第17話 自主練

 真夜中。阿曽はふと目を覚ました。

「今、何時なんどきだ……?」

 室内から見える夜空の月は、まだ天上にある。朝日を拝むまでには、まだまだかかりそうだ。

 阿曽は体を起こし、仲間たちの様子を確認した。

 須佐男、大蛇、温羅はそれぞれの寝相で眠っている。

 須佐男は仰向けになって大口を開けているし、大蛇は横を向いている。温羅はうつぶせに近い体勢だ。三人はぐっすりと眠っている。

 そっと寝床を抜け出しても気付かれまい。阿曽は頭上に置いていた鍛錬用の木刀を手に取ると、忍び足で寝室を出た。

 虫の声が聞こえる。冷えた土の上に裸足で立ち、阿曽は木刀を構えた。

 頭の中で敵の姿を描き、それが目の前にいて斬りかかって来ることを想定して動く。須佐男や大蛇、温羅の戦いでの動きを思い出しながら、自分ならどう動くかとなぞる。

(右、左。次は真ん中に。体を逸らして……斬りこむ!)

 ――キンッ

「え……っ」

「阿曽、こんな真夜中に何をしてるんだ?」

「……饒速日にぎはやひさん」

 阿曽の木刀を受け止めたのは、饒速日がつかむ剣だった。それは八握やつかはありそうな刃を伸ばし、しなやかに何処までも伸びる錯覚を覚えさせる。

 その柄には太陽と月、そして星が彫り込まれていた。

「少し、一人で鍛錬したくて。饒速日さんは?」

われは、毎夜の習わしだ。武海の地を歩き、人々の様子を見守る。……しかし、こんな時間に外で棒を振っている者がいるとは思わなんだ」

「俺も初めてですよ」

 一人で真夜中に鍛錬など、したことがない。いつも誰かが隣にいた。それが頼もしくもあり、身勝手ながらも阿曽の劣等感をさいなんだ。

 非力な自分が、どうして温羅たちといられるのかがわからない。わからないが、わからないなりに彼らの役に立てるようになりたい。

 だから、ひっそりと自主鍛錬を積もうとしていたのだ。

 密かに饒速日が去ることを期待していた阿曽は、彼の次の言葉に唖然とする。

「……よし、我も手伝おう」

「……は?」

 どういうことかと阿曽が問うよりも早く、饒速日は自分が背中に背負っていた剣を取り出してみせる。先程彼が持っていたものよりも刃が長い。

「さっき使ったのは、我が手に馴染んだ剣。こちらは最近手に入れたためにまだ手に馴染まん。だから我と手合わせしてほしい」

「俺も、まだまだ未熟ですよ」

「それは、この剣とて同じことだ」

「というか、俺木刀なんで。真剣相手じゃ負けるに決まってますよ」

「くくっ。斬りはせんよ。そうさな、ではこれならどうだ?」

 夜であることを考慮してか、饒速日は声もなく笑った。その笑いを収め、表情が改まる。突然増した緊張感が、阿曽を包み込む。

 剣を背中の鞘に戻し、饒速日は再び手を背中に伸ばす。つかみ取ったのは、先程の剣と同じ長さの木刀だった。太さも瓜二つ。

「さあ、仕合おうか」

 手を抜けば、死ぬかもしれない。そんなことさえ思わせる気配。

 阿曽はごくりと喉を鳴らし、木刀を握り締めた。

「―――参る」

「はいっ」

 重い一撃が叩き落される。阿曽は取り落としそうになる木刀を必死の思いで握り締めると、震える腕を叱咤する。「動け、耐えろ」と念じながら。

「ほお……」

 耐えた阿曽に感心し、饒速日は力を緩めた。その隙に木刀を引き、阿曽は自ら跳んで饒速日の上を取った。押さえつけられれば力で負けてしまうが、思う通りに動けるのなら話は別だ。

 持ち前の素早さを活かし、阿曽は饒速日を翻弄する。

 上からの攻撃の後は、右、左から木刀を振る。それらは全て躱されたり受け止められたりしたが、阿曽は簡単に諦めない。

 直球勝負では分が悪い。ならば、と阿曽は饒速日が木刀を振り上げた瞬間を狙って彼の懐に飛び込んだ。瞬時にそれに気付き、饒速日も手首を回して阿曽の剣撃を受け止める。

 弾き飛ばされ、阿曽はずささっと地面を滑るようにして持ち堪える。

「だあっ」

「ふんっ」

 伸びやかな足取りで走り出した阿曽は、木刀を振り上げて饒速日の頭を狙って振り下ろす。それを見越した饒速日は木刀を地面と平行に持ち、両手で支えて阿曽の攻めを耐えた。

 何度も同じような展開が繰り返された。先に仕掛けるのが阿曽の時もあれば、饒速日に追い詰められることもしばしばあった。

「……くそっ。一度も届かせられないか」

 木刀を引き、阿曽は歯噛みした。

 一度でも彼の剣が饒速日の身に届くことはなく、反対に阿曽には饒速日の剣が幾度もあたった。お蔭で青あざだらけである。

 荒く整わない息を吐き、阿曽は饒速日を正面に見据えた。

 悔しいほどに余裕の顔でこちらを見返す饒速日。一切息は乱れず、軽い身のこなしも変わらない。饒速日はにやりと

「もう終わりか、阿曽」

「――まだだっ」

 阿曽の覇気は、失われてはいない。

 必ず、自分を仲間と認めてくれた三人に追いつくのだから。

「―――俺は、強くなる」

「何っ……?」

 饒速日の唖然とした顔が見える。何故、そんな不思議なものを見たような、信じられないものを見たような目をしているのだろう。

 阿曽は饒速日の視線の先に自分がいることに気付き、初めて己の変化に気付いた。

 全身から、菜の花を思わせる淡い色の気が溢れている。それは阿曽自身に力を与えてくれているのか、徐々に戦って勝つ意志が芽生え始めた。

 そして阿曽は気付いていなかったが、饒速日には見えていた。阿曽の赤い双眸が、かすかに光を帯びていたことを。

「必ず、勝つっ」

「――くっ」

 先程までとは比べ物にならない速さで饒速日の懐に入ると、阿曽は一気に木刀で彼の腹を捉えた。重さに手のしびれを感じつつも、饒速日の巨体を吹き飛ばす。

 饒速日は木の太い幹に背中を打ち付けて、息を詰めた。

(何処から、この力は出ているんだ!?)

 阿曽は呻く饒速日を呆然と見つめ、混乱していた。勝ちたいという欲求と、もう止めてくれと己の限界を叫ぶ欲求が心の中でぶつかり合う。どうしようもない感情のせめぎ合いは、阿曽を見ていた饒速日にもありありとわかるほどだった。

「おい、阿曽。お前……」

「うっ……饒速日、さん」

 苦しげに片膝をつき、阿曽は不意に意識を失った。

 饒速日が駆け寄り肩を揺らしても、一向に目覚める気配はない。

 仕方ない、と邸に連れ帰るために阿曽を抱き上げた饒速日に、背後から声がかかった。闇色の髪が夜風に揺れる。阿曽が寝床にいないのに気づき、探しに来たのだろう。

「饒速日さん、どうされました? ……ッ、阿曽!」

「鍛錬中、突然倒れた」

 血相を変えた温羅に、饒速日は簡潔に状況を伝える。そして一緒に来るよう促した。

「この子に渡したいものがある。共に来てくれ」



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