第10話 『麗氷姫』のお手製小テスト




 



「本当にこの教室で良かったんだよな……? ふぅ、それにしてもやっぱりすごいな霊峰院学園。使われてない教室の割にほこりひとつ見当たらないのって、定期的に掃除されているからだよな……」



 誰もいない教室の窓から茜色の陽射しが差す。俺がそう呟きながら窓の冊子部分を指でなぞり見ると、普段と変わらない指の色が見えた。やっぱり全く汚れていない。


 さて、現在の時刻は夕方の五時三十分。放課後に霊峰院と勉強会を行なうために、指定された空き教室で俺は彼女の到着を待っていた。


 みっちゃんとモブの三人で食堂で昼食をとったその日、ホームルーム終了後に俺のスマホには一つの着信があった。送り主は霊峰院。俺のスマホに届いた彼女からのメールにはこの空き教室で待機しているようにという旨の文面と同時に、ここまでの手書きの案内図が丁寧にも添付されていたのだ。


 おそらく迷うだろうと思った俺への配慮だろう。霊峰院のその几帳面さに思わず舌を巻くが、俺は素直にその彼女からの指示に従った。そして何度か迷った末この空き教室に辿り着き、このまま三十分経過しているというわけだ。俺は一つ溜息を吐く。



「はぁ……。俺、本当に成績良くなるのかなぁ……?」



 この偏差値の高い霊峰院高校でトップの成績を保持している霊峰院に勉強や運動を教わるのはとてもありがたいことなのだが、どうしても不安が頭を過ぎる。


 霊峰院から放課後練習会を提案されてから一週間。これまで彼女と一緒に勉強会や運動を一緒にした俺だったけど、運動能力はともかく、正直学力が上がっているという実感はなかった。


 たかが一週間、されど一週間。


 けれども彼女に言われたとおりに風呂上がりに柔軟体操をするように心がけているおかげか、身体はなんとなく疲れにくくなっているような気がした。

 俺の自身の学力はともかく、きっと身体には次第に効果が出てきているのだろう。現にバイトで動いていても前より疲労感は少ない。



「とにかく、彼女の言うことを信じて行動するしかないか……。でも、柔らかかったなぁ」



 着実に少しずつ前に進んでいることを信じつつ、その一方で俺はある感触を思い出していた。それはマシュマロのような柔らかさで、しっかりとした弾力もある思春期男子の夢が詰まった幸せな感触。



「霊峰院さんのおっぱい、大きかったよなぁ……!」



 口に出して思わずにやける。放課後練習会初日、事故とはいえ霊峰院が誇るモデル顔負けの抜群なスタイルの一部を背中に味わえたのはとても僥倖だった。因みに柔軟体操のあと顔を赤らめてその日はそのまま終了した霊峰院さんだったが、次の日からは平然とした顔で日常を過ごしていた。


 あの出来事があったせいか、たまに教室内で目が合うと僅かに顔を赤らめながら凍えるような視線を俺に向けるものの、夜道に気を付けないといけなくなるので俺は終始気にしていないような顔を心掛けていた。


 霊峰院は良く無愛想な……クールな表情を浮かべていることがスタンダードだが外見は圧倒的美少女。今は優雅さ以外にも少しだけあどけなさが残っているが、大人になればもっと色気や妖艶な雰囲気を放つようになるだろう。


 残念ながらこれまで女の子とは恋愛経験が一度も無い俺だが、そんなお嬢様な美少女との嬉し恥ずかしの青春……所謂『アオハル』っぽいことに不覚にも胸が高鳴った。



「くくく……! もしかして今後、またあんなギャルゲーみたいなラッキースケ―――」

「―――御子柴さん、お待たせ致しましたの」

「ベっへぇッ!? れれれ霊峰院さん……!? ままま待ってないよ今着いたばっかりだぞ!?」



 開けられた扉の方に視線を向けると、そこには金髪縦ロールが特徴的な霊峰院が鞄を持って立っていた。慌てて返事をするが、それはどことなく待ち合わせっぽくなってしまったのは先程の発言を誤魔化すためだ。


 何を隠そう俺は思春期真っ盛りの高校生。よくよく考えればこれはモブが言う通りギャルゲーのようなシチュエーションなのだから、少しくらい桃色な妄想に浸ってもいいのでは? ……と途中まで考えたが、彼女は先生から頼まれたとはいえせっかく俺の為に時間を割いてくれているのだ。学力が低い俺自身の為でもあるのだから真面目に取り組むべきだろう。


 少しだけ冷静さを取り戻した俺だったが、その一方で霊峰院は怪訝な表情になった。彼女のその切れ長の瞳には、僅かに心配するような色が浮かんでいる。



「それはそれで問題がありますわね。……ん、ちょっとお待ちくださいな。それはもしや、わたくしが送信した案内図が読めなかったということでしょうか……?」

「え、いやそんなことないぞ! すっごい丁寧に書いてあって分かりやすかった! さっきのは冗談だよ冗談!」

「……紛らわしいですわね。心配して損しましたわ」

「それって俺に対して? それとも自分に?」

「黙らっしゃい」



 それは俺に対して地図も読めないほどの方向音痴だと心配したのか、それとも霊峰院自身の画力に対する自信の揺らぎなのか……。いったいどっちなのだろうかと疑問に思い思わず口に出して訊いたのだが、不機嫌そうに鼻を鳴らした彼女にばっさりと切り捨てられた。


 彼女は窓側に立っていた俺に近寄ると近くの机に鞄を置く。そして口元に紅扇を広げながら片手を腰に置いたのだった。その姿はまるでポーズをとる雑誌のモデルのよう。


 その凛とした綺麗さに思わず目が奪われるが、当の霊峰院が俺を見つめるその視線は鋭く細められていた。



「さ、ぼけっと突っ立ってないで早く椅子に座りなさいな。無駄に時間を浪費することは許しませんわ」

「あ、あぁ悪い……! で、今日は何を勉強するんだ?」

「今日は漢字と現代文の勉強です。まずはいつも通り御子柴さんの学力に合わせた問題を作成してきましたので、それを解いていきましょう」

「よし、恒例の霊峰院さん特製小テストだな! ……っていうか毎回思うけど、これってどうやって作ってんの? 俺らが普通に解く学校のテストと全く遜色がない出来なんだけど」

「問題内容はわたくしが考えて、あとの印刷はセバスに任せておりますわ。……さ、時間は有限ですの。制限時間は二十分ですわ。―――よーいはじめっ!」

「うぉぉ、いきなりか!?」



 急に言い放った霊峰院のテスト開始の声に驚きながら俺は机に向かう。


 問題形式は表に現代文の文章問題、裏に計二十五問の漢字問題といった具合。ぱっと見て、不意に制限時間内である二十分まですべて解けるのかという不安が頭を過ぎったが、まずはとにかく埋めていくことが先決。


 そう思いながら俺は霊峰院特製小テストにのぞんだのだった―――。




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