恵鬼けいきさんよぉ、少しおかしかないかい?」


 陰玄いんげんの言葉を合図に、恵鬼はぴたりと歩みを止めた。

 突然、暗闇の中で前方を歩いていた人間が止まろうものなら、健常者でも前の者にぶつかることだろう。

 しかし目を奪われてから長い陰玄は、前方の気配の変化を感じ取り、見事に衝突を避けて見せた。


「おかしい? 今度は何がおかしいって言うんだ?」


 恵鬼は振り返って、陰玄にたずねた。

 恵鬼自身も言葉にできないながらも、先刻から何らかの違和感を感じていた。

 そうでなければ、陰玄の言葉など無視して先へ進んでいただろう。


「いやねぇ、どうにも村の規模にしては人の数が少なすぎる。家はあるのに、空き家ばかりで中は空っぽだ」


 陰玄は自慢の鼻をとんとんと壊れた錫杖しゃくじょうの先で叩く。

 恵鬼もまた、角は失おうとも人魂を食す生物である以上、人の気配を読み取ることには長けている。

 確かにおかしい。

 村には人為的に荒らされた形跡や自然に荒れたような様子などは特になく、つい最近まで人が住んでいたことは明らかだ。

 つまり力ずくで連れ出されたのではなく、この深夜に村人たちが自発的に家を出たということになる。


「どういうことだと思う?」

「さぁ? 流行り病かなんかで、病人を一所に隔離しているってところじゃねぇかい」


 陰玄の推測に、しかし恵鬼は容易に首を縦には振れなかった。

 何やら妙な予感がする。

 恵鬼の天性の勘が、人外のもの気配を感じ取っていた。


「まぁ、全員がいなくなっているわけじゃねぇようだし、その辺の奴を起こして事情を聞きゃ……」


 途端、陰玄の口の動きが止まりその顔に穏やかとは思えないかげりが差した。


「どうした?」


 恵鬼の問いにも陰玄はすぐには答えず、しばし黙って鼻をせわしなく動かし続ける。

 その様子から口を挟むべきでないことを悟った恵鬼は、じっと陰玄の結論を待つ。

 やがて、陰玄は迷いのない口調で言った。


「鬼だ。鬼が一匹、村の外れにいる」

「鬼!? ならば村人が不自然に何人か消えているのは……」

「あぁ。おそらく、その鬼の仕業だろうなぁ。さらに、その鬼の近くに人の臭いもする」


 それだけ聞くと、恵鬼は一目散に村の外れへと向かって駆け出した。

 その突然の動きに陰玄は驚き、懸命けんめいにその後を追いかけながら恵鬼の背中に問い掛ける。

 全力疾走のため、自然恵鬼と陰玄の会話は息切れ交じりの大声で交わされる。


「一体、何だってんだぁ? 急……に走りやがって!」

「鬼に襲わそうな人間がいるんだろう!? ならば……早く助けないと!!」


 鬼が人間を助けるようとするなんて、前代未聞だ。

 全く、何よりもこの鬼が一番おかしい――陰玄は恵鬼の行動に対し、どんな種類とも覚束おぼつかない笑みを浮かべた。

 馬鹿にしているようでもあれば、単純におかしさに笑みが零れただけのようにも見える。


「その娘……じゃなくて女装少年か!? そいつを連れてって大丈夫なのか!?」


 陰玄は恵鬼の常軌を逸した行動に、結局は異論することも同意することもなく、別のことに話を移した。


「この怪しい村にコイツを預けるわけにはいかない。オレの外套がいとうは人間の気を断つ特殊なものだ。

 この中にいる限り、鬼に気付かれることはない」

 

 道理で臭いも弱かったわけだ――と、陰玄の中で1つの謎が解けた。


 段々と村の外れに近付いて来た。

 ここまで来れば、恵鬼にも気配から数が読める。

 一匹の鬼と一人の人間。

 どうやら消えた村人の魂のほとんどはすでに鬼の腹へと消えてしまったらしい。

 恵鬼は自分の無力さに打ちひしがられながらも、何とか最後の一人を救おうと、さらに速力を上げた。

 鬼の全力に人間が付いて行けるはずもなく、陰玄はみるみる引き離されていく。


 恵鬼の前方に向かい合っている二つの人影が見えた。

 周囲には魂の抜かれた数十人の死体が折り重なるように倒れている。

 二つの人影――一方は恵鬼よりもさらに一回り大きい筋骨隆々の大鬼。手には巨大な金棒を持ち、頭には大きな一本角。

 もう一方は隣の鬼との対比で随分小さく見えるが、人間にしては長身の部類に入るだろう細身の男。

 見えたのと、恵鬼が鬼に向かって飛び掛るのは同時だった。

 しかし、その攻撃はあっさりと防がれた――恵鬼が助けようとした人間によって!!


「がっ……」


 恵鬼の体はいつの間にか地に伏せっていた。

 何をされたか分からなかったが、謎の攻撃よりも、体の痛みよりも、人間が鬼をかばったという事実に、恵鬼は衝撃を受けた。

 倒れ付す恵鬼を、鬼と人間は揃って笑いながら見下ろした。

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