されてこほんと咳払いをした。

「―――さて、そんなずぼらなあなたが連絡を寄こしたんですもの。何か聞きたいことでもあるの?」

「ああ。姉貴たちは、『天恵の酒』を知ってるか?」

「てんけいの……」

 顔を見合わせた姉と兄の様子に、須佐男は傍に畏まっていた櫛名田を呼んだ。

「櫛名田、あれを持って来てくれ」

「わかったわ」

 櫛名田は音もなく立ち上がり、木簡の束を持って帰って来た。それは、先程阿曽たちが見せてもらった木簡だった。櫛名田から受け取ったそれを、須佐男は天照たちに見えやすいように掲げ持つ。

「ここにある、見てほしいんだ。『人ならざる者になった人であった者の魂を戻す』とある。これは、堕鬼人の魂をもとに戻す可能性を持っているんじゃないかと、オレたちは考えたんだ」

 須佐男が見せた木簡を一枚ずつ吟味するように読み進めていた天照は、ふうっと息をついて首を横に振った。

「……残念ながら、わたくしには覚えがないわ。昔から文字を読み続けることが不得意だったから。でも、月読は?」

「僕は覚えがありますよ、姉上」

「本当か、兄貴!」

「ああ。少し待っていなさい」

 月読は席を外すと、部屋の外へと消えた。恐らく、同じような記述のあるものを探してくるつもりだろう。

「兄貴が覚えてるのに、何で姉貴が知らないんだよ」

 月読がいない間に、須佐男がにやりと口角を上げる。天照は「うぅ」と呻くと、顔を赤くしてまくしたてた。

「仕方ないじゃない! わたくしはそちらの方には向かないのよ。祝詞はすぐに覚えられるのに、書物となるとてんでダメ。その方面は月読が全て取り仕切ってくれているから、心底助かっているわ。……って、あなたはわたくし以上に人のことが言えないのではない?」

「そ、それは……。オ、オレは腕に自信があるからいいんだよっ」

 姉に反撃を食らい、須佐男も負けずに言い返す。そんな外から見ていたらほのぼのとするだけの姉弟喧嘩は、戻って来た月読によって中断した。

 天照の目の前に数冊の紙の書物を重ねる。前のめりになりかけていた天照は、そのドサッという衝撃で体を後ろに戻した。

「つ、月読?」

「姉上、須佐男も。喧嘩は全てが丸く収まってから飽きるまでやってください。今大切なのは、そんなことではないはずですよ」

「はい、兄貴……」

「はぁい……」

 月読に睨まれ、姉弟は大人しく矛を収めた。

「つ、月読さん、その本たちは?」

 阿曽は話を元に戻そうと月読に振った。中つ国では滅多にお目にかかれない紙の書物を前にして、興奮していたことも事実だが。

「ああ、そうでしたね」

 月読も気を取り直したのか、数冊の中から最も上に置いてあったものを手に取った。その表紙には『秘すること』と流れるような文字で書かれている。

「これは、神殿奥の書庫に収められている一冊です。……僕たちが生まれる以前より伝わって、今ここにある」

 彼はそう言うが、手の中にある書物には汚れも傷もない。まるで新品同然のようだ。温羅もそう思ったのか、指摘する。

「月読さん、それは本当に古いものなんですか? それにしてはきれい過ぎる気がしますが」

「温羅もそう思いますか。秘術のようなものを施され、その質は古来より落ちたことはありません。それ程に重要なものだということでしょう」

 月読は本の紙を一枚めくった。僅かに見えたその紙には、黒々とした筆の文字が書かれている。それは達筆過ぎて、阿曽には全く読めなかったが。

「……『高天原の最奥の地にて、独り静かに薬を創る者あり。薬は魂魄を清め、全てを忘れさせる力を持つ。』この記述と、その木簡はよく似ています。恐らく、同じことを書いているのでしょう」

「だったら!」

 須佐男が身を乗り出す。月読はそれに応じ、頷いてみせた。

「高天原の何処かで、その『天恵』と呼ばれるものは造られています」


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