櫛名田姫

第24話 神域の巫女

 武海の地を出て、阿曽たち四人は誰も通らない道を永遠と歩いていた。周りに見えるのは、田んぼと畑、そしてまばらに生える木々くらいのものだ。

 須佐男は何処かに向かっているらしいのだが、自らそれを教えてはくれない。阿曽はしびれを切らし、前を行く須佐男に追いついて尋ねた。

「須佐男さん、今何処に向かってるんですか?」

「あ、ああ……。オレの知り合いのところだ。そこで、堕鬼人やその親玉のことについて知っていることはないか聞こうと思ってる」

「須佐男さん、神域を守る巫女に心当たりがあると言っていましたけど……?」

 その人のところですか。阿曽がそう尋ねると、須佐男は一瞬顔を真っ赤にした後、ふっと視線を外した。

「須佐男さん?」

「っ、そうだよ」

 見たこともない須佐男の反応に、阿曽は聞き募ろうとした。しかしそれは、苦笑を漏らす温羅によって止められる。

「やめてあげて、阿曽」

 背後から手で口を押えられ、阿曽は口をつぐまざるを得なくなった。もう聞かないと目で訴えると、息をしやすくなる。

 阿曽が胡乱げな目で温羅を見ると、彼は苦笑の顔のままで阿曽の頭をぽんぽんと撫でた。

「もうすぐ着くから。そうすれば、全てわかると思うよ」

「ぼくもそう思う。もう少しの辛抱だから」

「大蛇さんまで……」

 須佐男と過ごす時間の長い温羅と大蛇は、須佐男の挙動不審の理由を知っているらしい。若干、二人の顔が面白そうに笑っている。それを、須佐男は知りつつも無視しているようだ。

(俺も、仲間で友だちだと思ってるんだけどな……)

 少し寂しさを覚えた阿曽だったが、温羅と大蛇の配慮が妥当だと知るのは、もう少し先になる。


 徐々に道が険しくなっていく。まるで、禁足地に分け入ったような感覚だ。人を拒絶し、清らかな気を保つ場所。阿曽の胸がどくんどくんと激しく鳴っている。息が苦しい。

 岩と巨木ばかりの山道を進み、やがて四人は開けた場所に出た。頂上らしい。

 山の頂上には、小さな小屋があった。入り口には注連縄が張られ、塩が盛られている。決して頑丈には見えないが、山の強風にもびくともしない。

「ここは……?」

「……神域の巫女が住むところだ」

 阿曽の問いにそれだけ答えると、須佐男は小屋の戸をトントンと叩いた。

「いるんだろ、櫛名田くしなだ。須佐男だ」

「須佐男?」

 中からは、高音ながらも落ち着いた女性の声がした。次いで、床を踏み締める音が聞こえる。戸の前で止まり、ギギと開いた。

「……久しいな、櫛名田」

「本当に。元気そうでよかった」

 須佐男が、後ろ頭をガシガシと掻いている。その耳が赤いのが、彼の後ろにいる阿曽にもわかった。

「そちらは、大蛇さんと温羅さんですね。いつも須佐男がお世話になっています」

「いえいえ。こちらこそ」

「お久し振りだね、櫛名田姫」

 大蛇と温羅もにこやかに挨拶をする。櫛名田の視線が、阿曽にいって止まった。

「彼は?」

 ひょこっと櫛名田の姿が須佐男の影から顔を出す。そこで初めて、阿曽は櫛名田の姿を直接見た。

 黒よりも白に近い灰色の髪が、真っ直ぐに腰まで伸びている。髪の一部を結い、そこには珊瑚と翡翠で彩られた櫛が刺さっている。彼女の線の細さを、その白を基調とした衣装が際立たせている気がした。瞳と同じ若葉色の帯が、全体を引き締めている。

 阿曽の彼女に対する第一印象は、儚げな人でこんな山奥に一人でいるなんて信じられない、である。

 そんな驚きを目に宿していたのか、櫛名田がくすりと微笑んだ。心を読まれた気がして、阿曽は慌てて自分の名を告げた。

「あ、俺は阿曽です。よろしくお願いします、櫛名田さん」

「はい。阿曽さん、こちらこそです。……こんなところで立ち話していてはいけないですね。みなさん、こちらへどうぞ」

 ふわりと微笑み、櫛名田は四人を室内へと誘った。

 室内は、ほとんど白と茶と黒しかない。神を対話するという祭壇がかなりの場を占め、他は煮炊きをする炉と水甕、寝床くらいのものだ。必要最小限のものだけを置いている、といった印象がある。

 小さな炉を真ん中にして、五人が座り込んだ。阿曽から見て、正面に櫛名田と須佐男、右に温羅、左に大蛇が胡坐をかいている。山の上ということもあって肌寒い。櫛名田が炉に火を入れた。

「それで、どういった風の吹き回し?」

「お前な……」

 櫛名田が楽しそうに須佐男に問うと、彼は困った顔をしてため息をついた。

「オレが来たら不都合だってか?」

「そうじゃないわ。とっても嬉しい」

「……えーと、お二人はどういう?」

 阿曽がおずおずと手を挙げながら問うと、須佐男はふいっと顔をそむけた。その代わりに、櫛名田が応じる。

「須佐男は何も言わなかったですね? ……わたしは、彼の恋人、と言ったらいいのでしょうか」

「オレに聞くな」

 淡く頬を染めて首を傾げる櫛名田に、須佐男は素っ気なく答えた。たったそれだけだが、恋愛経験のない阿曽にもわかった。温羅と大蛇が「後でわかる」と言った意味が。

 須佐男と櫛名田は、恋人同士なのだ。

 関係性を理解して、阿曽は須佐男に視線を向けた。彼の顔はまだほのかに赤い。

「……なんだよ、阿曽」

「いえ。ただ、話の続きを言って欲しかったので」

「あ、そうか」

 ごほん、とわざとらしく咳ばらいをした須佐男は、表情を改めた。

「櫛名田、お前に尋ねたいことがあってここに来た」

「……何でしょうか?」

 櫛名田も雰囲気で察したのか、須佐男を真剣な表情で見つめる。そこに、恋人への甘い視線はない。

「まず、堕鬼人を人に戻す方法について。そして、堕鬼人を増やしている原因について。どちらか一方でもいい、知っていることはないか?」

「……後者についてはわたしも存じませんけど」

 そう断った上で、櫛名田は立ち上がると部屋の隅から何かを取って来た。それは、古びた上に何枚も重ねられた木簡だった。

 四人の注目を集める中、櫛名田はそれらを開いて見せた。木簡には細かい文字で、びっしりと文章が書かれている。

「これは、『天恵の酒』というものに関する記録です」

?」

 阿曽が首を捻ると、須佐男も知らないらしく首を横に振った。温羅と大蛇も同様だ。

 櫛名田は四人の反応を見て、ゆっくりとその酒について伝わっていることを話し始めた。


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