過ぎ去りしもの、想いの祈り
〜5.過ぎ去りしもの、想いの祈り〜
しばらくのんびりと草原に寝そべって思いをめぐらせた後で、シェーナは口を開いた。
もう日は高く昇り、朝の光が草原を普く照らしている。
風に揺らぐ草が擦れ合い奏でる波音が、心地よく耳に響いていた。
「ねえ、アズロ……さん」
遠慮がちなその呼びかけに、アズロは気の抜けたようなしまりのない表情で、ゆるく笑う。
寝返りをうって、シェーナと逆方向を向き、それから両足をかかえて小さく丸まった。
「アズロでいいよー。シェーナさんにアズロさんって言われるとなんだか怖い。師団長って言われても怖い。加えて言うなら敬称も怖い。たのむからこれ以上僕の頭上に恐怖の大魔王を降らせないで下さいシェーナ様」
言いながら本気で震えているらしい外見はシェーナと同い年・中身結構いい歳の輩の背に思い切り蹴りを入れようとしつつも、病み上がりなことを思い当たって軽く触るくらいにトン、と背を蹴ると、シェーナは低い声で唸る。
「……怒るわよアホズロ。……ああ、アズロっていうのはまだ呼びにくいけど、アホズロなら簡単に呼べるかもしれないわ」
「ひどい……」
しょげた感じの声を出したアズロに、シェーナはけらけらと笑う。
「仕返しだよ。諸々のね。それより……」
笑うのを止めて、アズロと逆向きに寝直すと、シェーナは静かに話した。
草の絨毯を見つめた瞳が、微かに揺らぐ。
「……私の大切な人の……シエラ姉さんの話を、伝えてもいいかな? シエラ姉さんが……どんな人で……どういうことをして……どういう最後を遂げたのか。……シエラ姉さんの想って止まなかった里の民のあなたに、聴いておいてほしいの」
アズロは向きをそのままに、ただ、「はい」とだけ答えた。
どこから来たのかもわからない子供を……私を引き取って、にっこりと微笑んだ姉さん。
挨拶や簡単な会話しか話せなかった私に、方法を変え、場を変え、根気よく言葉を教えてくれた先生で。
言葉を覚えてからも、文字の読み書きや薬草学、計算……たくさんのことを学んだ。
リリーの開花が遅いとからかわれて落ち込んだ時には、「あなたはもうその笑顔で何人も癒してるじゃない」とふわりと微笑んだ。
時に姉として、時に母として、時に教師として、場面場面を大切に、一言一言を大切に扱った姉さんが好きだった。
尊敬していて、追いつきたくて……。
姉さんの背中はいつも、キラキラ輝いていた。
春に吹く風のような人。
辛いことがあっても微笑みを絶やさず、情の深さゆえに面倒ごともたくさん背負ったお人好し。
村の皆と仲良しで、どんな頑固者でも、シエラ姉さんの前では自然と笑っていた。
人の緊張を解く、やわらかな力を持った人だった。
そう。
姉さんは最期まで……人を、癒し続けた。
そういえば、シエラ姉さんだけは、空のことも悪くは言わなかったっけ。
言葉を選びながら、シェーナはゆっくりと、シェエラザードという一人の人間のことを語った。
シエラの最期のことも……全部。
シェーナが知っていることを、静かに穏やかに、アズロに告げた。
話し終え、過去を……シエラの最期まで全てを静かに話せたことに、自分自身で驚いているシェーナに、アズロは穏やかに言う。
「ありがとう、シェーナさん。ラナンキュラスの民として、天の
ゆっくりと立ち上がると、上体を起こして座ったシェーナへと向き直り、口を開いて──
ゆるやかに、唄を歌った。
ああ
我らがいとし子よ
今蒼を解かれたり
涙を我が手に
笑みを抱きて海に眠れ
想いの灰を
胸に継ごう
音色を紡ぎ歩もうぞ
風と共に葬送を
汝に揺るがぬ安息を
ああ
我らがいとし子よ
汝の御霊は天高く──
──澄んだ、音色だった。
朗々と響くその唄に、シェーナは不思議な光を見た。
それはどこからかふわりと現れて、体を包むようにゆっくりとシェーナの回りをめぐると、アズロの体の回りを同じようにめぐって、それから天高く消えていった。
アズロは瞳を少しだけ伏せて、そっと微笑んでいた。
哀悼というより、優しい笑み。
シエラ姉さんのような表情だった。
「……葬送の曲です。でも、伝承唄のものとは音色をちょっと変えてみました」
アズロの言葉に、シェーナは頷く。
今まであった何かが急になくなったような寂しさと、舞い込んできたあたたかさとを感じて、ゆっくりと笑みを浮かべた。
ざあざあ。
ざあざあ。
草の海が、波音を奏でる。
シェエラザード。
凪のような人。
どうか、あなたに安息を。
静寂の祈りが、静かに、静かに。
──少しの間黙って立っていたアズロは、微笑を浮かべたまま、シェーナへと一言語りかけた。
その言葉を聞いて、シェーナはゆっくりと立ち上がる。
草原に戻る前まで居た場所に、青の花畑へと再び歩むと、アズロに並んだ。
「シェーナさん。ラナンキュラスを──長い長い夢物語を、聴いてみませんか?」
アズロは静かに言った。
望郷と哀悼と愛おしさと、果てのない後悔を孕んだ、深い眼差しだった。
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