第20話 まるで人形のようで

 館を出ると、焦げ臭さが鼻をつく。人々の避難は終わったらしく、その辺りに人影はなかった。阿曽は夜闇の中で歯噛みした。

「くそっ、桃太郎は何処に……」

「阿曽さま、温羅さま!」

和珥わにさん……どうしてここに」

 饒速日にぎはやひと一緒にいたのではなかったのか、そう言いかけた阿曽に、和珥は「そんなことは今は良いんです」と言葉を被せる。

「いいって……」

「今、阿曽さまたちに向かってほしいのは、あそこです」

 和珥の指差す方向には、一段と燃え盛るものがあった。それは煌々と輝き、その美しさと裏腹に、暗く悲しい気配を感じさせている。

「あそこには、何があるんです?」

「倉には、十種神宝とくさのかんだからが収められています」

「……ああ、天照さんが渡したという」

「はい」

 熱風はまだ遠い。それでも、阿曽の胸に不自然な焦燥をもたらす。

 和珥の答えに訳知り顔で頷く温羅に、阿曽は「あの」と視線を目標に固定したままで問う。

「とくさのかんだから、って何ですか」

「それは……、走りながら答えよう」

 和珥さんは饒速日さんを探して助けてください。それだけを言い残し、温羅は阿曽の背を叩いた。

「ほら、行かないと」

「あ……はいっ」

 つんのめるようにして、阿曽は温羅に続いた。走るごとに、目的地が近付いて来る。

 その間に、十種神宝とは何か、を温羅は教えてくれた。

 『十種神宝』とは、高天原から中つ国へと饒速日が降りる前、天照が餞別として贈った十種類の神宝のことをいう。それらを饒速日は、封印を施した倉で保存していたようだ。

 それは、次の十種類。瀛都鏡おきつかがみ辺都鏡へつかがみ八握剣やつかのつるぎ生玉いくたま足玉たるたま死反玉まかるかえしのたま道反玉ちがえしのたま蛇比礼へびのひれ蜂比礼はちのひれ品物比礼くさもののひれである。

「ま、高天原でも一部の人たちしか見たことがない、幻の品々なんだけどね」

 一切息を切らさず、温羅はそれだけのことを説明してみせた。その間に、二人は戦闘音が激しく響き渡る場所へと到達していた。


「おう、来たか」

「来たか、じゃないだろ。須佐男、苦戦してるんじゃないか?」

「さあな」

 ガキンッと金属音が鳴る。若干の汗を流しながら、まだ余裕のある顔で須佐男は桃太郎と対峙していた。振り下ろされる剣を弾き返し、鋭い剣撃を浴びせる須佐男。彼の視線の先にいた少女は、無感動な瞳でこちらを見下ろしていた。

「……桃太郎?」

「……」

 反応はない。その様子に、阿曽は違和感を覚えた。

「阿曽、どうした?」

「温羅さん。あの」

「うん」

 繰り返される激闘。その中で、二人の間にだけ静かな時が流れる。

「あれは……桃太郎、何でしょうか?」

「……違和感がある、と言いたいのかな」

「はい。あれは―――違う」

 何が違うのか、それを言葉にするには語彙が足りない。でも、違うことだけはわかる。

 桃太郎には、一度会っただけだ。しかも、突然追いかけられた。

 彼女は、確かに感情に乏しく、ただ戦いを求めた。鬼というだけで刃を向け、抹殺しようとする。阿曽も命の危機に瀕した。温羅が来てくれなければ、きっと今、ここにはいない。

「あんな目を、彼女はしていなかった」

 あの時、桃太郎の瞳が揺れたことを、何故か鮮明に覚えている。まるで、殺すことを躊躇するような、何かに抗うような。

 今の桃太郎には、その時の迷いが一切ない。まるで、人形のようだ。

「わたしも、そう思う。彼女は……彼女に一体何があったんだ?」

 直接刃を交えた温羅も首を傾げる。それほどまでに、桃太郎は戦うための人形となっていた。

「やあ、二人共」

「……お前たちまで。すまないな」

 そこへ、大蛇と彼に支えられて歩く饒速日がやって来た。

 桃太郎がこちらに何度も刃を向けようとするが、その全てを須佐男がしのいでいる。重い音が、空を駆ける。太刀筋が飛び、なかなか接近戦には持ち込めない。

「気にしないでください。首を突っ込んだのはわたしたちの方ですから」

「ふふっ。大蛇と同じことを言う」

 饒速日の言葉に、大蛇と温羅は顔を見合わせて苦笑した。

 チャキ

 大蛇は腰に佩いた剣の柄を持ち、するりと抜き放った。その翡翠色の瞳が細くなる。

「これで、全員が集まった」

「反撃と行こうか」

「……俺も」

 温羅が剣を構え、阿曽も不慣れな日月剣を桃太郎に向けた。今は、違和感の理由を探す時ではない。

 その時だった。阿曽の耳に、須佐男の檄が飛ぶ。

「―――危ないッ」

「くっ」

 須佐男の剣を逃れた桃太郎が、一直線に阿曽目掛けて降って来た。その武骨な剣は、阿曽の首を狙っている。

 咄嗟に剣で防ぐが、圧倒的な力の差で押し込まれそうになる。冷汗が、脂汗が背中を伝った。地面にめり込みそうな感覚になる。

「阿曽―――!」

 ガキンッ

 温羅の剣が桃太郎のそれを薙ぎ払おうとする。桃太郎はひらりと軽い身のこなしで躱し、距離を取った。しかしすぐに、温羅に焦点を定めて斬りかかる。その背後を取った大蛇の剣は、寸でのところで桃太郎の髪を切るに留まった。

 一切の息の乱れも見せず、桃太郎は剣を振りかぶる。振り下ろす直前、須佐男の剣が彼女の横腹に突き刺さった。

「―――ッ」

「よし……ッ!?」

 確かに血を流してはいたが、桃太郎に痛がる素振りはない。それどころか、突き刺さった刃を素手で引き抜いた。そのまま、須佐男を投げ飛ばす。

「須佐っ!」

「ぐっ、かはっ……」

 十種神宝が隠されている倉の外壁に打ち付けられ、須佐男の息が詰まる。それでも常人ではない彼は、痛がりながらも立ち上がった。

「なんて奴だよ。あそこからこんな展開は想定外だっての」

 ぶつくさ文句を言いつつも、須佐男は体勢を整えた。壁にぶつかった時に切ったのか、二の腕に赤い傷ができている。

 ほっとしたのも束の間、阿曽は再び襲い掛かって来た桃太郎を何とか受け流し、紙一重で刃を躱す。阿曽を守るように立つ温羅と大蛇も応戦し、少しずつ桃太郎を追い詰めているかに見えた。

 その声が聞こえるまでは。


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