第21話 黄泉からの使者

「全く。まだ奪えないのか、桃太郎」

 ぴくり、と桃太郎の動きが鈍る。阿曽はその隙を見落とさず、まだ血の滴る桃太郎の傷口を狙った。しかしそれを防ぐ余力はあったらしく、簡単に跳ね返されてしまった。

 桃太郎は跳んで阿曽たちから距離を取り、倉の上に立つ人物のもとへと再び跳躍した。阿曽の傍に駆け寄った温羅と大蛇、そして須佐男と離れた場所にいた饒速日にぎはやひが顔を上げる。

 炎は既に消し止められ、くすぶる焦げ付いたにおいと黒い煙が漂う。その煙の中、人影は月の光を背にした。

「これだけの時をくれてやっても、殺した鬼は二、三。それではあの御方の願いを叶えるには至らん……」

「……」

 叱咤されても、桃太郎は何も言わない。ただ顔を伏せて控えるだけだ。

 声色から、倉の上に立つのは男であろうと推測される。黒に近い紫のほうを身につけ、こちらを睥睨する。

「……天の須佐男、地の八岐大蛇。そして、始祖の鬼である温羅。更に、か」

 男は阿曽を見て、目を細めた。暗闇の中でも鈍く光る、青い瞳。その圧に、阿曽は身をすくませた。温羅がその背を支えてくれる。

「お前は、何者だ?」

 須佐男が一歩前に出て、吠えるように問う。全員の視線を受け、正体不明の男はわらった。かんむりをいただいた頭を下げて、わざとらしく礼をする。

「お初にお目にかかる。我が名は犬飼いぬかい。あの御方のため、日夜鬼と名のつく者を狩る、忠義者。そして、黄泉の国の支配者の配下だ」

 男――犬飼は恭しく挨拶すると、パチンと指を鳴らした。その途端、控えていた桃太郎が立ち上がった。何をする気かと阿曽たちが身構える隙も与えず、桃太郎はその手にあった剣を倉の屋根に突き刺した。

「あ―――あそこにはっ!」

 饒速日が悲鳴を上げる。阿曽たちはその意味をはかりかね、顔を見合わせた。

「饒速日さん、あそこには何が……?」

「あの倉には、十種宝物が収められている。あれを奪われれば、中つ国の、ひいてはこの世の均衡が崩れかねん」

 均衡が崩れるとは、堕鬼人や成鬼人になりやすくなるということ。人々の欲が暴力という形で発現しやすくなるのだと、饒速日は呻った。欲と理の関係を平均化し、保つ手助けをする力が、宝物にはあるらしい。

 桃太郎の剣はなかなか屋根に穴を開けることが出来ないのか、硬直しているように見える。倉を守る力とそれを破ろうとする桃太郎の力のせめぎ合いだ。力を入れているためか、桃太郎の腹の傷からは血が流れ続けている。

「じゃあ、まずいじゃないですか!」

「そうだ。あれを――奪われるわけにはいかん!」

 饒速日はそう叫ぶが早いか、落星剣を構えると駆けて跳び出した。跳躍し、倉の屋根にいる桃太郎を斬りつける。しかしそれは犬飼に遮られ、地面に叩き落された。

「饒速日さん!」

「ぐ……くっ。問題ない、須佐男」

「……全く、邪魔しないでもらえるか?」

 犬飼は心底不満だという風に顔を歪め、空中にかざしていた左手を軽く振った。阿曽たちの目には、彼のその手が饒速日の剣を跳ね返したように見えた。

 初めて見る戦い方に、阿曽たちは目を疑った。しかし、ここで指をくわえて見ているわけにはいかない。見逃せば、敵方に力を与えてしまうことになる。

「……温羅、大蛇」

「須佐男、やるつもりかい?」

 剣の柄を握り締めた須佐男に、温羅が問う。その問いに「応」の意思を込めて頷いて返し、須佐男は音もなく剣を抜いた。

「……仕方ないな」

「言っても聞かないからね、須佐男は」

 顔を見合わせ、温羅と大蛇は苦笑した。

 ベキッと板が割れる音がした。少しずつ、倉の結界が破れ始めている。時はない。

 須佐男は阿曽の頭に手を置いた。

「阿曽、饒速日さんたちを頼む」

「俺もっ」

「―――すまんが、まだ無理だ」

 阿曽の共に戦いたいという思いを知りながらも拒否し、須佐男は跳び出した。その後に温羅と大蛇も続く。阿曽は、須佐男の瞳が普段以上に輝いているのを見ていた。

 それは、瞳を跳び出して体全体に及ぶ。光が神通力の可視化されたものだと知るのは、もう少し先のことになる。

 水底のような深い青。それが、須佐男の力の色だった。

 同様に、温羅は紅、大蛇は翡翠色に輝く。

 その様子は美しく、そして恐ろしく阿曽の目には映った。


 阿曽は須佐男の言う通りに、饒速日を引っ張って少し戦場から離れた木陰に移動した。傷の痛みに呻く彼を太い幹を背にして座らせる。

 饒速日は「すまんな」と言いながら体の力を抜いた。背中が痛むのか、わずかに幹から体をずらす。それを見て、阿曽は饒速日が倉の屋根から落ちたのは背中からだったと思い出した。

「うわぁっ、すみません! 痛かったですよね?」

「ああ、気を遣わせたか。大丈夫、気にするな」

 その時、再び木の板が外れる音がした。須佐男たちも猛攻しているようだが、防がれているようだ。

 阿曽はそれを見上げながら、悔しげに呟く。

「俺も……。もっと、強かったら……」

「彼らは負けない」

「―――!」

 確固たる饒速日の言葉に、阿曽は振り向いた。饒速日は、剣を杖代わりにして立ち上がろうとしている。

「饒速日さん、無理は……!」

「無理ではないよ。これでも、天津神の端くれだ」

 ぐっと足に力を入れ、饒速日は立ち上がった。少しずつ傷が塞がっていく。奇跡のような力が、彼が神であることを思い出させた。

「さて、と」

 饒速日は倉を見上げ、目を細めた。少しずつ解けていく結界のほころびを見つけ、それを繕わなくてはならない。それが、彼の役割だ。

「阿曽、桃太郎たちが邪魔しないよう、見張っていてくれないか?」

「え? ……はいっ」

「頼む」

 饒速日が何をしようとしているのかはわからなかったが、阿曽は頷く。自分が出来る精一杯を示さなければならないから。

 阿曽は日月剣を正面に構え、桃太郎の動きを見つめる。その間、饒速日は彼の背後で空中に陣を描いていた。神代の文字を駆使し、模様のように描く。その白く輝く線が引かれる毎に、倉の結界は強度を増していく。

 それに気付いたのか、桃太郎が信じられない高さまで跳躍した。

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