魔法使いは過去を見る

御殿あさり

第1話

 普通電車のボックスシートの窓のへりに頬杖を突きながら、電車が発車するのを待っていると、はす向かいに僕の姉くらいの歳の女の人が座ってきた。しかし、姉と同じなのは歳くらいのもので、この人からは安心感のようなものを感じる。それはうちの姉にはそなわっていないものだ。僕は勝手に、この人のことを「お姉さん」と呼ぶことにした。


 さて、そのお姉さんだが、こちらをじっと覗くように見つめている。何か気恥ずかしくなり、僕は会釈をした。すると、お姉さんは顔を真っ赤にしてちょっと目を泳がせた後、意を決したように僕に話しかけてきた。


「ねえ、君、どこで降りるの?」


 本当なら答えるべきではないのかもしれない。だが、僕にはお姉さんが怪しいことをするような人間には見えなかったし、僕にそういったことをするような価値がないことも分かっていたので、僕は正直に答えることにした。


「えーと、とりあえず沼津、です」


 お姉さんはその答えを聞くと、ぱあっと顔を輝かせた。


「沼津。私と同じだね」


 それを聞いて、僕もちょっとだけうれしくなった。不思議なもので、同じところに行くというだけなのに、親近感がわく。旅は道連れ、とはよく言ったものだ。


「ちょっと私の話、聞いてくれる?」


 沼津までまだ遠いし、と前置きして、お姉さんはそう切り出した。僕も特にやることはないから、全く問題はない。いいですよ、と答えると、お姉さんは嬉しそうにニコニコしながら、こんなことを言い出した。


「私ね、実は魔法使いなの」


 ……僕はその言葉にどう返すのが正解なのかを知らない。気の利いたことも言えない。ならばとりあえず、なにか無難なことを言おう。


「魔法使い、って、どんな魔法を使えるんですか」


 僕がそう聞くと、お姉さんはいたずらっぽく、にやりと笑った。でもそれは優しい感じのする「にやり」だった。


「過去が見れるのよ、私」


 だから本当は異能なのかもしれないね、でも魔法使いのほうがかわいいでしょ、とお姉さんは愉快そうに笑った。


「過去、ってたとえば……」

「たとえば、かぁ」


 えっとね、とお姉さんは少し困った顔をした。なんだか申し訳なくなる顔だった。別にたとえばじゃなくてもいいです、と言うと、悩んだ顔のあとにこう言った。


「うーんと、私が見えるのは、その人の心にこびりついた、記憶、だと思う」


 お姉さんが首をかしげたので、僕もそれにならった。


「だと、思う?」


「うん、だと思う」


 お姉さんは不思議そうな顔のまま、そうこぼした。その声はどこか頼りなく、だがしっかりとしていた。まるで自分が何もわからないことに、絶対の自信を持っているような、そんな声だった。


「だって私、今まで誰にもこの話してないもの」


 冗談か、とも思ったが、お姉さんは、真面目な顔をしていた。


「え、でも、僕には話してくれましたよね」


「うん。目の奥をじーっと見つめると、その人の記憶、過去が浮かんでくるんだ。一つか二つ。本当はね。でも」


 真面目な顔のまま、お姉さんはそう話すと、ちょっとの間、言いよどんだ。


「でも、君のはそれが見えなかった」


 お姉さんは、覚悟を決めたように、そう零した。


「色のついた砂嵐みたいだった」


「そうですか」


 会話はそれだけだった。時間の流れが何倍にも、何十倍にも引き延ばされているみたいだった。昼のはずなのに、外の景色は見えなかった。彼女はもう笑っていなかった。


「もう沼津だよ」


 その声で現実世界に引きもどされた気がした。もう沼津だった。彼女と一緒にホームに降りて、階段を上がって、それで別れた。彼女は連絡通路の先に消えていった。


 彼女に、過去が見えなかったと言われたとき、僕の声は震えていなかっただろうか。僕の手は震えていなかっただろうか。僕は覚えていなかった。

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